この世の果ての花火

 明るく、華やかにキラキラとしている。徐々に近づくピンクのその花は一体何の花だろうか。派手な色合いではあるが、浴衣においてはそこまで自己主張が強い色では、意外とないのかもしれない。良くも悪くも女の子らしい走り方でこちらに向かってくる彼女を僕は胸を撫で下ろしながら見ていた。集合時間はとうに過ぎているのだが、それでも泥や汗にまみれたその姿は彼女に会う前の未開の地へと引き戻された感覚であった。今日は間に合わないかもしれないと、メールで連絡があったので諦めかけていた喜びをどうにか得られた僕はそれが目の前に来ていたので、「いそいでよ」と彼女を心の中で急かした。


 ***


 既に花火は上がり続けていた。もうすぐ終盤のクライマックスだろう。蝶の形の花火を見て懐かしい気持ちになったり、よくわからないキャラクターの花火に首をかしげながら僕は待っていた。こういう時に周囲の人々を見てしまうのは僕の悪いところで、それでもいるはずのない彼女を道の向こうに見てしまうのは僕の悪いところだとは思いたくなかった。


 彼女が来るまでの間、僕は集合場所にした橋の近くから少し離れたコンビニまで三回は行き、タイミングを見計らっては戻ってきて、今まさにこの時から待ち合わせをしているかのようなそぶりをしたりしていた。スマホをみて、連絡があり、その場所へと向かう振りもした。段々とやはり自分がみじめに思えてきて、己とはなにかについて水が循環するかのように考えたりもした。自問自答というのは、他人に余計な主観を強制的に押し売られることもないので、非常に心地がいい。正解、不正解問わずして、自らの頭で何かを考えるのは楽しいものである、と僕は狂ったように思い始めていた。


 それから、ブックカバーを上下逆さにつけてしまった文庫本をちょっと読んでみたり、普段見ないはずのニュース記事とかをスマホで一字一句読んだりして、はたまたコンビニまた向かって行き、雑誌を横目でながしてから成人向けのところで目線を話してから、お手洗いい入り、用を足して戻ってくるという、「お前何やってんだ。さっきから行動がおかしい、ぞ」と言われそうな行動を繰り返していた。自分でももう、何がしたいのか、わからなくなってきているのは言うまでもない。ただ、僕が待っている待ち人が来るのを願うばかりで、すれ違わないようにスマホを握りしめることしかできないのだから、仕方がない。


 そういえば、文庫本を読んでいた時だとは思うのだが,知り合いに話しかけられたのを思い出した。もたれかかれる斜めを何とか探し当てて、落ち着きを払いながら文字列を頭に入れていた時に声を掛けられたのだ。


「あっ、三浦くん。やっほー」

「ああ、清水さん。こんばんは」


 声を掛けてきたのはバイト先の大学生の先輩であった。高校生が就労可能なバイト先というのは非常に限られるわけで、さらに近所となると大手ハンバーガーチェーン店ぐらいしかなかった。清水さんは今年で大学三年になるそうで、将来は旅行会社に勤めたいと考えているらしい。素敵な夢である。


「花火来てたんだね。あれ? 今日は一人?」

「いえ、連れが来る予定なんですが」

「彼女?」

「ええ。清水さんは一人ですか?」

「ううん。友達と来てるの。これを買いに行ってきたところでね」


 そう言う清水さんの片手にはどこかで配られていた団扇が握られており、もう片手にはリンゴ飴を誇らしげに手にしていた。なんとも祭りの王道を楽しんでいる感じである。同時に、僕の待ち人に何か買っておいてあげようかとおもったが、その前にポケットが震えた。それは幾度も繰り返し見ていた液晶画面に待望の名前が記されていた。


「……あっ、メールが来ました。ん? あれ……?」

「どうしたの?」

「いえ……」


 僕はその画面を清水さんに見せる。彼女から送られてきた文章は以下のようになる。



 >ごめん! 尾久レる!

 >失格のコオロギが園長で、今か裸むかうかど間にあえない

 >割ったら勝手もいいよ


「うん? えっと、『ごめん遅れる』って書こうとしたのかな。ってことは後の二行も打ちミス?」

「ええ。そのようですね」


 まったくどれだけ焦っているのやら。何をどう頑張ったらこうなるのだ。これではまるで暗号ではないか。解読する必要があるではないか。

 僕はわずかに開いた唇をどうにもできないままに少しだけ、ほんの少しだけ考えた。


「失格のコオロギが園長で……何かが延長したのか。後半は今から向かうけど間にあわない、かな」


 僕はこれが予測変換で出てきたのをそのまま打ち込んだだけの文章に見えてきた。だから、連想できそうな言葉を少し思い出せば、何となく解読できるだろう。

 失格から連想出来て思いつきそうなのは何だろうか。シッカク。ああ、資格か。だったら、コオロギは講義だな。もはや初めと最後しか合っていない。


「割ったら勝手もいいよってのは……分かったらカッテモイイ……? うーん、よくわからないね」

「これはもう、音だけですよ。分かったらだと、意味があわないので『割ったら』はおそらく『終わったら』だと思います。勝手もいいよは、帰ってもいいってことでしょうね。これじゃあ、配慮が足りてるんだか疑問に思えてきちゃうじゃないか。送る前に一度見とけよ」


