Fiery Night - 3
最初、オリヴィアは、これは夢なのだと思った。
軽い脳震盪からゆっくり目を開くと、目の前には二人の男の影があって、自分は柔らかいベッドの上に乱暴に寝かされていたのだ。
部屋は明るいとはいえず、数本のロウソクが窓辺の燭台の上で橙色の炎を踊らせているだけだった。
はっきりと目を覚ますと、二人の男の輪郭がはっきりしてくる。
ヒューバートと、あの酔っぱらった若太りの男……。
二人の男は、獲物を品定めする狩猟者よろしく、ベッドの端に立ってオリヴィアの肢体になめ回すような視線を走らせていた。
オリヴィアは悲鳴を上げ、立ち上がろうとした。
しかし、酔っぱらった男の方が素早くオリヴィアの口をふさいで声をさえぎったうえに、動物のように四つん這いになってオリヴィアの上に覆いかぶさってきた。
「しーっ、かわいいお嬢さん、静かにしていれば今にいい思いをさせてあげよう。なあに、すぐにすむさ。君の夫には黙っていてあげよう。なあ、ヒューバート」
酒気を帯びた臭い息が、オリヴィアの耳元にかかる。
それは、あまりにも醜悪で、思わず身震いしてしまうほど気持ちの悪い感覚だった。オリヴィアはもがいて、どうにかこの大男をひっかいてやろうと手をばたつかせたが、それは空しく宙をかくだけだった。
その間にも、男はゆっくりとオリヴィアの首筋に顔を近づけてきて、クンクンと犬のように匂いを味わっていた。
「この柔らかい肌に、甘い香り……ああ、君は美味だろうな。さあ、逆らわないで……」
幸いにも、ベッドの上のオリヴィアはまだきちんとドレスを着たままだったが、マーガレットの大胆なデザインはあまり上手く身体を隠してはいなかった。
豊かな胸は押し上げられ、オリヴィアの荒い息とともに上下している。
細い腰のラインはあらわで、オリヴィアが動くとさらに女性らしさを強調していた。
そう。
オリヴィアがもがけばもがくほど、男は息を荒げ、執拗に絡みついてきた。
すぐそばのヒューバートは、オリヴィアを救うべきか、それとも男に加担するべきか決めかねているように、ベッドの斜め後ろに立ったままでいた。しかし、横たわるオリヴィアの姿を目で楽しんでいるのだけは、確かだった。彼はひと時もオリヴィアから目を離さなかったから。
「少しの辛抱さ。君も今に天国を見るだろう……」
酔っぱらった男の顔が目の前に迫ってきて、オリヴィアは両方の瞳を大きく見開いて、くぐもった抵抗の悲鳴をあげた。しかし、叫びは男の脂ぎった手にさえぎられ、部屋の外まで届くことはなかった。
オリヴィアは力の限りの抵抗を試みて、必死に身体をよじった。
——こんなところで、こんなふうに。
愛してもいない、それどころか嫌悪感しか感じない男に、乱暴に迫られているなんて。
(どうしてこんなことに……)
エドモンドはきっと、ここからそう離れていない場所にいる。
オリヴィアを探し出そうとしてくれているのか、それともそんなことは早々に諦めて舞踏会の続きを楽しんでいるのかどうかは謎だが、それでも、どこか近くにいるのだ。
オリヴィアは手足をばたつかせ、どうにかして逃げようとした。
窮鼠、猫をかむという。
オリヴィアは必死になって、男の手に噛み付いてやろうと
「ちっ、おい、ヒューバート、少し手伝ってくれてもいいだろう!」
男が舌打ちしながらそう叫ぶと、ヒューバートは「あ、ああ……」 と気の抜けたような返事をして、のろのろとオリヴィアの腕を押さえるためにベッドに近づいてきた。
「んーっ、んんーー!」
オリヴィアの叫びは、蚊の鳴くような空しい音しか出さない。
「さあ、お嬢さん、わたしたちにその可愛い胸を見せておくれ……」
男はだらしなく
もう、だめだ。
こんな不埒なろくでなし共に乱暴されるくらいなら——と、オリヴィアは決心した。
舌を噛み切ってやる。きっと相当に苦しいだろうし、屋敷に残してきた菜園を思うと心が痛んだけれど。きっとマギーがどうにかしてくれるだろう。
そして、エドモンド……。
オリヴィアの夫。神に誓った生涯の伴侶。カドリールの後に受けた熱い口づけ。二人で森の木の下で雨宿りしたこともあった……。
彼はどう思うだろう。
苦しむだろうか……悲しい思いをさせてしまうだろうか。
でも、それでも、
その瞬間、オリヴィアは扉が破られる鋭い音で我に返った。
ノースウッドで聞いた激しい雷にそっくりな、周囲を揺るがす衝撃音だった。続いてパラパラと細かい木の破片が落ちるのが聞こえて、男達の驚きの悲鳴が上がった。
「エ、エドモンド!」
ヒューバートが狼狽した声で叫んだ。
エドモンド! その名前を聞いた瞬間、オリヴィアの瞳に安堵の涙が浮かびはじめた。ああ……やはり彼は来てくれたのだ!
