全ては時空の藍挟間≪ブルー・ディメンション≫

「芽虹!」

「あ、知士。どうしたの? そんなに慌てて」


 僕は肩で息をしていた。芽虹だ。芽虹が生きている。不思議そうにこちらを見ている。長い黒髪が少し流れてこちらを見ている。さっきまで読まれていたであろう文庫本は両手でしっかりと握られている。


 よかった。よかった。ああ、よかった。


 そう思った途端に久朗津は膝から崩れた。芽虹は手から本を落として前に乗り上げて僕を見る。


「知士……?」


「コンコン、失礼します——って、久朗津くん? どうしちゃったの?」


 それから僕――輪廻の僕は一人の女性と一人の女の子の前で泣きわめいた。二人ともただただその理由を聞こうとするも、謝るだけの僕は二人を困らせていた。


「そういや、このときの僕はなぜ教われるんだろう」


 未来の僕は言う。


「そこが運命を変えられるかどうかの分岐点だろうね。悪いけど、こっからは別行動だ。君は芽虹とスピカの安全を確保してくれ。僕は生島のちっちゃな野望を終わらせてくる」


 「分かった」と僕は言い、未来の僕と拳をつき合わせた。


 未来の僕が階段を降りていく頃、病室から僕が出てきた。僕は咄嗟にはなにもできず、ただ息を潜めて下の階へ降りていくのを見守った。そう言えば、泣きすぎで飲み物を買いに行ったんだっけ。そして、生島に声を掛けられてなぜか消される。このとき、既に未来の僕が動いていることは確かなので、もしかしたらそれを阻止しようと口を封じたのか。未来と輪廻の僕を間違えて。いや、同じ久朗津だから間違えるのは無理もないんだけど。


「失礼します」


 僕はノックしてスライドドアを開ける。


「あれ? 早かったね」


 芽虹の言葉を無視するのは心が痛かったが、僕は自己紹介から始めることにした。


「初めまして、未来から来た久朗津知士です」


 二人に言葉はない。ただ顔を見合わせるだけで、僕に向けられたのは笑顔を作るのに失敗した顔だった。僕は何の前振りもなしにいきなり説明を始める。


「僕は今日から数えて約二週間後の未来から来た久朗津です。本来であれば、芽虹とスピカさんと僕はもうすでにこの世にはいません。それがしかるべき運命。だけど、僕はさらに未来からきた僕に手伝ってもらって今ここにいます。僕が生きられるように、スピカさんを救うために。そして何より芽虹の命を救うために。上手く説明できないし、たぶん信じてもらえないんだけど――僕は何度も同じ時を過ごしているんです。でも、同じ運命の中にいる僕には運命を変えることはできなかった。だからその理から外れた未来から変えようと試みて、やっとのことで僕は、今、ここにいます。だから、その……」


 もう言葉が出てこなかった。結局僕は何が言いたいのか。続くはずの言葉はどこか別のところへと消えてしまったようで、ただどこかの狭間に何かを探すことしかできなかった。泣くための涙も生まれず、細い輪郭は震え続けていた。


「なるほど、君たちだったんだね。いや、院長――つまり、生島が何か怪しいという情報は久朗津君が、えっと、そのここにいる久朗津君が芽虹さんからもらった暗号を解いて分かったんだけど、どうしてその情報が芽虹さんが知っていたのか分からなかったのよ。だから今聞こうとしたんだけど、なるほど君たちか。芽虹さんから渡されたのではなくて、君たちが作ったんだね、あの暗号は」


「はい」


 無理やりにでもスピカさんが理解してくれて、僕は助かった心持ちだった。あの暗号は、正確には未来の僕が作ったものだ。いつ、どのタイミングで忍ばせたのかは確かには分からないが、彼が机に向かって一筆認したためていたのをアパートで見ている。彼が作成したのは間違いがない。ここまでの彼の行動を鑑みても、この時間で彼はある程度自由が利くのかもしれない。


「しかし、どうにも信じられない話だね。時間旅行をしてきたなんて夢のような話。ちょっとうらやましいかも」


「旅行って、遊んでいたわけじゃないんですよ……」


 ようやく不可思議な存在として現れた僕が、なんとか受け入れられたその時だった。ポケットに突っ込まれた僕のスマホが急になりだしたのは。


「ちょっと、切っておきなさいよ。ここ、病院よ」


「すいません、すぐに――」


「悪いな、ちょっと切らないでくれると助かる。すぐに終わるから少しだけ辛抱してくれ。今、生島に捕まっている。出来れば助けてほしい。場所は病院の地下二階で――」


 僕のスマホは勝手にしゃべり出し、用件だけ言って勝手に切れてしまった。



 ***



 病院の地下二階まで階段を飛び降りる勢いであ降りて行き、関係者以外立ち入り禁止の札を飛び越えて重たいドアを僕は開けた。中に入ると、そこは倉庫になっていて天井近くまで何か物が箱に詰めて積まれていた。ひんやりと震わせる寒さを感じると、途端に緊張感が増し、先導するスピカさんの後ろを僕は潜めて追従していた。


