結ど≪モウイチド≫
僕はたくさんの人混みの中にいた。僕が立っていたのは病室の入り口だった。「九石さん、九石さん、しっかりしてください、九石さん」奥のカーテンに仕切られた所から声が聞こえる。必死な呼びかけが聞こえる。そこは僕から死角になっていてよく見えなかった。おそらくあそこにはベッドがあるのだろう、ということは部屋の造りからなんとなく分かった。そしてそこには「九石さん」と呼ばれる患者がいる。白衣の看護師が激しく出入りしている様子から事態は深刻であることが窺える。「——を、急いで」様々な指図が患者の近くにいる一人の男性から発せられる。その度に人々の速度は加速し、残像が見え始める。音が段々と遠くなり聞こえ辛くなる。僕が見ているそれはいつか見たような光景で、どこかとても寂しく感じるモノだった。忙しなくすれ違う人々は僕にぶつかっているはずなのに感触がなかった。通り過ぎるというよりすり抜けていく。幽霊が通るように。風が通るように。僕の体を通り過ぎる。
僕は後ろのほうに引力を感じて引っ張られる。目の前の病室は一つの絵となり、その額縁はすぐに見えなくなった。自然と成り行きか辺りは暗くなり、僕の体は上と下へと引っ張られた。苦しさから思わず手を首にやり、悶え目を瞑る。にっちもさっちも行かなくなった時、薄ら開いた目からは畳が見え始める。どこかの一室のようだが、見覚えが全くない。知らない部屋だった。やがてこれも成り行きか、苦しさから解放される。首を締め付けていたロープが消えた。痕すら残さずに消えた。残ったのは気持ち悪い汗だけ。先程の光景もまた額縁が付けられて一枚の絵のようになっている。僕は僕が死に逝く絵面を眺めているのが不思議だと久郎津は思った。あそこで起きている事は自分の身に起きたことで間違いなく、それなのに他人事のように思える。だから不思議だと思った。
「よう、兄弟。お前の死因は何だ?」
後ろからの呼び掛けに焦って振り返る。そこには一人の少年がいた。短髪で前髪が少し眉にかかる位まであって、身長は百七十センチ前後。ようやく二十歳を過ぎた頃合いの少年としか呼べない男を僕はよく見たことがあったし、見間違えることもおそらくない。
久郎津は久郎津に出会った。
それは僕にとって当然の成り行きだったに違いない。これはドッペルゲンガーでもそっくりさんでもない。人違いでも見間違いでもなく、久郎津は間違いなく久郎津に出会ったのだ。
あまりにも暗い空間であったため、目が馴れるのに時間が掛かった。そのうちではあったが久郎津はこの部屋に複数人いることが分かった。つまり、久郎津は一人ではなかったのだ。既に久郎津は久郎津に出会ったのだから一人でないことは当然なのだが、ここで言う複数というのは出会った久郎津の人数のことである。目を擦らずとも暗闇の中には優に数百を越えているようであることは明白だった。そしてその全ての人間が久郎津であることもまた、確からしいということは明らかなのであった。
「驚かないのだな」
手前の方の久郎津が口を開く。
「随分と耐性が付いたものだ」
そう。久郎津はこの光景を目にして驚かなかった。不思議には思ったが驚きはしなかったのだ。寧ろ納得した位である。幾度となく死んでいった気がした久郎津だったが、あれは夢ではなかったのだから。きちんと死んだ久郎津はここにいたのだから。
「何度も繰り返しになるだろうけど、説明してもらっても良いかな? 兄弟」
「もちろんだとも」
久郎津から見て右側の久郎津が答える。
「僕らはそのためにここにいる」
急に周囲が明るくなった。だがそれはスクリーンが作動したからであって、未だこの空間は薄暗かった。僕の回りをゆっくりと回転するスクリーンはまるで映画のフィルムのようであった。場面毎の回想が切り貼りされたスクラップブックを眺めている。それに近い感覚での僕による僕のための僕の解説が始まった。
「時系列を追って話そう。僕らが共通しているのは恋文の返信として暗号を受け取ったところだ。それ以前と以後で皆違う人生を歩んでいる。そこだけはどの久朗津も同じだ。差異が僅かであれども、最終的な結果が同じだとしても、僕らはそれぞれ別の人生を歩んでいることになる」
流れているスライドが急に速くなり、一枚の絵が目の前に停止する。一人の久朗津が僕に近づいて話を続ける。
