おいでませ、異世界。
気がつくと、僕は見知らぬ風景の中にいた。落下した感覚があったのに、衝撃がないことに驚いている。それと、どうも落ちてから今現在に至るまでの記憶がないことから、一時的に気を失っていたのだろうか。
しかし、それなら僕は立っているはずがない。そう、何故なら僕は立ったまま気がついたのだ。よくわからないが、そんなことを気にしている場合ではないのかもしれない。
僕は辺りを見渡す。どうやら、森の中にいるようだ。辺りは木々が生い茂っており、鳥の鳴き声や虫の声が聞こえてくる。
どうしてこんなことに? まさか、夢? ……ではないことは、このクリアな視界からもわかることだ。なら、ドッキリか? それこそありえない。だって僕は先ほどまで電車の中にいたのだから。仮に可能だとしても、そんな大掛かりなドッキリを一般人に起こすメリットはテレビ側にないだろうし。
などと考えて見ているが、実は僕にはある一つの予感がしていた。つい先程まで斉藤と話していた内容だ。まさかな……そんなはずはない。さすがに僕もそんな現実味のないことを信じているほど愚かではなかった。
では、拉致られたとでもいうのだろうか。それなら、こんな仁王立ちで目が覚めることがおかしいということになるが……。縛られてもいないし。
考えてもわかることではない。とにかく、この森を抜けてどこか街を探さなくては。こんなところで野宿するわけには行かない。幸いにも弁当を持参しているので、今日一日ぐらいはなんとかなりそうだが。水筒もあるし。
その時だった。ザザッと物音が聞こえて来たのは。
瞬間的に僕は姿勢を低くした。そして、その場に立ち止まる。妙に落ち着いていた。ここは森だ。野生のオオカミやクマがいるかもしれない。僕はゆっくりと、姿勢を低くしたままで音のする方向に歩み寄った。もちろん、木の後ろなどに隠れながら。
ゆっくりと、顔だけを動かして様子を見る。そこには……大きな荷物袋を背負った、女性の姿があった。
女の人……? よかった、話しやすそうだ。男だと警戒されそうだし、どんな人物かわからないからな。こんな森の中だし。
僕はゆっくりと女性の下に近づいて、声をかけた。当然、女性の方は驚く。少し警戒しているかのような素振り。当然だろう。こんな森の中で突然知らない男が声をかけて来たんだ。警戒しない方がおかしい。
「あ、あの。すみません、少し聞きたいことがあるのですが……」
と、尋ねてみたのはいいが相手はポカーンとしていた。どういうことだろう。その答えはすぐにわかった。彼女の目の色だ。緑色をしている。髪の毛が茶髪だったから、油断していた。どうやら、彼女は外国人のようだ。日本語が理解出きなかったのだろう。まさか、カラーコンタクトではないと思うけど。
『あ、あの。すみません、少し聞きたいことがあるのですが……』
今度は英語で聞いてみた。これなら、通用するだろうと思っていたのだけど……。
「エルデ・ラキナロ・ネデ・ソナタ?」
な、なんだ? 何を言っているんだ? どうやら、英語も通用しないようだ。困ったぞ、これは。何語かわからない……。こんな言語あったか?
英語の通用しない国というのは意外と多く、珍しいわけでもないのだが……さて、どうしたものか。
相手を待たせれば待たせるほど、不信感を募らせてしまうのは明白だ。とにかく、言語がわからないことをジェスチャーか何かで教えるしかないと僕は判断した。
そこで手を口元に持って行き、グーパーグーパーしてさらに両手でバツの字を表した。それを見た女性はどうやら、理解してくれたようだ。手を頬に当てて困った素振りをする。
すると女性はある方角を指差し、自分の胸に手のひらを当ててその後にこっちに来いというジェスチャーをした。ようするにあの方向に進むからついて来いということらしい。
どうするか一瞬迷ったが、ここにいてもどうにもならないし、この辺りの地理に詳しい人物に案内して貰った方がいいのは間違いない。問題はこの女性が危ない人じゃなければの話だが。ぱっと見はそんな感じではない。にこにこときさくな笑顔で、こちらを見ている。逆にそれが怪しいともいえなくはないが……なるようにしかならないか。行こう。
僕は女性についていくことにした。しかし、どうして僕はこんなところにいるのだろう。本当にわけがわからない。不思議でしょうがない。頭がどうにかなりそうだ。人間、本当に驚いた時、意外と冷静というか。慌てたりしないものだなと思った。それよりも、頭が真っ白になる感じ。変に騒いだりはしない。ま、それは人によるかもしれないが。ギャルとかだと大騒ぎしそうだし。
道なりに森を進んでいく。見たことのないような虫がわんさかいる……最悪だ。僕は虫が嫌いだ。見るのも嫌だ。こんな森の奥にいつまでも居たくない。彼女は時折振り返ってこちらを見る。ちゃんと付いて来ているかどうか確認しているのだろう。
「はぁ……」
思わずため息が出てしまった。どうして僕がこんな目に。誰もがこの場にいたのなら、そう思うであろう。そんな憂鬱な気分にいる僕とは裏腹に、軽く鼻歌交じりの彼女。陽気な人だな……。あの大きい荷物袋はなんなんだろう。あれかな、山菜とか薬草を摘んで入れる為に用意したものとか。
そしてあの大きなお尻につい目が行ってしまう。思春期の男なら仕方がないと言える。こんな時だというのに、そういうことには敏感というか。我ながら悲しい。
そんなことを考えながら、どれぐらい過ぎたのだろう。ふと腕時計を見ると電車の中にいた時から三十分ぐらいが経過していた。それほど経っていない所を見ると、やはり意識がなかったのは、落ちてからここに来るまでの一瞬だったってことだろうか。
そうだ、携帯。僕は携帯を開いて見る。電波は……届いていないようだ。ネットも使えない。現在地も表示されない。当然、電話も繋がらない。少なくとも、日本ではないことがこれでわかる。
認めたくないが……これはそういうことなのだろうか?
三十分で海外に移動出来るわけもないし。しかし、ありえるのか。そんなことが? ……まだ判断するには、早い。とにかく街に着いてからだ。考えるのはその後にしよう。
淡々と森を歩き続けてさらに十五分ほど過ぎた頃、ようやく開けた場所に出たようだ。さらに進むとすぐに砂利道となり、牧草地へと差し掛かった。左手には湖らしきものも見える。
小屋が立ち並び、牛が寝そべっている。その近くで女性が何やら作業をしているようだった。こちらに気がついてお互いに挨拶を交わす。後ろにいる僕を見て非常に驚いているようだった。当然か。明らかに風体がおかしいもんな。ここにいる人たちの服装は中世辺りの頃にありそうな服というか。いや、外国のことについて詳しくないからよくわからないけどさ。
小屋を通り過ぎるとようやく大きな町並みが見えて来た。人通りも多くなって来たんだけど……女性ばかりだ。男が一人もいない。どういうことだ? あれか、男は出稼ぎに出ているとか、狩りとか。たしか、そういう習慣がある村とか街があった気がする。そういうことなのだろうか。それぐらい見ない。いや、一度も見かけていない。
そりゃ僕の姿を見て驚くわけだ。男がまるでいないのだから。服装もそうだが、その関係で余計に目立っているみたいだ。
街の中に入ると、何やら手を光らせて作業をしている人や何かを手や杖から飛ばしている人、空を飛んでいる人までいた……。これはもう、間違いないだろう。僕の予感はついに確信へと変わっていったのである。
──ここは、『異世界』なのだと。
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