「その、ありがとうございます。ちょっと、信じられないようなことばかりなのに、それでも協力してくれて」


「ああ、それなら構わないさ。私だって、何も信じちゃいないからね。正直、今私と一緒にいる君のことさえ信用できいない。未来から来た君なんてなおさらさ。でも、私は君に依頼されたからね。お金をもらった仕事だから、やるのさ。感謝されるほどのことはしていない。仕事だからやるだけのことさ」


 僕は虚勢でも、戯言でも、自分を信じて行動できるスピカさんがすごいと思った。探偵だとか、プロだとか、仕事だとか以前に彼女は大人なのだと僕は思った。


「いた」


 僕はその言葉で少し感情を捨てて、スピカさんに指示された場所の方を見た。未来の僕はやや、開けた場所に目隠しもされずにただ椅子に縛り付けられていた。ただ下を向いており、表情は少し遠くて見えにくいが、泣いているようにも見えた。


 スピカさんは一旦下がり、周囲を警戒している人物に静かに近づき、次々と倒していった。その経過で拳銃を二本手にし、そのうち一本を僕に渡した。スピカさんは用心のためだと言っていたが、僕はこれを使う覚悟を決め、冷や汗を全て勇気に変えた。



 敵数が減ったのを見計らって、スピカさんの合図で僕らが周囲に警戒しながら物陰から出ると、同時に生島は拳銃を片手に僕らに投降を要求してきた。さらには黒服にサングラスという、一発でどこの世界の人間かわかるような人々が同じく武装しながら僕らを取り囲んだ。生島は言う。



「何人目だよ、ほんとに。全く、おかしいんだよな、そこの少年とか。この少年とか。さっき全く同じ奴を殺したばかりなのに、なんで同じ人間が、こう、何人もいるんだ? クローンか、お前ら」


 拳銃の撃鉄を引いて続ける。


「まあ、なんでもいいんだけどよお。どうせ死ぬんだ。君たちはいろいろ知りすぎたんだ。悪いけど、君らはここで死ぬ運命になる」



 運命。 


 やはりこれが僕の運命なのだろうか。どうしても、だめなのかな。僕はまた繰り返すのか。それとも、もう繰り返さなくて済むのかな。やり直さなくていいのかな。このまま死んで終わりになるのだろうか。それは、それでもいい気がしてきた。一方で涙がわずかでも流れたのは、僕は悔しくて、情けなくて仕方がなかったから。これだけのチャンスを手にしておきながら、振り返れば僕は何もしていないから。ただ、言われたことをそうかそうかと、そういう未来だから今これをするんだなと、小さくまとまっていただけだった。未来から来たというだけで、全知全能であるかのように僕は未来の僕に頼っていただけだった。


「スピカさん、僕のせいですみません。結局、誰も助けられませんでした。その、ごめんなさい」


「謝っても仕方がないわよ。それに、病室に残らないでここに来たのは私の意志だもの。これが運命だというのなら、私は受け入れる」


 運命を受け入れる。何もあらがわなくてもいいのかもしれない。答えのない選択肢しかないのなら、受け入れるしかないのかもしれない。僕はきっと、頑張りすぎたのだ。過去でも。未来でも。今現在でも。


「遺言は終わったか」

 

 未来の僕はやっぱり泣いていた。音を立てずに泣いていた。その姿をみると、ああ、泣き虫の僕は変わらないんだなとなぜか安心できた。



 三人のこめかみに拳銃が当てられ、僕は死の恐怖と戦いながら、謝りながら眼を閉じた。

 

 ぱーん。ぱんぱん。

 

 三発の銃声が聞こえた。

 

 聞こえた?

 

 はっと、目を開けると僕とスピカさんに銃を当てていた黒服と生島が手を痛めて出血しており、拳銃が床を転がっていた。僕は既に拾い上げていたスピカさんに続いて慌てて拳銃を手にした。


「何がどうなって……?」

「待たせたな、兄弟」



 僕だった。いや、今銃を慌てて拾い上げた僕ではないのだが、でも僕らを救ったのは紛れもなく僕だった。しかもその数が、この倉庫にある物が少なく見えるほどだった。数えることをあきらめさせるような圧倒的な制圧力は生島勢力を沈黙させた。


 過去の僕だ。


「いいか、兄弟。過去の僕らにできるのはこれが最初で最後だ。でも、これができたのは兄弟、君がここまで運命を捻じ曲げたおかげでもある。僕らはその歪みから一時的にこちらに来ている。だから、諦めるんじゃねえぞ。自分を一番信じることができるのは誰であろう他でない自分だ。それが過去だろうが、未来だろうが関係ないぜ、兄弟。いつだろうと自分を恥じずに、成功と失敗から教訓を得て進むのだ。それができないとまた無限の循環サイクルに巻き込まれちまうからな。せっかく切り開けたんだ、大事に生きてけよ、兄弟」


 僕は過去の僕たちが鎮圧している間に、説教を垂れてきた過去の僕に向かった。それから僕は静かに、それでいて力強く「ああ」と頷いた。

 

 話をしていた過去の僕が満足そうに表情を作ると、天に一発発砲。すると彼らは消えて居なくなった。そこには最初から居なくて然り、と言わんばかりに。



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