神と二十八が輪廻る元探偵のバーテンダー
小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】
第一章 「シーザー式タイムリープ」
第一話 「久朗津知士の憂鬱」
問い≪トイ≫
店内には穏やかなジャズが流れていた。それは
「いらっしゃいませ」
【Bar・Omikuron】は、すすきのの繁華街にひっそりとある階段を降りた先にあるカクテルバーである。入口の見た目は入っていいのか躊躇してしまう階段だった。いかにもやばそうな雰囲気を醸し出している階段なのである。地元民でもおそらくその階段の先にバーがあることなど知らないだろう。下った階段の先には非常口のような扉が一枚ある。不愛想なその扉には【Bar・Omikuron】の文字が黒い板に金色の文字で刻まれていた。
扉を引いて入った店内の内装は、敷居の高いおしゃれなバーを少し崩した雰囲気。タップシューズの黒に電球の灯りを灯した色合いで、肩の力が自然と抜けていくモダンな空間だ。
「どうぞ、お掛けください」
店内には他に客がいなかった。久朗津はバーテンダーに空いているカウンター席を一席勧められ、そのまま腰掛ける。荷物を座席下の籠に入れて、上着を一枚脱いで一息つく。目線が上がった時、そこには当然のようにバーテンダーがいた。すっと伸びた背筋と整えられた蝶ネクタイ。白髪は綺麗に整列し、小さな髭は顔に優しさを醸し出している。初老ながら若々しさを感じるマスターだった。華麗な立ち姿と磨いているグラスはピカピカだ。
本格的なバーには今まで来たことがなく、正直緊張していた。だが、マスターの優しそうな笑顔のおかげで少し安らいだ気がした。
「お飲み物はお決まりでしょうか」
「え、えっと……」
僕は正直、お酒の種類には疎かったので、どうしたらいいものかと悩んでしまった。久朗津の様子を見かねたマスターは僕にこう言った。
「それでは、テキーラ・サンライズなどいかがでしょう。甘いオレンジジュースのような、飲みやすいカクテルでございます」
ジュースのような、か。それならば、大丈夫だろう。
「あ、じゃ、じゃあそれでお願いします」
「かしこまりました」
軽く礼をしたマスターはTequiraと書かれた瓶とオレンジジュースの瓶を取り出した。手元のグラスに氷を敷き詰め、Tequiraを底に適量、後からオレンジジュースを八分ぐらいまで注いでいく。「バー・スプーン」だと紹介してくれた柄が〝ねじれたスプーン〟を使って軽く手早くかき混ぜた。久朗津は〝シェイク〟しないのかと尋ねると、マスターは〝シェイク〟というのは、混ざりにくい材料を混ぜながら冷やす手法のことで、混ざりやすい材料の場合は〝ステア〟と言う簡単に言えば「スプーンで混ぜる」という方法で混ぜるのだそうだ。
続けてマスターは何やら液体を微量投入した。ザクロ風味の甘いシロップで〝グレナデン・シロップ〟とか言うらしい。赤いシロップだ。〝バースプーン〟を伝ってそれが投入されて行くと、僕は目を輝かせた。オレンジ色の底辺に赤い夕陽が昇ってきたのだ。夕陽は沈むものだが、造られた綺麗なグラデーションは昇って来たと表現するのが相応しいだろう。
まさにサンライズ。
オレンジを一欠片グラスに添えて、長いストローが刺されば完成。
「テキーラ・サンライズでございます」
店名が書かれた黒いコースターに乗せられて目の前に差し出される。僕はその芸術に思わず一礼してしまった。
恐る恐る一口飲んでみる。
甘い。すごく甘い。甘すぎ……? マスターはその様子を見て、素敵な笑顔で混ぜるように指示。あぁ、シロップを混ぜて飲むのね。シロップを混ぜ合わせて薄くなったオレンジを再び口に運ぶ。度数の高いTequiraが良い按排の口当たりになっている。女性でも気軽に楽しめそうなお酒だ。
「いかがでしょうか」
「あの、すごく飲みやすくて、甘くておいしいです」
「恐縮です。お口にあったようで良かったです——それで、ご依頼の方はどのようなものでしょう」
そう。僕はただ酒を楽しみに来たのではない。ここは知る人しか知らない元探偵がマスターをしているバーなのだ。彼の専門は暗号の解読。僕は友人の紹介でここへ来たのだ。
「実は、これなんですけど——」
僕は一枚の紙を取り出した。ノートを破った切れ紙には英語と数字が書かれている。
Will you change the fate and M.S.?
