黒幕
翌日。目が覚めると真っ白な天井がそこにあった。
ここは……そうか。マリリンの実家の……ブランシャールの家か。
あの後、心身ともに疲れきっていた僕は食事も喉を通らずに、そのまま眠りに入ってしまったのだった。いや、頭が真っ白で、なかなか寝れなかった。
脳裏をよぎって離れなかったのだ。あの出来事が。目に焼き付いて。
それも、その後の銃殺騒ぎもだ。どちらも目に焼き付いて離れない。
疲れに疲れきって、眠ったというよりは意識を失ったに近いだろう。
僕が目覚めたことに気づいたメイドさんが僕の下へ駆け寄る。
「おはようございます。小尾様。昨夜はごゆっくり眠れましたでしょうか。今から、お洋服の着替えをさせて頂きたいと思います。よろしければ、起き上がって下さいませ」
僕は少しくらくらしていたが、ちょっとだけ休んでゆっくりとベッドから起き上がった。
「失礼致します」
そういって、僕の寝間着を脱がして行くメイドさん達。複数いたようだ。僕は何か言う気力もなく、されるがままになっていた。
着替えが終わると、メイド達は地面に膝を付けて頭を下げていた。
「何かございましたら、何なりとお申し付け下さい」
「……マリー伯はどちらへ?」
「グレートホールにいらっしゃいます」
グレートホール……様々な用途にも使われるが、この場合は食堂のことだ。貴族は主にこのグレートホールと呼ばれる巨大な食堂で臣下や召使いと共に食事を取ることが多い。家族はヘッドテーブルで食事をし、後は階級順に座るらしい。
最近では、プライベートダイニングルームを用意しており、静かな雰囲気の下、食事を取ることも多いらしい。そこにゲストを呼ぶこともあるとか。
「悪いけど、案内して欲しい」
「かしこまりました。こちらへ」
僕はメイドに案内されてグレートホールへ。そこには召使いと共に食事を取るマリー・ブランシャールと、マリリンがいた。
僕の姿に気づいたマリー伯は、すぐに立ち上がって僕の傍までやって来た。
「これはこれは……お気分はいかがですか?」
「いいとは言えませんが……昨日よりは」
「そうですか」
そういって、マリーは軽く手を叩く。すると、すぐに召使いの者が料理を運んで来た。それを、ヘッドテーブルへ。つまり、メインゲストとして招かれているわけだ。
「マリリン、何をしているのですか」
「あ、いえっ……申し訳ありません、お母様」
マリリンの様子がどこかおかしいことに気づく。
そして、マリリンは僕の下へと近づき……僕の手の甲にキスをしたのだ。それって……男の人が女の人にするもんじゃないのって思ったけど、ここではそんな概念はないのだった。そして、よくよく思い返して見ると、手の甲へのキスは尊敬する証……つまり、目上の人に対してするもののはずだ。手のひらにキスが求愛だったな……愛情を懇願するって意味。
となると、僕より階級的に上のはずのマリリンがどうして……。
すると、マリー・ブランシャールまでもが同じ真似を。ますますわけがわからない。
「昨日はご無礼のほどを申し訳ありませんでした。『救世主』様」
マリリンは恥ずかしそうにしている。当然だろう。今まで僕のことを下に見ていたところが少なからずあったわけだし。それは、マリリンの家柄上、仕方がないことではあったけど。逆の立場になるなんていうのは……思いもよらなかったんだろう。
それに、マリー伯の言葉……やはり、『救世主』か。とうとう、この時が来てしまったんだと僕は思った。ありえないことだとは思っていたけど、まさか本当に僕が『救世主』扱いされていたとは。そのおかげで助かったともいえるが……。だから、あんな最新式の装備を僕に配備したのか。そのせいでああなった……じゃあそもそもの原因はこいつらにあるとも言えるじゃないか。
「本来ならば、もう少し時間を置いてから段階を得て、告げる予定でありましたが、昨日の出来事があった為、このような形を取ることになってしまったことをお許し下さい」
