西方白虎 第四宿 〝昴〟 スバルボシ・プレアデス

「まずは、本来の文章をご覧ください。理由は分かりかねますが、省かれていたのは三行の歌の部分です。キーワードが暗号文ならば、平文を解くための鍵の一部が消されていたことになります」


 暗号の全文は以下のようになる。



 >ステラのみんなへ。

 >ちょっとしたプレゼントを贈ります。この凍結ファイルを解凍するにはパスワードが必要です。


 pass:0.*****


 key :1.すなこいなとな

 2.ちすなしいこちすちみ

 3.こいくにほもらとな

 4.といち

 5.にはなすにほから

 6.とんいらすな


 >パスはキーの上にある五ケタの数字。キーは叩けば自ずと世界になる。

 >以下の歌を参考までに送ります。歌はきっといつものように三人を導くはず。


 >天は そのままに 星座を 示し 魚を 照らす 

 >魚の 下は広く やがて 気が 切れる

 >魔人は 上を照らし 最下はその世界の裏の穴



 追加された文章はまた暗号のようだが、かの先輩がおっしゃっているようにこれは歌である。歌というのは愛とか感情などを叫んでいることが多いが、物語を語る歌も中にはある。まさしくこれがそれに該当するもので、この暗号は物語であることをこの歌は示しているのだ。僕に突き付けられた暗号よりかは幾分も良心的で、多少の経験はあるといえども僕一人でさえ解読できたのだ。マスターなら瞬殺だろう。


「……なるほど、しかし暗号が増えてしまった感じがしますね」


 いや、ちょっとマスター。それはわざとですか、それとも本当にわからないのですか。まあ、どちらにしても言い出しっぺの僕が進めることになるんでしょうけど。


「ええと、ではまず初めの文章から。今回求めるのは五文字のパスです。そのパスはご覧のとおり六つのキーの上にあります。そして次の文章。そこには『キーは叩けば自ずと世界になる』とあります。これは文字通りキーボードを叩くということで――」


「これだろ」


 ステラのうち一人の少年がすでにキーを解読した紙を差し出した。確か、えっと、あったことのあるやつだから……あっ、そうそう。ハジメとか言ったっけ。僕はハジメに一つ首肯してから話をつづけた。


「うん、どうやらもう半分以上この暗号は解けているようですね。上から順にルベウス、アルデバラン、ベヒーモス、セア、イフリート、シェオル。これらについては何か分かりますか?」



 key :1.ルベウス

 2.アルデバラン

 3.ベヒーモス

 4.セア

 5.イフリート

 6.シェオル



 今度は隼人という少年が解かれた鍵を指さしながら口を開いた。


「ルベウスはルビーのことで、アルデバランはおうし座の星座で……」

「その通りです。歌も『天はそのままに』というのはルベウスが宝石のルビーの意味そのままだということ。二番目の『アルデバラン』はおうし座。つまり『星座を示し』に該当します」


 次は夕暮という少女が自分の調べたことを話し出した。


「次は『魚を照らす』ってあるけど、ベヒモスって魚なの……?」


「いえ、ベヒモスで魚に関連すると言えば、おそらくイスラムにおけるバハムートのことでしょう。ベヒモスは旧約聖書に登場する怪物ですが、ベヒモスをアラビア語読みするとバハムートと読むのだと言われます。イスラムの世界では巨大な魚の姿として伝播されており、その体で大地を支えている、と、言われていますが――ああ、そうですか。そういうことですか」


 マスター、ようやっとですか。


「いや、失礼。私もちょうど今この暗号文を理解できたもので、すみません。つい、面白いものだなと感心してしまいました」


 僕はマスターの初めて見る、おそらくそれが本来の顔であろう笑みを見て口元を緩めてから謎解きを進めるべく話を続ける。


「ええ、さすがはマスター。この暗号はイスラム世界における世界観の一部を現しております。イスラム世界では神が作った大地を天使が支え、その天使を支えるためにルビーの岩山が置かれ、この岩山を牡牛――ここではクジャタと呼ばれる巨大な牡牛が支え、この牛をバハムートが支えております」


「じゃあ、セアとかイフリート、シェオルっていうのはどういう意味なんだよ」


「歌は『魚の下は広く やがて気が切れる』と述べています。巨大な魚を支えられるものは、その魚が住んでいる場所ぐらいです」


「海か!」


「ご名答。セアをローマ字読みすれば〝SEA〟、海と読めます。気が切れるというのは大気が切れているという意味で、これは海の下の世界のこと。三行目の歌ではさらに下の世界のことを歌っています。『魔人は上を照らし、最下はその世界の裏の穴』。魔人とはイフリートのことで、火の魔人と呼ばれるため上を照らしているのはこの炎のこと。シェオルはヘブライ語で意味は黄泉、つまり死後の世界のことです。世界の裏が死後の世界を指し、穴というのはこの世界の最下にいるファラクの穴のこと。ファラクとは巨大な大蛇であると言われ、その口の中に六つの冥府――つまり死後の世界があるそうです。自分もあまり詳しくはないですが、大雑把に解釈するにはこれで十分かと」



 僕は鍵を近くにあったペンで囲み、その上にまた丸を書いた。



「つまり、求めるパスはこれらの上にあるもの。初めに話した通り、ルビーの上にあるのは神が作り出した大地と天使です」僕は『大地』・『天使』と書いた。「あとはこれを数字にするだけです。大地は01、天使は104。01104か10401かのどちらかがパスだと思います」


 たぶん後半の解説についてはあまり聞いていなかったであろう。ステラのバンドメンバーは一斉にスマホを開いて該当のメールを呼び出し、ファイルの解凍パスワードを入力していた。


「これは……」



 と、三人ともファイルの内容を見て混乱していたが、読み進めるうちに男子二人は喜びと悲しみを同時に浮かべ、夕暮はその感情を涙にして流していた。エレクトラさんとスピカさんは三人の手元へ駆け寄り、その感想を共に言い合っていた。僕は空いたバーカウンターの椅子に座り、マスターに向かい合って言った。


「どうです、マスター。僕もなかなか聡明になったでしょう」

「ええ、初めてご来店された時とは別人のようでございます」


 僕はこの言葉に笑わずにいられなかった。


「別人か、その通りかもしれない。僕は最初に来店した時の僕とは別人かもしれないです」


 僕はマスターに水をお願いする。


「あの三人の先輩って人は、商社に就職しましたが、本当は小説家になりたかったらしいんですよ。ステラのメンバーとは特に親しい後輩だったために何か特別なものを贈りたかったそうなんです。そこでその小説家志望が思いついたのが三人に物語を書くこと。その物語の読者はたった一人向けての物ですが、とても美しいものでした」


「失礼ですが、久朗津様はなぜそのようなことを――」


「もういいでしょう、マスター。それとも僕が一人でここまでできるとでもお思いですか、マスター。いえ、南方朱雀第三宿ヌリコボシ・ルドラ探偵」


 僕のこの一言で漸く時が止まった。このバーにはもう僕とマスター、いやルドラの二人しかいない。漢字で表せば〝柳〟になるらしい。ナクシャトラを探偵名にするってのは、少しお洒落すぎやしませんかね。


「さすがでございます、久朗津様。如何にも、私がルドラ、通称〝リュウ〟と呼ばれたすすきの探偵でございます。しかし、あなたが私から聞きたいのはこの言葉ではないでしょう。ぜひともあなたの推理共々お聞かせいただきたい」


「はい。僕の推測はまずこの切り取られた暗号から始まります」


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