第三話 「虹色のカクテル」

未来は赤く≪スベカラク≫

「えー、最近、木星で発見された軟体生物が何かと話題ですねぇ。私も最初テレビで聞いたときは驚きましたし、同時に感動してしまいましてねぇ。何せ、我々人類初の地球外生命体ですからねぇ。興奮と興味がそそられると同時に、恐怖も覚えてしまいますねぇ。なによりもすべてが未知すぎて、それ故の――」

 

 宇宙科学の講義だった。僕の受けている講義の中で数少ない興味をそそられる科目なのだが、他人の話どころか自分以外の何も受け付けず、認めないような精神状態だった。

 

 九石芽虹が急逝してから二週間ほど過ぎていた。それは僕の手帳の栞がその日から一歩も動いていないことを確認してようやくそれだけの日数を過ごしたのだと実感できていた。



「おい、おいクロ。クロってば」


「……ん。ああ、悪い。何だ?」


「大丈夫か? クロ。そりゃぁ、ショックなのはわかるが、お前がそんなんじゃ芽虹ちゃんも悲しむぜ」


「ああ、まあそうなんだけどさ」


 大学の講義というのは教授によってその雰囲気や空気感。形式、自由度、出席率が大きく変わってしまう。特に文系のちょっとだけ良い私立の大学なんかに通っている僕なんかはこれが顕著に表れている。この大学での生活も既に二年目だが、一年目で付いてしまったクセはなかなか抜けない。恐ろしいもので、こんな精神状態であっても宇宙科学での習慣はまだ抜けていなかった。


「いつもみたいに、バカ話してようぜ。その、気晴らしぐらいにはなるだろ?」


「――ありがとな」


 僕は見ず知らずの友人に感謝した。この時間の、この講義だけでしか顔を合わせない友人ではあるが、人の情に僕は頭が上がらなかった。


「そういや、クロは聞いたか? あの、金髪おっぱい姉ちゃんの話」


「……ん? 何、それ」


「何か今日朝から金髪ロングヘアーの胸のでっかい姉ちゃんが食堂や喫煙室にいるんだよ。話しかけた奴によると、誰かを待っているらしいぜ。オミクロンとかいう酒屋で働いてるらしいんだけどな、クロ聞いたことあるか。俺はさっぱりでさ、いや、俺もだいぶすすきのには詳しいつもりでいたんだけどな――ってクロ?」


 

 スピカさんか。僕は別れの挨拶をしてから席を立ち、リュックを方肩にだけ掛けて教室の戸を開けて目撃情報のあった食堂へと向かった。自販機で紙コップの珈琲を買って、髪の色だけなら大学生に紛れた彼女の隣に座った。


「なんです? わざわざ依頼するような事件も暗号も、もう僕の手元には残っていませんよ。なにも」


 スピカさんはこれまでとは違う雰囲気に感じられた。それは短く切った髪のせいだけでなく、全くの別の人生を送ってきた僕の知っているスピカさんではない気がした。


「午後六時に小鳥の広場横のロッカー前に行きなさい――君が君を呼んでいるよ」


 スピカさんはそれだけ言うと席を立ってどこかへ行ってしまった。僕は声を出そうとしたが、その時には影も匂いもなかった。


現在時刻は午後四時。まだ二時間もある。






 ***







 指定された場所は小鳥の広場横のロッカー前。ここに僕のよく知っている人物が来るのだと言う。あと一分と少しで十八時だ。芽虹を失った僕は自分が嫌いになっていた。芽虹のいないこの世界は意味がないとか、いきる理由がどうとか、活力とか、とかとか。執着がひどかった。それが全てでそれ以外のことはどうでもいいのだと、呆れるほどの精神状態だったのだから、何か不思議なことでもすぐに信じてしまったのだ。



「久朗津知士は立ち止まることを許されない」



 僕によく似た声だった。十八時ちょうど、僕の隣にいたのは今の僕よりも髪が長い男だった。その長さは耳が隠れるほどで、今の僕の一・五倍くらい。何か秘めていそうなミステリアスな雰囲気は印象を大きく変えているが、それが僕であることは紛れもないもので、寸分違わず僕であった。



 久朗津知士だった。



「ようやく会えた。未来からピンポイントで来るのは、やはり分かっていても苦労したな。さあ、芽虹を救いにいこう」



 救うって――。芽虹は死んだのに、それでも救うことができるっていうのか。僕は僕の――つまり自称未来の久朗津の言うことが信じられなかった。


「そんなことができるのか? 芽虹は生き返るのか?」


「さすがに死者の蘇生はできないな。僕は未来人であって神じゃない」


 ということはーー。


「この時代はまだ輪廻の最中だ。確かに今までのやり方では運命を変えられない。どう抗っても運命を変えることはできない。それがこの世界の摂理」

 

 未来の久朗津は僕の額に額を重ねた。僕が芽虹に告白してから今日までの軌跡が記憶として流れ、未来の久朗津の声は僕の中に入り込み始めた。


「だったら作ればいいじゃないかと言うのが俺の考えだ。運命を変えられないなら作ればいい。内部からは無理でも、外部からの干渉なら世界は変えられるし、導ける。もう繰り返すんじゃない。今ここにいる久朗津が作っていく。今の久朗津が作った自分の時間で今の俺――つまり君から見て未来の久朗津が生きているってことさ」


 僕は素直にこの言葉を信じた。きっと僕がこの久朗津と出会うのは必然で、ここに未来の僕がいることが何よりの証拠に思えたからかもしれない。


「この数日、既視感がすごくて、だから何か起こることは分かったんだ。だけど分かってもなにもできなかった。きっと今までの過去の自分もそうなんだろうね。芽虹を助けようと、メッセージを正確に受け取ろうと必死になったけどそれはいつも何か大きなものに降り下ろされて繰り返させられていた。それがデジャブの正体だったんだね」


 未来の久朗津は僕から額を離して微笑んだ。


「さあ、自分を取り戻しに行こう」



***



 病院のベッドは何か薬のにおいがするようで、鼻がツンとなる。個室のカーテンは閉められていて、外の明るさは布越しに辛うじて感じられる程度だった。加湿器を置き忘れたのだろう。すごく乾燥している。それでも温かみを感じられるその一室には九石芽虹と久朗津知士がいた。この時の久朗津は今まさに告白の真っ最中だ。入口の隙間から時間を遡った僕と未来――今後未来の久朗津を未来と呼ぶ――はその様子を覗いていた。ちなみにタイムトラベルの方法は秘密だという。実際、僕もよく分からないままに連れてこられたので、説明できないのだけど。



 二人の様子を見ていると、自分の口の動きから自分が芽虹になんて言っていたのかが思い出されて、ちょっと恥ずかしくなった。やがて芽虹は一枚の紙を輪廻の久朗津――未だ運命の螺旋から抜け出すことができず、繰り返し同じような自分を生み出すことしかできないような久朗津を、これからは輪廻の久朗津と呼称する――に渡した。一言二言言われて、輪廻の久朗津は不安と期待が混ざった表情を浮かべ、また笑って立ち上がった。



「ああ、わかったよ。絶対に、必ず、この暗号を解いてみせるよ」


「やべ、来る」


 僕らは病室とは逆方向に歩き出した。病院内の通行人を装って歩きながら、輪廻の久朗津が逆方向に歩いて行ったことを横目で確認すると病室に戻ってそっと覗き込む。すると、なんと芽虹がこちらを見ているではないか。どうやらバレていたみたいだ。


「失礼します……」


 手招きされては、これを無視することはできなかった。何もかもが懐かしさを帯びていて、そこに芽虹が居るというだけで震えが止まらなかった。未来に背中を押され続けてようやく芽虹の横に立つ。芽虹はベッドに横たわっていたが元気そうだった。手術後のあの時の芽虹のようだった。


「クロなの?」


 僕は涙を一度ここではない別の次元に放ってから答えた。


「そうだよ」


 芽虹は不思議そうにはならなかった。さっきまで僕と会話していて、そうしたら部屋の外から僕が覗いているのだ。不思議に思って当然だと思っていたのに芽虹はこんなことを言った。



「なんか不思議。前にもあなたに会ったことがあるみたい。クロなんだけどクロじゃないクロ」



 ベッドに手を付いていた僕の頬を芽虹は優しくなぞってくれた。僕の存在を証明してくれた。すすり泣きをやめて泣きながら僕は顔を上げて宣言する。



「芽虹、聞いてくれ。君はこのままだと死んでしまう。病気とは全く関係のない何か、その、そう、大きな運命に殺されるんだ。だから僕はこれからその運命と戦いに行く。君を救って、僕も自分の時間を生きられるように取り戻す。だから、全部終わったら」



 僕はニコニコと笑顔をくれる芽虹に、確かに、ここに誓った。



「お酒を、おいしいやつを飲もうな。いい店知ってるんだよ、そこは見つけにくい店なんだけど、マスターがいい人で、かっこよくて、優しくて――」



 僕はこの時にもう手にしたのだ。



「――だから、そこで芽虹の退院を祝おう!」



 僕は病室を出てからすぐに開店前のオミクロンに行き、マスターに事情を話した。なぜか納得したような顔をされたが、それも既視感のせいなんだろうと、違和感を閉じ込めた。未来の僕は輪廻の僕に【Bar・Omikuron】を紹介した。こうして、時は輪廻の久朗津が初めの告白の返答暗号解読へと進む。


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