シーナ

 しかし、異世界ねぇ……まさかそんな世界が本当にあるとは夢にも思わなかったよ。道理で言葉が通じないわけだ。あれは魔法か何かなのだろうか?


 手が光ったり、空飛んでいる人がいたり。飛んでいる人はそんなにいないところを見ると、高度な魔法なのだろうか。って、何でこうもスムーズに受け入れているのだろうか、僕は。


 まあ、昨今の若者はゲームやアニメが身近に存在しているわけで。なんていうかこう……耐性のようなものが出来ているのかもしれない。ぶっちゃけ、外人がコスプレして何かしているようにしか見えないし。そういうことだろう。うん。


 勝手に納得していると、軽く肩を叩かれた。


「ん?」


 どうやら、目的の場所にたどり着いていたようだった。何の反応もない僕を見て、肩を軽く叩いたのだろう。


 ここは、民宿? それとも、寮? 海外にありそうな建物。海外の建物って似たようなのばかりで、何の建物かよくわからないのあるよね。まあ、ここは異世界だからもっとわからないのだけど。って、異世界と決めつけちゃっているけどいいのだろうか。まあそこはいいか。他に説明も出来ないし。


 中に入ると、年端もいかない女の子達が沢山いた。女子校の寮か何かなのだろうか。でも、男がいないのでそれもよくわからない。


 当然のように僕を見て驚いている。大声を出す者までいるぐらいだ。何を言っているのかは皆目検討もつかないが。


「イシータ・リルド・デマン・スティルド!」


「バンシ・アータ・イル・ミシド……」


 何やら気の強そうな赤髪ツインテールの女の子が僕を案内してくれた女性に食って掛かっているようだった。これについては何となく予想出来る。どうして、こんな奴を連れて来たのかってところだろう。女だらけの街に男が一人。たしかに、危険だ。


「イルミネータ・ラキタ・アステ」


「アイシール・ブリケン・ラスダ!」


 勝手にしろと言った感じでぷいっと顔を背ける赤髪の子。僕の顔をちらっと見て、睨みつけて来た。勘弁して欲しい。僕だって来たくてここに来たわけではないというのに。


 赤髪の女の子の矛先は僕に変わったようで、指をさしながら何かを叫んでいた。当然、内容はわかるわけもなく。僕はどうすることも出来なかった。


 ひとしきり言い終わると、赤髪の子は二階へと姿を消していった。


 ようやく開放された僕を見て、案内してくれた女性は苦笑いをしながら手を合わせる。ごめんなさいってことか。そして、食堂らしき場所へと案内されるとお茶を出してくれた。これは……紅茶かな?


 ようやく一息つけるといったところだろうか。今までなんだかんだで張り詰めていたものが溶けた感じ。開放感というか。安心感というか。そうなってくると、途端にどっと疲れが出て来たようだ。


 そんな僕の顔を見て、あの女性はにこりと笑顔を見せる。なんとなく、それを見ると元気になれる気がする。目と目が合うと、女性は自分を指さしてこう言った。


「シーナ」


 シーナ。名前……だろうか? 僕が疑問に思っていると、もう一度彼女は同じことを言ってきたので、間違いないだろう。シーナ。それが彼女の名前らしい。


 向こうが名乗ってきたので、こちらとしても名乗らないわけには行かないだろう。


 というわけで、こちらも名乗ることにした。


「唯人。小尾唯人」


「タダ、ヒト?」


「そう、タダヒト」


「ソウタダヒト?」


「違う違う……タダヒト」


「タダヒト」


 僕は頷いた。それを見てシーナは嬉しそうな顔を見せる。たしかに、お互いの名前がわかるだけでも随分違って見える。なんだか、初めて外人と会話した時のことを思い出すなぁ……でもその時の相手はある程度、日本語も理解出来る人だったけど。


 結局、まるで話が通じない僕と彼女らでは拉致があかず、シーナは周りをどうにか言いくるめて僕をここにおいてくれるようだった。どうやら、シーナはここではかなりの発言力を持っているらしい。寮長か支配人か何かなのだろうか。