「それは……構いませんが、僕が何故『救世主』なのでしょうか」
「それは、貴方が『異世界』から来た人間だからですよ」
そういって……ドアから現れた女性……それは、シーナさんだった。
「シーナさん……」
「クラフト侯。いらしていたのですか」
「あら、昔みたいにシーナでいいのよ、マリー」
「そういうわけには行きません」
「堅苦しいわねぇ……じゃあ、お願いするわ。シーナと呼ぶことを」
「……わかりました。シーナ侯」
「侯はいらないわよ」
「……まったく。シーナ。これでいいのでしょう?」
「よく出来ました」
「シーナさん、どういうことか説明してくれるんですよね?」
僕はシーナさんを睨みつけていた。知らず知らずのうちに。
僕はようやく気づいたのだった。
全ての黒幕が『シーナ』さんだったことに。
思えばおかしいことだらけだった。都合よくあの森にいて、僕のことを何の疑いもなく寮へと誘い入れた。そして、手取り足取りで言語を習得させ、学園へ通わせた。
それらは全て誰が行ったか。シーナさんだ。つまり……。
「貴方が僕を『召喚』したんですか、シーナさん」
「あら、気づいちゃった? まあ、そりゃそうよねぇ。ここまで来て、そんなことにも気づかないオマヌケさんなわけないよねぇ?」
くすくすくす……と、不敵な笑みを浮かべるシーナ。
その得体のしれない笑みに、初めて、恐怖した。
「あんたは……一体」
「あら、私? 私はシーナよ。シーナ・クラフト。そこのマリー・ブランシャールとは同期なの。だから本当は三十後半なのよー、嫌になっちゃうわよねー。でも、魔法で老化を抑制しているから、まだ中身は二十一なのよー」
「クラフト侯! お遊びが過ぎます!」
「シーナって言ったでしょ、マリー」
凄みのある声だった。静かに告げているだけなのに、怖い。
「……申し訳ありません」
「……さて。なんだったかしら。そうそう、貴方を『召喚』したのはたしかに私よ。でも、ここで残念な情報を教えてあげるわね。貴方は『元の世界』には帰れませーん」
「……どうしてですか?」
「私は貴方をピンポイントで狙ってここに呼んだわけじゃないわ。言うならば誰でもよかったのよ。『適合者』ならね」
「適合者……?」
「この世界の……マナへの適合者よ。そうでなければ、魔法が使えないもの。ただの役立たずに用はないじゃない?」
「……それで、帰れない理由は?」
「そう急かさないでくれない? ……一つは、私は広大な海から釣りをして貴方を釣り上げたようなものよ。それを元の位置に戻すことは不可能でしょ? 海にリリースすることは出来るでしょうけど、異空間を永遠に漂い続けて元の世界どころか、時空の歪みに落ちちゃうかもしれないわねぇ」
くすくすくすと、またも人を小馬鹿にしたような笑い。実際、しているだろう。どこかおかしいというか、壊れている。まさに、そんな感じだ。あれは、人間じゃない。バケモノだ。そんな気さえする。
「あら、本当のバケモノにバケモノなんて思われたくないわねぇ」
どうして、僕の考えがわかるのだろうか。心でも読めるというのか。
「顔を見ればわかるわよ。それぐらい。せっかく、人が親切に答えてあげているというのにねぇ?」
信じられるものか。最初から最後まで騙すことぐらいわけないだろう、この女なら。
あのやさしい温かみのあるシーナさんは……どこにもいなかった。
「酷いなぁ……。人の好意は素直に受け取らないとねぇ」
「まあ、いいわ。貴方、命を助けてやったのだから、今度は貴方が命を賭ける番でしょ?」
ニタァ……と、笑みを浮かべるシーナ。恐ろしい笑みだった。凍りつくほどの。
命? バカな。と思ったが、たしかに命の恩人ではある……しかし結果的にそうなっただけであって、そもそもの原因はこいつなのだ。何の義理があってそんなことをしなくてはいけない!