「君の告白後の話から始めよう。君の場合、暗号を解読してから三日後に【Bar・Omikuron】を訪れている。芽虹の容体が急速に悪化したのが来店の理由だ。芽虹は一命は取り留め、落ち着いたものの君は自分の情けなさを嘆いたんだ。何もできなかったからね。病室の外に追い出されて邪魔者としか扱われなかった。近くで手を握ることさえも許されなかった。そうだろ?」
聞かれて素直に頷けなかった。確かにそのような理由で来店したような気もするが、別な他のより深刻な事態だった気もしたからだ。
「その後、酒に頼って溺れて、眠って、頭痛と共に起きた。ここで君はスピカさんに痣の話を持ちかけている。過去の僕らの記憶が混ざっている証拠だ」
過去の記憶? 久朗津は疑問に思ったが黙っていた。
「それから君はマスターに自分を心配して訪ねて来た人々について尋ねた。その回答から君はタイムリープを確信している。いや、我ながら実に見事な推理だと思うよ。ここまでで、この現象に気付いた〝久朗津知士〟は十人ちょいだ。君はその一人に含まれるのだから優秀な久朗津ということになる。よかったな、君は優秀だったんだ」
「話を進めてくれ」
久朗津はすこしいらついてきた。僕はこんなにも面倒な奴だったのだろうかと疑うぐらいにいらついていた。
「もっと簡潔に説明してほしい」
「分かった」
僕ではない久朗津が返事をする。スライドショーはすぐさま姿を眩まし、その代わりに四枚のパネルが出てきた。一枚目が謎の光で輝きだす。
「君は泥酔後、一度目を覚ましタイムリープ説を言い当てた。そして頭痛のため再び就寝した」
二枚目。
「翌日君は九石賢介の会社に呼ばれ、花束を渡される」
三枚目。
「花束をスピカさんに託して会社を出る。君は自転車を盗んで病院に駆けつけて号泣」
四枚目。
「自販機で飲料を購入後院長に声を掛けられて別室へ。そこで君はスタンガンを喰らって失神。後に殺されて処分される。君の人生は以上だ」
「芽虹は……」
「容体が悪化して急逝。君はさっきその光景を見ていたはずだけど?」
先ほどの映像は僕の死後、現実世界で起こった出来事ということか。
「吊るされて殺された僕は……痣を負ったスピカさんは……」
「〝久朗津〟は実に様々な殺され方をしているからね。君の言っているのは自殺に見せかけることで遺体を処分する手間を省いた時のだな。半分ぐらいはこの殺害方法だった気がする。他には刺殺、毒殺、溺殺とか割とオーソドックスな殺しが多かった。刺殺は少ないほうだ。久朗津が推察を進めて果敢に探偵ごっこをしていた時が殆ど。久朗津の行動次第で殺害方法は様々なものに変わっていた。君が死んだような既視感を感じていたのはそのせいさ。——ここにいる〝過去〟の久朗津の記憶だ」
ここまで経緯を話す久朗津の後ろには相も変わらず多くの久朗津がごった返していた。これだけの数だけ僕は死んで行ったというのか。数百、数千、数万回……。そう、僕は久朗津の数だけ繰り返してきたのだ。
途端、後方が輝いた気がして僕は振り返る。そこには先程まで何もなかったはずだが、池が現れていた。池は赤外線や紫外線を浴びたかのように煌いていた。そこへ一人の少年が近づいていく。
「あれが君だ。君だったモノだ」今度は違う久郎津が話し出す。「これから新しい久郎津が生まれる。それからleap《超越》が始まる。loop《繰返す》のだ、もう一度」
淡々と進む彼はそのまま池の中へ歩いて入っていく。頭の先が見えなくなったとき、雷が落ちたかのような閃光が迸った。その閃光に眩しさはなく、その光はこちらに届くことはない。池に落ちるためだけの輝き。それから数秒後、水面が僅かに波立ったと思ったら池は収縮してしぼんでしまった。萎んで消えてしまった。消えた跡には一人の少年が立っていた。言うまでもなく久朗津である。
「23468番目の久朗津だ」
また違う久朗津が僕に話しかける。
「僕らはこれから何をするの?」
僕は感情をこめずに、素直な声でフラットに言った。
「これからの久朗津を見守るだけさ。死人に口なしってね」
23468番目の久朗津はやがて小さな点になって見えなくなった。
これからあの久朗津は告白から三日後のあの世界に行くのだという。引き継がれる記憶がどの程度なのかというのはここにいるどの久朗津も分からなかった。僕がそうであったようにあいまいで不確かに思える確かな記憶を持って送り出されるのだ。誰の思惑かさえも理解しないままにもう一度久朗津は繰り返す。
繰り返される運命の輪廻からの解脱を試みるために、モウイチド。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます