三月十一日 十五時四十一分 ユウグレ
私たち軽音楽部の部室は四階にある。アンプやドラムセット、マイク、スピーカー、ミキサーなどは地下一階の練習室にある。ジャズ研究会などの練習室もそこに隣接していて、交流もあって仲が良かったりする。四階に向かう途中でジャズ研究会の部長と鉢合わせしてお互いにびっくりしたけれども、すぐに笑いあって今日はどうしたの? と互いに近況を聞きあう。私は部室に行くと言い、部長の彼女はこれから講義だという。軽く手を挙げてそのままハイタッチして私たちは別れた。三階と四階の間の踊り場にて細長い白熱灯の左右に書かれた三と四の数字で現在位置を確認。最後の階段を登り切り、向かって左側すぐにある扉を叩いた。分厚い扉で小さくなった隼人の返事が聞こえた。
「遅くなってごめん。待った?」
「いや、僕も十分前に着いたばかりだから大丈夫。
そのハジメは部にある大きなホワイトボードに何やら紙をたくさん貼っているところに矢印を引っ張っていた。私の記憶が正しければそのボードには部の行事の際に取られた写真が貼られていたはずだ。少し羽目を外して楽しんでいる笑顔の私たちが映っているのだ。きっと、ひっくり返して裏を使ったのだろうと私は思った。マッキ―などの黒インクではない汚れが斑に見受けられたからだ。
「悪かったな、急に呼び出したりして」
「いや、全然大丈夫だよ、うん。それで……その、それは何?」
一は隼人と私に一度ずつ視線を送ってから話し始めた。
「二人とも探偵のリュウって人からメールはもらっているよね」私たち二人はばらばらに頷く。「この人は夕暮の知り合いのエレクトラさんと同じプレアデス探偵事務所に勤務しているそうなんだ」
隼人はボードに書かれた〝プレアデス探偵事務所〟のところを指した。そこには上から順に
・メロウ
・エレクトラ
・アルキオーネ
・アトラ
・マイ
・タイガ
・アステロ
と書かれていた。
「これはその事務所にいる探偵の名前だ。もちろん、名前といってもこれは呼び名であって本名じゃない。ここで重要なのは、この中にリュウと呼ばれる探偵がいないことだ。そして、俺は今日そのリュウに会ってきた」
「えっ、それほんと!? そしたらこの人誰なんだよ」
「おお、それで、それで?」
一はプレアデス探偵事務所と丸で囲われた範囲の外に書かれているリュウの文字に下線を引きながら言った。
「このリュウってやつは自分から漢字で表すと〝柳〟だ、とも言ったんだ。〝龍〟ではなく、〝柳〟だって。さらに不審なのがこいつが送ってきた事件の新聞記事。確かにすすきので起きた痛ましい事件だが、報道はせいぜい道内ニュースに留まっている。お茶の間の空気を悪くはしたが、世間を騒がせるほどの大ニュースにはならなかった。そんな事件がどうして先輩が俺らに送った暗号と関係があるのだろうか、っていうのが一番の疑問だと思う」
隼人は激しく首肯していた。私はなんか面白そう、と話の続きを促した。
「柳と書いてリュウって読むってことは、中国人かもしれないと俺は思うんだ」
「中国人? なんで?」
私は意外過ぎる展開に思わず口をはさんでしまった。しかし残念ながら、そこまではまだ一も考えていなかったようだった。
「中国人……っぽいから? ――えっと、そんなことよりもだ。暗号、解けたか?」
ハジメは無理やり話を捻じ曲げた。
「この暗号と一年前の事件。さらには中国に関する何かが密接に関わっているはずだ。きっと暗号を解けば先輩がなぜこんな無関係そうなことに関わる暗号を作ったのか、どうして直接ではなく暗号である必要があったのかが分かると思う。あと、」
立て続けに話した一は一瞬躊躇ってから言った。
「こういうの、少しわくわくする」
私は笑みをこぼした。隼人も笑っていた。私はこの妙にくすぐったくてどうしようもないほど号哭な空気を感じて、それだけで先輩の意図はすでにここにあったんじゃないかなって思った。一はよく、『言葉は嘘をつく。だけれども音楽は、いや、音は嘘をつかない』『下手に弾けば下手に鳴るし、色っぽく弾けば色っぽくなる』みたいなことを言っている。他人をなかなか信用できない一らしい言葉だ。普通の人は一が開けた距離をそのままにしておくけれど、それこそ先輩のように優しい人はどこか目を掛けてくれていて、その距離をわざわざ詰めて話し相手になってくれたりする。私は暗号っていうのも一つの方法なのかもしれない、なんて考えていた。
「はい。一つ目と二つ目」
「僕のはこれ」
私と隼人から暗号のカギを手にした一はそれを見て少し考え、それからボードに書き始めた。
1.ルベウス
2.アルデバラン
3.ベヒーモス
4.セア
5.イフリート
6.シェオル
「ルベウスは宝石のルビーのこと、若しくは赤のこと。アルデバランはおうし座の一等星、ベヒーモスはえっと、旧約聖書に出てくる怪物。セアは不明、イフリートはアラビア伝承に登場する魔人。シェオルは黄泉、ハデス、陰府などに相当する、いわゆるあの世のこと、か」
ようやく暗号の鍵が揃ったわけだが、私たちはまた悩みこんでしまった。正直、ここからどうしていいかわからず、手が宙で拱いていた。私はとりあえずこのボードをカメラで撮ってスマホの中に収めた。時間は早くも十七時に迫っており、私たちは少し早いけどバー・オミクロンへ向かうことにした。開店前の時間、マスターは私たちに特別に貸し出してくれることになっていた。もちろん、暗号解読のため。少し早い夕飯を途中で取ってから行き、到着早々ここまで調べたことをマスターとエレクトラさんに話した。すると、これを聞いたエレクトラさんはこう言った。
「その話が本当なら、ちょっと慎重にならないといけないね。だって、その〝リュウ〟が一年前に殺されたタクシー運転手なんだから」
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