「拒否権なんて、ないのよ。最初から。やるしかない。それだけのこと」
「……シーナ。彼が怯えています。それ以上の刺激はこちらの不利益にしかなりません」
「ま、そうね。私からの最初で最後のやさしさよ。こちらの本性がわかって、彼が最終的にどのような判断を取るのかってね。そうそう、斉藤とかいったかしら? あのジジイ……殺してもいいのよ? それに、病気だったわね。色んな意味で助けたいのなら、言うことを聞くしかない。違う?」
斉藤を……やっぱり、知っていたのか。どうして斉藤は放置されているんだ? それに悪いが、斉藤の為に命張れるほど僕は人間が出来ているわけじゃないぞ。
「彼ね。まあ、私のような王宮魔術師が昔にも同じことを行ったのよ。でも、彼は『適合者』ではなかった。だからまあ放置したのよ。いずれ来る貴方の為にとっておいたの。貴方がこの世界に来てパニックを起こす可能性だってあるでしょ? 同じ世界から来た人がいれば、貴方にとってはプラスだものね。それだけの話よ。そうじゃなかったら、処分していたんじゃない?」
たったそれだけ……現実は過酷だな。僕に拒否権はない、ね。この国を脱出する以外にはないし、出来たとしても、国際手配されるわけか。
「そういうことよ。諦めなさい。その代わり、いい夢も見られるわよ? これから、貴方の階級は特別階級として、私たちに色々命令出来るし。一般人や奴隷も取り放題♪」
この人が言うとぞっとする……。底知れぬ何かがあるような。黒い闇のようなものが。
「例えば、そこのマリリンに性的なことをしたっていいのよ?」
「えっ……」
思わず声を出してしまった。マリリンも驚いている。
「は、はい……か、構いませんわ」
恥ずかしそうにマリリンはそう言う。僕はそのマリリンの仕草が可愛らしくて、思わず想像してしまった。こんな時だというのに、下半身はギンギンだった。情けない。
「ふ、ふふふ……アハハハハッ! そう、そうよねぇ? 貴方達の世界ではそういうことを日常的に行っているのでしょう? 興奮を抑えられないわよねぇ? ふふふ……」
くそっ……こいつ……。
「シーナ、いい加減に」
「わかってるわ。ちょっと、試しただけよ。今のことは大体本当のことよ。別に私に性的なことをしたっていいのよ? したいでしょ? 興奮するでしょ? あなた、私のお尻ばかり見ていたものねぇ……知ってるのよ。わ・た・し」
……やっぱり、バレてましたか。
「それに、命を賭けるといっても所詮戦争。貴方は最後方でシンボルになっていればいいだけの話よ。簡単でしょ?」
「……」
「まあ、もちろん状況によっては最前線で戦うことも出てくるでしょうけど……敵は人間だけじゃないしねぇ」
「シーナ!」
「……はいはい」
「それはまだ早いですわ。今はとにかく、『救世主』様にご協力を仰ぐ為にですね……」
そういって、マリーは体を押し付けて来た。実の娘の前だというのに。
「お願い致します。貴方様のお力をどうか、我が国に……」
色仕掛けって、驚くほど効果的なんだなと。ギンギンの僕に、そんな風に抱きつかれて、その豊満な胸で押し付けられて、抱きつかれて。耳元でささやかれたら。
「考えさせてくれませんか。色々と整理したいんです。この状況を」
「それは……そうでしょうね。わかりました。この家はご自由にお使い下さって構いませんので。わたくしはそろそろ実務がありますので、失礼させて頂きますわ。マリリン、後のことは頼みますよ」
「はい、お母様」
「じゃあ、私も失礼するわね。またねぇ、唯人さ・ん」
お前は二度と来るな。
マリーさんとシーナが立ち去った後、残されたのは僕とマリリン。後は使用人達。
「あ、あの……その。救世主様?」
「えぇと……今までどおりでいいよ、マリリン。僕も今まで通りに君に接するつもりだから」
「しかし……」
「マリー伯の目が気になるのなら、僕と二人だけの時でいいから」
「……わかりましたわ。ふぅ……正直、わたくしもびっくりしているのです。いきなり、このような事態になって」
「それは僕も同じだ。予感はしていたけど、現実になるとは思わなかった」
「それに、『異世界』ですって? 信じられませんわ。たしかに、おかしな方とは思いましたけど……あっ」
「別にいいさ。君らしいよ。それでいい」
「……ふん。知りませんわよ。いいとおっしゃるのなら、このままでいきますからね」
「ああ、それでいいよ。でも、堪えきれなくなってマリリンを抱いちゃうかもしれないけどね」
「えっ……」
「何をしてもいいんだろう?」
「それは……はい。構いませんわ。そういう仕組みですもの……この世界は」
「階級が全て、か」
「そうですわ」
「なら、マリリン。君を抱こう。僕は今、そうでもしないと自分を保てない」
「ええ……わかりましたわ。では、わたくしの部屋へ……」
「その前に」
「えっ」
僕はマリリンを抱き寄せた。
「あっ……」
そして、キスをする。我慢出来なかった。どうにかなりそうで。自分が壊れてしまいそうで。
「ん……あっ……」
深いキス。舌を入れて、長い時間……キスをした。
「ぷはぁ……もう、気が早いですわ」
「まんざらでもないって顔してるぞ」
「それは……その。いいから、行きますわよっ」
「はいはい」
そうして、僕とマリリンは一つのベッドで一夜を共にしたのだった。
僕は一体、これからどうなってしまうのだろう。わからない。今はただ、この身を彼女に委ねることしか出来なかった。
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