現在が全てで 過去は不要か さすれば未来は何処に 弐
その時は、夏休みの真っ最中であったため、地下鉄内は小学生の親子連れが多く見受けられた。これから一体どこへ行くのだろうか。映画を見に行くのかもしれない。博物館へ行くのかもしれない。友達と会って遊ぶのかもしれない。ドームのイベントに行くのもあるだろう。いずれにしてもそれらは自分には関係のない事に思えて、そして全てが久朗津にはこの世の出来事には思えなかった。自分が生きているそれは嘘であって久朗津が死んだという奇妙な方が本当なのかもしれない。もしかしたら自分が今生きているということ自体が奇妙なのでは。久朗津はどうにかなってしまって叫びだしそうだった。
五件目のメールが来たのだ。今回の事件では久朗津は変死体となっていた。犯人は依然逃走中で、今回は人物像も不明だという。そう、今度ばかりは芽虹が明確には関わっていないのだ。今までは久朗津が何らかの形で死に、芽虹は犯人であった。よって久朗津はこれは現実を帯びた夢に近い何かだと思っていた。久朗津と芽虹のことと言えば、忘れたくても忘れられない【Bar Omikuron】から始まる繰り返しの日々を想起させる。そして、今回はまるで久朗津が死ぬ運命から芽虹が救うために翻弄されているようだった。もしもこの過程が成り立つのだとしたら、久朗津の立場はどういう立ち位置になるのだろうか。久朗津は未来から来たのだと名乗る久朗津に助けられて今の時間を生きることができている。だけれど、久朗津が今生きている世界と芽虹が生きている世界が同じとは言い切れないと、この事件に遭遇してから初めてその可能性を考えた。さらにこの仮定を強める要因が久朗津が感じていた誰かに見られているという感じだ。この世界も輪廻と呼ばれる
西二十八丁目で降車し、エスカレーターで改札へと向かって出口から出る。永遠に停滞していたかのような熱風と化した空気が、より一層の熱と共に久朗津を襲った。
「あっついな……」
近くの交差点を渡り、一方通行の車道を逆走して突き当りを左へ。左手に見えてきたアパートが今久朗津が住んでいるアパートであり、連絡が取れた芽虹と待ち合わせた場所である。芽虹は合鍵を持っているのでもしかしたら先に着いて待っているかもしれないと思った。
「あっ、鍵、閉まってる」
久朗津はズボンのポケットから鍵を取り出して、ドアノブを回した。玄関には靴があった。白に少し黒の入ったスニーカーだった。
「――芽虹? 来てるの?」
久朗津は靴を脱いで居間へと足を踏み入れた。居間には芽虹が座っていた。芽虹は黒のワンピースというか、ミニドレスのような服を着ていた。肩を出したその少し魅惑的な服装は、久朗津に違和感を覚えさせた。いくら夏の暑さが鬱陶しくなったからと言っても、いくら可愛い服だと久朗津に言われたいと言ってもこの服装は違うと久朗津は感じた。服装だけじゃない。髪型だってそうだ。普段、結ばずにそのままストレートに肩に掛けている髪は左右が結ばれている状態、いわゆるツインテールになっていた。左右の房は耳元で静かに揺れて、芽虹はこちらを見た。
「おかえり、クロ」
「ただいま、待たせてごめんね」
久朗津は極めて冷静にあろうと努めた。それは相手が平静で久朗津と話しているというのもあるが、自分が芽虹を疑っているということを知られたくなかった。それがたとえ芽虹のふりをした他の誰かであっても。
「えっとね、とりあえず何か飲む?」
芽虹は小さく頷く。久朗津はクーラーのリモコンの電源を押し、それから冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して二つのグラスと共に居間の丸い小さな机に座る芽虹の元へ戻った。部屋には久朗津が立ててしまった音とクーラーの静かな稼動音だけが流れていた。二つのグラスに飲み物を注ぎ終えると芽虹は「ありがとう」といった。芽虹が一口飲むのを待ってから久朗津は話を始める。
「その、変な話なんだけどさ、最近変なことなかった?」
「変なこと?」
「うん」
久朗津はぐいっとジュースを喉に通してから続ける。
「例えば、僕が死んだ、とか」
芽虹は首を傾げた。どうやら、覚えがないらしい。
「えっと、ごめん。その、実はこんなニュースを見つけてさ」
久朗津はスマホに画像として残しておいたテレビの画面を見せた。数枚の写真には、はっきりと殺害された久朗津と犯人である芽虹が逮捕されたというテロップが流れていた。
芽虹はその写真をただ眺めていた。さして驚きもせずに、ただただ見ていた。
「ああ、これね。知ってるよ、これ」
「えっ……?」
久朗津は意外な言葉に驚いた。芽虹は淡々と続きを語る。
「クロが願ったんだよ。直接じゃなくて、心の中でだけど、クロが祈ったから私が叶えてあげたの」
「芽虹、何言って……」
嘘だろ、おい。なあ、最近嫌な予感が当たりすぎだろ、と久朗津は泣きそうになった。
「ああ、でもクロって言ってもクロじゃないよ。久朗津の方ね」
久朗津にはもう何が何だか分からなかった。やはりドッペルゲンガーだろうか。久朗津ではない別の久朗津というのが存在して――。
「久朗津は否定した。久朗津は求めていたものを否定した。自分に素直にならなかった。仕方がないから私は考えて、それから読み取った」
「君は一体、誰なんだ」
芽虹はゆっくりと立った。その時に肩ひもが少しずれたのだが、それをそのままにしたのをみて久朗津は諦めた。芽虹が芽虹であると思うことを諦めた。いつも迷ってばかりの久朗津でもわかる。本物じゃない。こいつは間違いなくドッペルゲンガーだ。
「わたしは、いや、――わしは神様じゃ。この世界を創った神様じゃのう。おぬしが知っておるかどうかは分からぬが聞くとしようぞ。のう、神様っていうのがどういう存在か、おぬしは知っておるか?」
神がどんな存在か? そんなこと、久朗津には分からない。考えたこともない。少なくとも、人間が考えることで理解できるようなことではないだろう。それでもというのなら、久朗津が知っている神は〝わがまま〟な奴だ。
「神っていう存在は厄介でな、何せ存在することが非常に難しい。一番大変なのは信仰されることじゃな。信仰がなければ神ってのは存在できない、なぜならば信じる者には皆平等に、等しく公平に救いを差し伸べるのが役目だからのう。願いを叶えることも、救いを差し伸べることもなくなれば、そりゃあ存在意義がなくなってしまうから消えて当然なのよ」
少し幼い声になった芽虹の姿をした神はコップの中身を飲み干すと、大げさに息をついた。
「じゃが、わしとて神様じゃ。そう簡単に神であることを辞めとうないわい。そこで芽虹という、
久朗津は何も言えなかった。芽虹の思いが久朗津に突き刺さってそのままになっていた。この神と名乗る芽虹の言うことを鵜呑みにするわけじゃない。でも、まったくの嘘を言っているようにも思えなかった。
「芽虹が祈ったことなら、仕方が――」
仕方がないと言おうとした時だった。久朗津にもう一本何かが刺さった。しかし、今度は比喩表現ではなく、本当に刺さっていた。金属の刃物は久朗津の腹を貫通しており、その剣先から血液が
そしてその久朗津は、また否定したのだ。
「おぬし、これでも不満だと申すのか。さすれば、そなたは何が――」
久朗津は二本目の剣を振り下ろした。
違う。違う。これじゃあ、ない。
暗号:現在が全てで 過去は不要か さすれば未来は何処へ
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