A Night To Surrender

 どうやってここに辿たどり着いたのか、オリヴィアはよく思い出せなかった。

 気が付けばオリヴィアは、エドモンドの寝室の扉の前に、彼に抱かれてたたずんでいる。ファレル家の屋敷でそうされたように大事に横抱きにされて、階段さえ上らせてもらえなかった。

 濡れていた髪や服が乾燥して、どちらかといえば乱れた格好であるのにも関わらず、オリヴィアの目に映るエドモンドはとびきりの偉丈夫だった。


 彼の緑色の瞳に見つめられると、オリヴィアの心はその中に落ちて、永遠に出口を見つけられなくなる。

 こんなふうに誰かを愛せるなんて、信じられないくらいだった。

「どうしてもっと、早くこうなれなかったのかしら?」

 エドモンドが妻を見つめたままなにも言わなかったので、オリヴィアはそう小声で呟いて、片手を彼のほおに滑らせた。

 エドモンドはくすりと短い笑いを漏らした。

「それは、わたしの祖父が信じられないほど意地になって秘密を守ってきたせいでもあるし、わたし自身が、彼よりさらに質の悪い頑固者だったせいでもある」

 そこまで言って、エドモンドは肩で押すようにして寝室の扉を開けた。「しかし、聖書にもある。『すべてのものに時あり』」


 そして、二人の寝室の扉が開いた。

 二人の寝室、だ。今夜から。


「こうして今まで待ったことで、わたしは幾つかのことを学んだ。一つ、わたしは自分で思うほど、自制心が強いわけではないらしいこと」


 床が、オリヴィアを抱いたエドモンドの足の重みにギシリと乾いた音を立てる。彼が一歩進むたびに、その音は大きく、長くなっていくような気がした。

「二つ、わたしがどれだけあなたを愛しているか。オリヴィア」

 抱かれたまま、そっと首筋に口づけを受けた瞬間、オリヴィアは全身を震わせた。

 頭がぼうっとして、もう、彼がなにを言っているのか、オリヴィアには確かでなかった。彼を愛する心と一緒に、冷静さとか、判断力とか、そういったものが全て蕩けていってしまったかのようだ。

 オリヴィアは彼に愛の言葉を囁き返したかった。

 どれだけ彼を愛しているかとか、どんなところが好きでたまらないとか、そういったことを伝えたかった。しかし、オリヴィアが口を開こうとすると、エドモンドはすぐに口づけでそれを遮ってしまう。


「三つ、この愛はどんなものにも勝る。わたし自身の愚かさでさえ、結局は、この想いを止められなかった」


 背後にベッドが近づいていたことに、オリヴィアは最後まで気が付かなかった。

 ふわりと、まるで身体の重みがなくなってしまったかのように優しく寝台の上に寝かされて、はじめて気が付いたのだ。エドモンドは両腕で上半身を支えながら、彼女の上に覆い被さるようになり、さらに言葉を続けた。


「ピートの告白を聞いたからといって、わたしが恐れていないとは、思わないでくれ。わたしはあなたを失うことをなによりも恐れている。だから……約束してくれ」


 オリヴィアは目頭が熱くなるのを感じて、上手く返事ができないで息詰った。しかし、彼の願いに従う覚悟は、十二分にあった。「え、ええ……」

「わたしを置いていかないでくれ。わたしの息がある限り、ここで、わたしの側で、生きていて欲しい」

 懸命にうなづきながら、オリヴィアはエドモンドに合意した。

 ああ、涙をこらえるのが、これほど大変だったなんて。

「その為なら、わたしはどんなことでもする覚悟だ」

 ええ、きっとそうね。あなたは約束を守る人だわ……エドモンド・バレット。わたしの愛しい人。

「どんな願いでも叶えてあげよう。昼まで寝ていたいというなら、そうさせてあげる」


 オリヴィアは夫の髪をゆっくりと撫でた。

 彼は満足そうに目を閉じて、オリヴィアの手首に短い口づけをした。


「約束します、わたしの領主マイ・ロード。永遠にあなたの側を離れないわ」



 そして夜は二人のために、静かに、ゆっくりと明けていった。


 ああ、どの星に、願いを掛ければいいだろう。




     *




     *




 次の朝、オリヴィアが目を覚ますと、肩肘で上半身を支えながら横になっているエドモンドがすぐ隣にいて、彼女の黒髪を指先にからめながら微笑んでいた。

 つい、オリヴィアも微笑み返す。

「おはようございます……エドモンド」

「おはよう、オリヴィア」

「なにを考えているの? とても……幸せそうだわ」

 エドモンドは、「ああ」と短く返事をして、指にからめていた髪の房を唇に押し当てた。そして、

「アリストテレスの言葉を思い出していた」

 と、寝起きらしい、乾いた男っぽい声で言った。

 オリヴィアは目をしばたたく。

「アリスト……」

「テレス。彼は愛についてあることを言っていた。気にしたことも共感したこともなかったが、今朝だけは、その意味が分かる気がする」

 初夜明けの朝からギリシア哲学を学ぶことになるとは思わなかった。しかし、相手はノースウッド伯爵エドモンド・バレット卿なのだ。オリヴィアは大人しく続きを待った。

「彼いわく、『愛とは』」

 エドモンドは優しく微笑み、オリヴィアの耳元に囁くようにして、言った。「『二つの身体に宿る、一つの魂である』と」


 夏の朝日はすでに、ノースウッドの大地を眩しく照らし出していた。

 鳥が鳴き、朝露がかわき、緑がきらめいている。


 カーテンから漏れる日光が、エドモンドの濃い金髪に鈍い輝きを与えていた。オリヴィアはそれに触れ、夫からほとばしる男性的な香りに酔いしれながら、くすくすと笑い声を漏らした。


「そうですね……それはきっと、真実だわ。わたしもそう思います」

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