サイファーは遺伝的アルゴリズム 壱

 四月。五月。六月から七月。八月。九月に十月。十一月の次が十二月。それから、それからその先は何だっけ。何月だっけ。



 僕は七度目の分岐点にいた。神の幻惑とは僕に夢を見せることだった。いくつもの可能性を僕に示して諭し、この世界の素晴らしさを説くのだ。神の惑せる分かれ道は一つじゃない。道は扇状に放たれている。そしてその先もさらに分かれている。久朗津、君の行動次第でこの世界は自由に変えられるし、間違えてもやり直すことだってできるのだと説くのだ。世界全体をどうこうできるわけではないが、少なくとも僕の及ぶ範囲はどうにでもできる楽園のような世界。その代償に示すのは神への信仰だけ。



 それだけでいいのだ。



 だがもう僕は道を選ぶ必要はない。選ぶことはない。もしもの世界をいくら夢想したところでそれは逃避でしかないからだ。もう僕は十分逃げた。いつまでも同じ時間にいることは許されたことではない。僕の知る限り時間というのは常に進んでいるのだから僕もそれに合わせるしかない。



「白道は二十八に割れ 予定調和は ディストピアか ユートピアか」



 自由の利かない理不尽で不条理な世界で生きるために僕がしなければいけないのは暗号を解くことである。暗号で始まったこの世界は暗号で終わるという非常にわかりやすい構造になっているらしい。



 僕が学んだ限り、暗号というのは暗号文を平文と言い、それは特定の鍵をヒントとして使用することで解けるのが基本的なスタイルである。最後の暗号はここまで四つ……いや、三つしか出ていない。あれ、なぜ僕は四つと口にしたのだ。確かめるように、僕は順番に口にしてみる。



「現在が全てで 過去は不要か さすれば未来は 何処に」



 これは皮肉だろうか。理想の世界、つまり久朗津と芽虹が共に居る世界を得るために奔走した世界を、確かに僕はなかったことにしようとしている。もちろん、願望だけを言えば僕は芽虹のいない世界にはいたくない。いる世界の方がとてもうれしいし、幸せの何かが分かるかもしれない。でもそれはもしもの世界であって、過去にこだわって執着しているだけだ。過去から学ぶためのもの。繰り返すべきか、そうでないかを学ぶための時間。過行く時間の中に置き去りにしたくないものは手にもって運べばいいのだ。壊れないように。壊さないようにして部屋にでも飾っておくのだ。そうだな、写真立てに入れるのがいいかな。きっと、一人で立上る時の支えになる。


「あと、一つは――」


 神も暗号は四つあればいいと言っていた。また、もうすでに四つ目を手にしているとも取れることを話していた。僕にこの三つの暗号が示されたのは、二杯目、三杯目と六杯目だ。きっと、どこかで、目にしたはずなんだ。五月の映画だろうか、それとも六月のプラネタリウムか、それとも七月の海水浴か。八月の変死事件、九月の雨宿り、十月の紅葉狩りだったろうか。必ずどこかに示されているはずなのだ。神はそんなアンフェアなことはしまいから、僕が見落としているだけ。映画の一幕、星に纏わる神話の数々、芽虹の焼き付いて離れない水着姿、神が自ら出てきたあのアパート、豊平峡ダムか温泉のおじいさんとの会話に――。


「鍵は」


 そういえば、鍵は何だろうか。まだ僕は確からしい鍵をまだ見つけていない。暗号文が四つであること、そのうちの三つは示されたが一つは見失ってしまっている。僕が得ているのはこれだけで鍵については何もない。再び僕はもしもの世界に飛び込み、幸せを追い続ける久朗津を見なければいけないのか。



 七杯目の最後のキュラソーは解読の時間だと思っていたのだが、こうして道が目の前に広がっているところをみるとそうではないのかもしれない。無限に広がっていると聞くと僕は、なんでもできる可能性が広がって夢にあふれてるどうしようとはどうにも思えず、いつもその大きさに怯え、臆してどれを選べば正解か、正しいのか、本物か、効率的でより良い将来のつながるのかわからないのに選べるわけがないと選べなくなり運命に屈することが多い。あの時あれを、これを、それを、どれを選んでいればよかったのかなんて思考を消えてなくなってしまった可能性の僕と共に巡らせて輪廻まわす。



 そう、これが僕だ。



 運命を変えるなんて僕らしくもない。芽虹が運命に屈したなんてとんでもない。芽虹も僕と同じく運命に従ったのだ。



 神は僕が調べてこの世界を知ったことを理解したうえでこの暗号を出している。僕が最後の一杯が解読時間だと思ったのは、これが僕の初めての選択である選択肢を得るための時間だと思ったからだ。ならば暗号の先にあるであろう神の示す選択肢は二つに一つだ。

 



 この世界に残ってもしももしかしたらの世界に残るのか。


 それとも、運命に従うだけの神のいない世界で生きるのか。




 僕は、久朗津知士は後ろを向いた。前にある数多の可能性の世界を否定した。そして、過去を見つめなおした。後ろにずっと僕のことをつけまわしてきた過去を見直した。そこには芽虹がいた。芽虹の姿をした神様ではない、僕のよく知る芽虹だ。最後の暗号は芽虹の上に浮かんでいた。


 いや、初めから僕の後ろにあったのだから最初の暗号か。




 暗号:サイファーは遺伝的アルゴリズム



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