オリヴィアに伸し掛っていた男は横にどいて、侵入者を確認するために後ろを振り返っていた。
—−入り口にあったはずの扉は消えている。
かわりに、その入り口を塞ぐように立つ、大きく威圧的な影……。
ノースウッド伯爵エドモンド・バレット卿の、憎悪に満ちた緑の瞳がぎらりと輝いてこちらを見ていた。
「待ってくれ、その……少し落ち着いてくれ。これは君が思っているようなことではなな……」
ヒューバートは慌てて喋りはじめたが、あまりうまく舌が回っていないようで、最後が妙なアクセントになっている。安堵のあまり、オリヴィアは倒れたままの格好でポロポロと泣きはじめた。
きっとエドモンドは、この二人の愚かな男たちにちょっとした張り手を食らわし、物語の王子のようにオリヴィアを横抱きにして助け出してくれるのだ。ああ、神さま、ありがとうございます。
オリヴィアは酔っぱらっていた男の手を押しのけ、なんとか起き上がろうとした。
しかし、柔らかいベッドから苦労して上半身を起こしたオリヴィアの目に、信じられない光景が飛び込んできた。エドモンドはずぶ濡れで、王子はおろか、地獄の門番でさえこれほど獰猛な目つきをしていないだろうというほど、禍々しい姿でこちらを見下ろしていたのだ。
動揺したオリヴィアの姿を、エドモンドの視線がとらえた。
乱れたドレスの襟から今にもこぼれそうになっている妻の胸を目にして、エドモンドの怒りはすぐさま沸点を通り越し、もはや爆発寸前にまで燃え上がった。
オリヴィアの水色の瞳からは涙が流れている。
なんということだ。
なんということを——。
男たちは、怒りに肩を震わせるエドモンドを前に明らかな生命の危機を感じ取り、顔を蒼白にさせておののいていた。
男の酔いはすでに覚めて、目の前に突如として現れた恐怖にパニックを起こしている。
「き……君はっ、これはっ、そそう、ごご誤解だ、彼女が急に貧血をおこし……ヒエッ!」
エドモンドは一切聞く耳を持たず、目にも留まらぬほどの早さの大股で部屋を横切ったと思うと、乱暴に男の胸ぐらを掴み上げていた。
男の足は床から高く浮いて、情けなくばたついている。
「わっ、わっ、わたしはベルフィールド子爵……」
と、男が震えた声で名乗ろうとすると、エドモンドの緑の瞳はゆがめられた。
「死人に名など必要ない、この
エドモンドは咆哮を上げ、胸ぐらを掴み上げたまま前に突進すると、男の背中を壁に打ちつけた。壁が揺れて、優雅に掛けられていた年代物の肖像画がガクンと傾いた。
色を失った男の顔に、エドモンドの拳が放たれる。生々しい素手の戦いの音がして、オリヴィアは蒼白になった。
男もヒューバートも悲鳴を上げている。
ヒューバートは男を救おうとエドモンドの後ろに周り込み、羽交い締めにしようと苦戦していたが、まったく歯が立っていない。怒れるエドモンドを前に、二人の男はまるで子犬のように無力だった。
男たちの三つ巴の格闘は、明らかにエドモンド一人が際立っていた。
しかし、立ち往生したヒューバートが最後の手段に火かき棒を手に取ろうとしたとき、オリヴィアは悲鳴を上げて凍りついた。
エドモンドがそれに振り返る。
目の前には、火かき棒を高く振り上げたヒューバートがいた。
——ヒューバートもベルフィールドも、紳士のたしなみとしてそれなりに剣術に親しんだりしているのだろう。しかし、エドモンドは本物の戦いを知っていた。狂った雄牛や酔っぱらった木こりを鎮めたこともあるエドモンドに、都会派の二人の男の動きはエスカルゴほど遅く見えた。
オリヴィアは悲鳴を上げたまま両手で顔を覆って、エドモンドの無事を祈った。
重い銅のかたまりがどこかに強くぶつかる鈍い音がして、部屋は一瞬だけ沈黙に包まれる。
「ヒッ……」
ベルフィールド子爵の泣き出しそうな声が聞こえて、オリヴィアは恐る恐るゆっくりと顔を上げた。
オリヴィアが目をつぶっていたたった数秒の間に何が起ったのか、こんな修羅場の経験のない彼女には全く見当がつかなかったが——結論からいうと、攻撃者だったはずのヒューバートは情けなく床にひっくり返っており、ベルフィールドは壁に背を付けたまま蒼白になっている。その二人の間に、長身のエドモンドの影がまるで王者のような迫力で両足を広げて立ち塞がっていた。
火かき棒は、あり得ない角度に曲がっており、床に突き刺さっている。
ああ!
オリヴィアはあまりの急な展開に混乱していたが、同時に、こみ上げてくるエドモンドへの愛情を止めることができなくなっていた。オリヴィアは今すぐ彼に抱きついてしまいたかった。今すぐ。早くこんな暗い部屋から抜け出して、二人きりになれるどこかへ隠れてしまえればいいのに……。
そして、まるで、そんなオリヴィアの思いを読み取ったかのように、エドモンドはゆっくりと彼女の方を振り返った。
二人の視線がからみ合う。
エドモンドが短く息を止め、オリヴィアの全身を粘りつくように見つめているのが、数本のロウソクの明かりだけの中でもはっきりと分かった。
もし目線でものが燃やせるとしたら、きっとオリヴィアは一瞬で焼き尽されてしまうだろう。
そのくらいエドモンドの緑の瞳は一途だった。
オリヴィアの心臓がばくばくと鳴りだした。
なにか。なにか。今、かりそめだった二人の関係が永遠に変わるようななにかが、起ころうとしているのだ……。
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