サイファーは遺伝的アルゴリズム 弐

「やっと、こっち向いてくれたね」

「ごめん、遅くなった」

「クロのことだからさ、もうだいたいわかってるんでしょ」

「なんとなくな」

「そっか。わたしそれ、聞いてみたいな」

「えっと、何を話せばいいだろう」

「とりあえず最後の暗号かな?」

「ああ、これね」



 最後の暗号。サイファーは遺伝的アルゴリズム。サイファーという表記が日本語でいう暗号のことを指しているのだということぐらいは、大学に進学できる程度の頭脳の僕でも理解できる。遺伝的というのは、そのまま意味だろう。生まれて、生きて、死んで、その次の子孫へと遺伝をつないでいく。そしてアルゴリズムとは、えっとこれは説明が難しい。決して自分が文系であり、理系でないからということを言い訳にするつもりはないのだがそれでも僕の解釈では「コンピュータの計算」としか言えない。疑似コードとかプログラミング言語とかを使用してコンピューターに効率の良い適切な問の解法を与えるもの……であっているだろうか。大枠は外していないだろうからこれで進めたとして、この暗号文の意味は、久朗津が芽虹の不幸な運命から救い出そうと何度殺されても立ち上がって最適解を導き出すということだ。死んだこの世界の久朗津の情報は決して無駄にはならずに次の久朗津へと受け継がれる。一つの解法が否定されれば、また次の久朗津で他の解法を試行し、正当なものを得る。未来の久朗津だと名乗った僕はこれを使用して芽虹の運命を変えた。こういうことだ。


「最後の、いや最初の暗号文は暗号でもあるけど鍵のありかも示している。鍵はこの世界で起きたこと全てだ。そして暗号はこの世界で起きたことに対する疑問。この疑問は、芽虹、君の願いと感情でもある」


「さすがだね。ほぼ正解」



 〝ほぼ〟、か。これだけの時間をかけても、まだ。



「具体的に解いてみて」


「うん」


 芽虹の願い。それは、僕と同じく死にたくないってこと。正確には芽虹が死ぬことで久朗津が悲しむことが嫌だってこと。久朗津が芽虹の死を引きずり続けて自分で自分の世界や時間を創れず、生きられないことが嫌だってこと。この世界が創られたのはこれらの感情が全てだと言っても過言ではない。そして神はこの願いを叶えることにしたのが発端。自分への信仰が薄くなってきていることに対しての危機感からだろうが、芽虹に信仰を求める代わりにこの世界を創った。現実世界でそんなことをしたら神様失格になるので、別のよく似た疑似世界を創造することによって、その世界に生きる人々に対しての神であろうと決めたのだ。神であれば何でもいいってのは浅ましさを覚えるが、死ではなく存在そのものが消えてしまうというのも恐ろしく思えるので仕方がないかなとも思う。


 ▽ 白道は二十八に割れ 予定調和は ディストピアか ユートピアか ▽


「二十八はすすきの探偵のこと。予定調和っていうのは、久朗津の死に戻りと芽虹の運命。それから解脱することも含めてのこと。願いのために創られた世界なら願いが叶って当然だけど、それは暗黒郷か理想郷かどう思うかってこと」


 ▽ 現在が全てで 過去は不要か さすれば 未来は何処に ▽


「これもさっきと似たようなことだよね。芽虹が生きている世界が全てなら、それまで死んでいった久朗津は無駄だったのか。また、芽虹が生きている世界が全てなら、これから望む未来は何か。止まらない時間の中で停滞を望むなんてのは烏滸おこがましいってわけだ」


 ▽ 心頭滅却すれば火もまた涼し ▽


「これは、たぶんことわざの意味通りで、心の持ち方次第では火さえも涼しく感じられるのだからどんな苦痛でもしのげるってことで――つまり、僕が今すべきことはこれなんだろうな」


「すごい、すごい。ここまでできたら、もう大丈夫だね」


 そうだな。思いは十分伝わったし、遠回りしすぎた僕の恥ずかしさもきちんと認められた。それでも、僕はまだ未練たらたらだった。



「僕は、それでもやっぱり芽虹と離れるのは嫌だ。乗り越えないといけないってことは分かっていても嫌だ、一緒がいい。僕が好きなのは芽虹なんだ、それは変わらない。たとえ乗り越えた先で他の誰かを好きになっても僕が芽虹が好きであることには変わりがない。なんで、芽虹なんだ。他の誰かでもいいじゃないか。代わりに誰か死んでやれよ、七十億人もいるんだろ。どうして、なんで、……どうしようもないんだ」


 理由なんてないってことは分かってる。人が生まれてきて、生きて、死ぬことに、相対的な、絶対的な理由が存在して、ただそれだけのために人生をやるのではないことぐらいわかっている。でも、ココロが、感情が追い付かないんだよ。理屈とかじゃないんだよ。理論的な話じゃないんだよ。自分の中に何人もの自分が現れて、否定しあっているのを仮の僕が抑え込んでいるだけなんだ。


「クロ……」


 ああ、芽虹もひどい顔じゃないか。理性と感情の乖離に苦しんでいるのはお互いさまなんだね。


 僕は芽虹と少し抱擁した。しっかりとするとたぶん自制が効かなくなって、離れられなくなるだろうから、少しだけ。芽虹の気持ちに応えつつ、それでも芽虹の願いにも応えてやりたい僕は約束をすることにした。


「芽虹、一つ約束をしてくれないか」

「うん、なに?」

「僕、もう一度あっちで頑張ってみるよ。だから、僕が手紙を出したら読んでくれるかい?」

「手紙?」

「そう、手紙」


 芽虹は素直に何それ、という顔だった。


「僕がどうしても、どうしようもなくなったときに手紙を書くから、芽虹は受け取って読んでね。返事は書かなくてもいいから」

「でも。どうやって――」

「僕に頼んで届けてもらう。神に頼んでもいいけど、僕あんまりアイツ好きじゃないからな。その、知っているとは思うんだけど、この世界には僕の他にもまだ久朗津がいるんだ。必死に真っすぐになろうとしてる久朗津がいる。彼がいるってことはそれは芽虹もそこにいるってことだ。これは久朗津知士っていう一人の男が手に入れた唯一のもの。だからきっと手紙は届く。いいだろ? 遠く知らない町から手紙が届くって」

「同じ札幌なのに?」

「うん、同じ札幌なのに」

 

 僕はそれから芽虹に手を振って別れた。三度たび振り返った先にある道は一本だけになっていた。


 さて、帰るか。

 

 大丈夫、まだココロに温度は残っている。


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