12231332212232262624203115212252111326256
「ふむ……。失礼ですが、この暗号の送り主はどちら様でしょうか」
「えっと……僕の友人です。名前は
「女性ですか?」
「はい、そうです。その、彼女は今病気で入院しています。つい先日、手術を受けて成功しました。今は快方に向かっています」
「それはそれは、おめでとうございます」
そのことに関しては僕も素直に大喜びした、最も誇るべき出来事だ。
だが僕の憂鬱はそこじゃない。
「その、手術後に見舞いが許された際に僕は彼女に想いを告げました。高校二年の時に出会ってから三年間積もった想いを告げました」
マスターは沈黙を続ける。久朗津は話を続ける。
「返事を保留した彼女は翌日、この手紙を僕に返事の代わりとして渡しました。暗号だとは思うのですが、全然解けなくて」
「それで、今回、私の所に来たわけですね」
「はい」と久朗津は言った。次の瞬間、僕は次のマスターの言葉にひどく驚いた。なぜならば、聡明な方だから話をして任せておけば解いてくれると友人が言っていたからだ。ほかに情報源が無い以上、僕はそれを信じるしかなかっただけだが。
「分かりました。しかし、ご存知かどうかは分かりかねますが、現在私は探偵業を営んではおりません。日本国においては〝探偵業の業務の適正化に関する法律〟というものがありますので、探偵業を行う際には届け出が必要となるわけです。現在私にできることは暗号を解く手伝いをすることだけです。もちろん、私単独で解読することもできますが、その際は報酬としてこちらのドリンクを百万円にさせていただきます。直接頂くことは違法ですので、ドリンク代として頂きます」
「なかったことにするのであれば今のうちですよ」とマスターは久朗津に言った。正直焦った。ひどく困惑してしまった。当然大学生である僕にそのような大金は持ち合わせていないし、用意できる当てもない。
僕は半信半疑で質問を返した。
「あの、もう解読できているんですか?」
この問いにマスターは光った。
「ええ。もちろんです」
僕はこの人は本物だと感じた。伝わってきたのだ。一目見ただけで解読できてしまう明晰な頭脳。自信に満ちたキラキラとした目は揺るぎない。そして何より楽しそうなのだ。マスターと僕はさっきまでの客と店主という関係ではなく探偵と依頼人という関係に変化している。探偵としての
「ああ、勘違いしないでいただきたいのですが、私はお代が目的でこのようなことはしているわけではありません。考えてほしいのです。考えることを諦める人が最近は多いように私には思えてならないのです。丸投げされる方は百万払うことを義務付けますが、依頼人が考えることを放棄しないのであれば私は無償でお供致します」
「これが私の現在のスタイルです。いかがなさいますか、お客様」とマスターは続けて聞いてきた。確かに僕は告白の返事ばかりに気を取られ、真摯に向き合っていなかったのかもしれない。自分で考えなくてもいいじゃないか。分かる人が、頭の良い人が考えればそれでいいじゃないか。答えさえ分かればそれでいいじゃないか、と。
久朗津は自分が間違っていたような心持になり、そして改まって体を正面に向き直した。
「その、少し助言いただけますか、マスター」
この言葉にマスターは微笑みながら久朗津に言った。
「もちろんでございます」
久朗津は一口テキーラ・サンライズを飲み、マスターはもう一度暗号文を手に取って確認し、滑らかに僕に差し出した。
「申し遅れましたが私のことはマスターで通させて下さい。事情があって今は未だ名乗れないのです。お察しいただければ幸いです。失礼ですが、お客様お名前は——」
「久朗津です。久朗津
「久朗津様。この暗号はそんなに難しくありませんよ。とても単純です。アルファベットがAからZまで何文字であるかご存知であればすぐに解けます。
アルファベット……? えっと、A、B、C、D……。
僕は腕を組んで考え始めた。
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