 僕がスラスラと引っかかりもせずに、書かれていた言葉の意図を読み取ったことに対してか、それとも一人で突っ込んでいる独り言が不審に思えたのかは分からないが清水さんは僕を見て笑った。そして、こう言って去ってしまった。


「さすがだね、なんか羨ましいな。葵ちゃんだっけ? よろしく言っといてね」


 ***



 花火というのは炎色反応という科学的な現象を皆で楽しむという行いである。炎色反応というのは、金属を塩や炎の中に入れると、各金属元素特有の色を示す反応のことである。簡単に言うと、元素の電子が刺激によって排出されて光を放ち、それが炎色反応として観察されるというものである。例えば、アルカリ金属で言えばリチウムは紅色、ナトリウムは黄色、ナトリウムの邪魔を受けにくいコバルトガラスなどを使用すればカリウムの紫色などが得られる。スズや鉛を使用すれば、青い色を得られ、カルシウムで橙赤色、ストロンチウムで深赤色などが得られる。これらのカラフルな色を合わせて花火は色鮮やかに炎色反応を見せてくれるのである。

 しかし、これはうんちくというか、雑学みたいな豆知識に過ぎず、あまり語るときっといろんな人に嫌われてしまうだろうから僕は口にはあまりしてこなかった。


「何で、こんなにもきれいなんだろう」


 などのロマンチックめいた言葉にこのような知識は不釣り合いだ。不格好である。無論、独りっきりで花火を眺めている時は除いてだけど。

 

 暗号のメールを読み、花火が全て打ち上げられて多くの実験観察者が帰る時に彼女は来た。流れをせき止めるように突っ立って、僕を不安を張り付けた顔で、少しだけ遠慮がちに見回し、探しながら彼女は来た。水のように回り続けた僕の暇つぶしは、やがて太陽が落ちかけた河原に現れた光に導かれることによって、終結した。隙間から僕を見るなり駆け出したそのピンクは魔女のシルシそのものである。僕はきっと、彼女の魔法から解放されることはおそらくない。何度だって新しい魔法に惑わされて、困惑するのだろう。それを僕は大いに喜んで歓迎するのだから、大馬鹿者である。


 彼女が僕に向かって駆けてくる様子は、解法が百通りもあるあみだくじを辿って、漸く目的地にたどり着けたような気分だった。彼女は一体どんな気分だろうか。その申し訳なさそうな顔は、ねじれた味のラズベリーでも食べたみたいであったが、僕のためだけに向けられて作られた笑顔はこの世の果ての花火だったのは、この大勢の会場で僕しか知らない色であることは間違いなかった。

「ごめん、遅れた。その、ごめんね」


「構わないさ。実験はもう終わってしまったけれども、その結果はこのスマホに収められているから大丈夫」


「実験?」


「ああ、こっちの話。それより、どっか食べに行こうか。おなかがすいたろ?」


「うんっ」


 二人は帰宅の流れに乗って、大げさな喧噪の中に紛れた。僕が君を待ち、いるのかいないのかもわからないのに、どかかに探し続けるようになったのは、付き合う前のずっと前からだったはずだ。白い蝶に惑わされるずっと前から僕はいつの間にか君の輪郭を創りだそうとしていた。もしも、君に会わなければ僕はきっともう少しまともであっただろうし、幸せに暮らせていたのだろう、とよく思うのだ。ずっと前に廃墟認定したはずの僕の部屋にわざわざ痛みを伴って開いて、招き入れることをしなくてもよかったはずなのだ。それでも、彼女は僕の部屋を暖かいと言ってくれるので、それはそれで別な幸福手にした気がしていた。気がしていただけだけど。

 


 ***



「中々傑作じゃない。私好きよ、こういう世界観」


「そうかい? それは良かった」


「うーん、でもやっぱりあれよね」


「ん? なんだい?」


「綺麗すぎるっていうのかな、二人だけの世界って感じ」


「なるほど、ね。うん、じゃあ、次は少し敵を加えてみることにするよ」


「ええ、それはおもしろそうじゃない。期待してる」


「また書けたら持ってくる」


「じゃあね」


「うん、また」


 この間、電車が動くまでにした話をまたしてほしいと彼女は言ってきたのだが、僕は正直そこまで覚えていなかったのでその続きを書くことにした。何となくの設定は覚えていたので、それを少し匂わせつつ書いたのだが、やはり改稿の余地がいくらかあるようだった。さて、続きは何を書こうか。終わりはどんな終わり方にしたらいいのだろうか。こんなにも書くことになるのであれば、もっと構成とかキャラとか寝ればよかったな。そうすればもっと楽に書けたのに。そもそも、これは彼女に退屈を与えないための僕なりの優しさだったので、もとからこれほどの長編を書くつもりはなかった。だが、読者が求めているのだ。完結させるまでは力尽きるまで書こうじゃないか。僕は電車での帰り道、自分の文章を読み返していたのだが、少し予定調和になりすぎていた気がした。今度はもう少し文章に起伏をつけてみようと思ったのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る