 僕を空いている部屋に案内してくれたシーナ。僕は感謝を表す為に両手を合わせて礼をした。それはシーナにも通じたようで、にこにこと笑顔を見せる。


 ここにいるのはほとんどが中学生か高校生ぐらいの子供のようで、シーナは大学生ぐらいに見える。この中で一番の年長者だろうか。


 シーナが退出すると、僕はベッドの上に突っ伏した。正直、どっと疲れた。当然か。見知らぬ土地に知らない言語。しかも、異世界らしい。これで疲れない方がおかしい。相当の緊張感が続いていたのはたしかだろう。一人になって、ベッドに寝転がってようやく落ち着ける。


 こうして天井を見ていると、今の状況が嘘のように見えてくる。夢なら覚めてほしい。けどこれは紛れもない現実。これから、僕は一体どうすればいいんだろうか。


 目線をあちこちに動かすと、本棚があることに気づく。僕は立ち上がって、本を一冊手にとってめくった。


 まったくもって何が書かれているのかわからなかった。見たこともないような文字で書かれている。出来れば、教科書のようなものがあると字を覚えるのにいいんだけど……それらしいのはあった。けど、小学生で習うような国語の本があるわけではないので結局、まるでわからなかった。


 あったとしても、誰かに教わらなければ厳しいだろう。シーナに教えて貰えないだろうか。すぐさま元の世界に帰れるのならともかく、それは望み薄だろうし、言葉の壁は早い所なんとかしないとまずい。


 しかしやることがないな……こうして時間が過ぎていくのをただ待っていなくてはいけないのは、結構辛い。普段はあっという間に過ぎていく時間も非常に遅く感じる。何もしていないと余計にだろう。


 かといって、勝手に出歩くのもまずいだろう。僕に友好的な人物ばかりではないだろうからな。場所によっては問答無用で取り押さえられて処刑もありえる。中世ヨーロッパとかがそんな感じだった気がする。しかも処刑方法は拷問だ……考えただけでも恐ろしい。


 やめよう。マイナスに捉えるのは。今のところは、問題ないんだ。しかし、僕を招き入れたことによってここの人達までそうなるケースもありえる。さすがにそれは困るな。


 現在、自分に置かれている状況を冷静に分析したり考えたりして時間を潰していると、そろそろお昼時の時間帯だった。さて、どうしようか。弁当は持参してあるが……シーナのことだ。僕の分も作っているかもしれない。


 などと考えていると、ドアがノックされた。僕は一応、日本語で返事をする。


「はい」


「エルリトム・クム!」


 ドアを開けて入って来たのはシーナではなかった。中学生ぐらいの女の子だろうか。何を言っているのかわからない。何の用でここに来たのだろうか。うーん。


 一向に動こうとしない僕をその子は僕を引っ張って連れて行こうとする。なるほど、移動しろということか。僕は立ち上がって、その子の後ろをついて行く。


 階段を降りて行くと何やらいい匂いがしてきた。予想通り、食事の用意をしているようだ。てことは、僕を食事に誘いに来たということだろう。昼食の準備が出来たから食べに来いってところ。恐らく、シーナは手が離せない状態で代わりにこの子が来たのだろうか。


 ふむ。しかし、弁当はどうしよう。そうだ、ここは一つ……。僕は降りていた階段を振り返って上がっていく。女の子が気づいて慌てたように僕を引っ張る。僕は、女の子の頭をやさしく撫でて「ちょっと忘れ物」と一言告げる。


 当然、日本語の理解出来ない女の子は首を傾げていた。それを余所に僕は部屋に戻って弁当箱を持ってきた。


 そして食堂へ。そこには結構な人数の女の子達が並んでいた。数十人はいるだろうか。どの子も学生っぽい。やはり、ここは学生寮か何かなのだろうか。テーブルの上に並べられた食器の上にはサラダやスープ、果物などが置かれていた。おっと、米らしきものまである。自分の世界にいた時と大差ない食物が多いようで安心した。見た目はちょっと違うけど。


