助けての声が響緑する≪コダマスル≫

「はい」


 業務的な女性の声が聞こえる。


「久朗津です。九石賢介さんにお会いしたいのですが――」


「久朗津様ですね。お待ちしておりましたどうぞ、お入りください」

 

 カチっと鍵の開く音が聞こえた。僕はそっと戸を開けて中に入る。


 室内には向き合ったソファとその間に木製のテーブルが一つ。正面には大きなガラス窓があり、とても開放的だ。他には業績を讃える賞が多数飾られている。ここは応接室なのだろうと久朗津は思った。


「やぁ、久朗津くん。待っていたよ」


 九石賢介は右手奥の方から現れた。


「わざわざすまないね。あぁ、ここじゃなんだし、ちょっとこっちの部屋に来てくれないか」


「……はい」


 久朗津は言われるがままに九石が出てきた部屋へと向かう。戸を開けてくれてたので、久朗津は微妙な礼をしながら小声で「すみません」と言いながら入っていく。


 部屋はなんだか薄暗かった。肌寒ささえ感じるほどだ。ぎぃい、と後ろで扉が閉まり、部屋に明かりが点いた。照らし出されたそれはすぐにありありと視界に入ってきた。


「ちょ……えっ……?」


 久朗津は思わず一歩下がってしまい、そのまま九石にぶつかった。


「ス、スピカさん……?」


 目の前には金髪の女性が天井からロープで両手を縛られ、ぶらりと吊り下げられていた。衣服はところどころ破れ、打撲、擦り傷や切り傷が無数に見られる。


「……逃げて、はやく……にげて……」


 僕の声に弱弱しく上げられた顔は僕を認識した。そして、擦れた言葉を紡いでいた。


 途端、腰の辺りが熱くなったと思うが早し。僕の頭頂まで一気に何かが駆け上った。視界が下からフェードアウトしていった。


 九石賢介はこうして死に行く輪廻の僕を見下ろして、それからこう言って未来の僕からの電話に出た。


「悪く思うな。これもすべて君が悪いんだ。全部、芽虹のためなんだ――ん? 電話……? ――もしもし?」


「こんにちは、久朗津です」


 九石賢介が息を飲むのが分かった。僕はこの部屋の裏扉から中の様子を窺っていたのだが、遠巻きからでもその狼狽えようは明らかだった。未来の僕は次の言葉を待たずに続ける。


「あなたが生島と行っている研究ですが、やはり法的に一部グレーなところがありますね。まあ、何せ人体実験紛いな研究のようですから、それは間違いないんでしょうけど、娘さん――つまり、芽虹がその被験者にされていたことは想定外だったんじゃないですか?」


「何を言っているんだ、知士君。いや、違う。そんなはずはない。誰だ。誰なんだ君は。君は久朗津知士ではない。君は一体誰で何の話を――」


「僕はここですよ、賢介さん」


 九石賢介は手にしていたスマホを落とし、凍り付いた。落としたスマホは既に意識のない――まだ殺されてはいない――久朗津が横たわっていたそばに転がった。九石賢介はそのまま後ろの白い壁に衝突し、気が付けばその衝撃で崩れて座り込んでいた。


「僕は、そうだな、未来から来ました。芽虹が殺されていなくなった世界から来ました。そして今、電話口に出たのがさらにその先から来た僕です。芽虹を救うために、僕らは来ました。そして、これが真実です」


 途端、白い部屋は三百六十度スクリーンシアターになった。そこは病院の独特のにおいが鼻を衝く部屋で、院長・生島のプレートが机にあることから、誰の部屋なのかも推測がすぐについた。視点の持ち主は机の引き出しを漁り、鍵の掛かった引き出しさせも開錠して必死に探している。


「これか……」


 視点とその声の主が見つけたのはクリアファイルだった。中身を取り出すと何やら医学的な専門用語が並んでいて、僕には正直ちんぷんかんぷんだった。だが、被験者リストの中に九石芽虹を見つけた時には僕も九石賢介も声を漏らしていた。ホチキス止めされた複数のプリントをめくる度に、投与された薬、それに応じた症状・経過などが記されているようだった。知識がないと何が行われていたのかは分からないが、芽虹を苦しめ続けてこの繰り替えす時間へ僕を閉じ込める原因となったのはこの実験が理由だとみて間違いない、そう僕は思った。


「そこでなにしてる」


 生島の声に支店の主は声のする方を向いた。それからファイルを閉じ、わきに抱え込んだ時だった。


 ぱあーん。


 発砲音がしたと同時に視点は四方を滅裂になり、やがて床に横たわるような目線になる。振るえる動悸と息遣いを赤が染め始め、やがて生島はファイルを奪い取ってもう一発撃ちこんだ。


 映像はここまで。僕と賢介は同じ白の部屋に戻された。スマホも、輪廻の僕もそのままだった。


 これが未来の僕の能力なのか、この巡る世界が起こしているのかは分からなかったが、それが未来の僕の記憶であることは僕にも九石賢介にも理解できたし、せざるを得なかった。

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