 しかも、食器はスプーンと箸。箸があることに驚きだ。


 そこにシーナが現れて、全員に向かって何かを言っている。まあ、よくある食事前のあれかな。神に感謝的な? などと勝手に想像している。違うかもしれない。


 話が終わるとすぐに食事に取り掛かる女の子達。どうやら、いただきますなんてのはないらしい。そりゃそうか。海外じゃそんな言葉は存在しないし、ウチでも言わないで食べるし。となると、前口上は残さずに食べるようにってところかな。異世界だし、神とかもなさそう。どうだろうか。


 それも自由かもしれないけど。そもそも、食べ物に感謝する必要なんてないのだ。世の中は弱肉強食なんだから。食うか喰われるか。それだけの話だ。感謝しようが、魚や動物を毎日殺していることに変わりはない。感謝しようがしなかろうが、そいつらの生涯はそこで潰えるわけだ。なら、彼らの感情は感謝しようがしなかろうが、恨み以外にないだろう。いや、そんな感情もないままに消えて行くわけだが。よって、僕はそんなのは偽善的で好きじゃあない。


 ここはそういった習慣がないようで助かる。さて、どうでもいいことを考えていないで飯にしよう。僕は持ってきた弁当箱を広げて見る。すると、当然周りにいた女の子は物珍しそうに弁当箱の中身を見ていた。


 中身は昨日の残り物であるカボチャの煮物や、きんぴらなど。肉炒めにサラダ少々。リンゴつき。なんとも普通すぎる一般家庭の弁当だ。


 僕はそれを一掴みして口に運ぶ。この味も当分得られないかと思うと、味わって食べなければいけない気が……しないな。同じメニューばかりで飽きているぐらいだ。


 そういうわけで、僕はこれを周りの女の子に差し出してみることにした。女の子は不思議そうに見つめていたが、やがて恐る恐る手にとって……食べた。


 普通に美味しかったようで、箸はまたも弁当箱へ。それを見た別の女の子が弁当箱に手を出す。周りにいた女の子から伝染していき、あっという間に沢山の女の子が集まって来ていた。そして、これまたあっという間に弁当箱の中身は空となった。


 これには、シーナさんも驚いていたようで。しかし、にこやかな笑顔で返してくれた。ようするに、僕は何がしたかったのかというと。残飯処理を誰かに任せたわけではなく、これを交流の為に使っただけなのだ。ほら、小さい時に知らない人から菓子とか貰って食べたことあるでしょ? 大抵知らない人ってのは、親戚の人なんだけど。それと同じで、食べ物くれる人に悪い人はいない的な……周りが子供だったから通用しただけかもしれないけどさ。色々と都合がよかったわけ。


 で、試したら案の定って奴。後は歌でも歌えば、すぐに仲良くなれるのではないだろうか。シーナさんもおんなじようなことを考えていたようで。食後にホールでピアノ演奏を行い、そこでみんなで合唱した。寮にピアノがあることに驚き。寮なのか知らないけど。


 なんだかんだで、一日はあっという間に過ぎていった。ちなみにお風呂は最初に入ることに。男が最初に入っていいのだろうかと思ったのだけど、深夜に入るような子もいるらしく、(ジャスチャーでオヤスミのポーズをして風呂を指さしていたので、なんとなく判断)そうなってくると、最後とかそういうのも難しくなってくるようで、途中だと鉢合わせする可能性もあるだろうということで、一番最初になった。


 次の日。僕はシーナさんの手伝いをすることになった。昨日も行っていた山菜や薬草集めの模様。僕は見たことのあるタラの芽や山うどらしきものを集めることにした。どうやら、ビンゴのようでこちらでも食べられるようだ。


 それから僕は普段目につくものの単語をシーナさんから教えて貰い、本格的に言語習得を目指すことに。水や食品、トイレ、ベッド……日常生活に必須の単語からだ。


 シーナさんも熱心に手取り足取り教えてくれたので、覚えるのは早かった。


 数ヶ月が過ぎる頃には、僕はすっかりこの世界の言葉をマスターしていったのだった。

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