Let Me Fall - 4

 ところ変われば……人も変わるものなのだ。

 素朴で穏かなウッドヴィルの人々に囲まれて、オリヴィアはすっかり機嫌を取り戻していた。何よりも嬉しかったのは、他でもない、エドモンドが躊躇なくオリヴィアを彼の妻だと公言して回ってくれることだった。

 それでも、

「おめでたいことだわねぇ、お幸せに」

 そう言ってある初老の女性に手を握られたとき、オリヴィアの心は少し痛んだ。

 ──おめでたいこと。

 ──お幸せに。

 もしエドモンドとオリヴィアが普通の幸せな新婚の夫婦だったら、こんなに嬉しい祝いの言葉はないけれど、二人の関係は普通とは少し違う。


 エドモンドはぴたりとオリヴィアの後ろに立って、彼女の背にさりげなく手をあて続けていた。

 彼の手には魔法があるんだわ、とオリヴィアは思った。

 そうでなければ自分がおかしくなってしまったんだ。ただドレス越しに手を触れられているだけなのに、こんなに身体中が上から下まで熱くうづくなんて。

 しかし、時々オリヴィアがエドモンドを振り返って見上げると、彼はどこか緊張した顔をしていた。

 それがなぜなのか、オリヴィアには分からない。

 図らずも街に出ることになったせいで、仕方なく、オリヴィアを妻だと宣言しなければならなくなったから機嫌が悪いのだろうか……。オリヴィアの立ち居振る舞いがよくないのだろうか。それとも、単に街が苦手なだけなのか。

 どんな理由にしても、見通しは明るくなかった。

 新婚の妻を紹介する夫が強張った顔をしているのだから、周囲からは当然、いぶかしがられているはずだ。ノースウッド伯爵は新妻に満足していない。きっとそう思われているだろう──。



 人込みをかき分けてマーガレットの側にやって来たローナンは、彼女の隣に立つと興味深く様子をうかがった。

 お目の高い仕立て屋の女主人がオリヴィアに対してどんな感想を持つのか、知りたかったのだ。

「ノースウッド伯爵は今すぐマダムを屋敷に連れて帰って、ベッドに押し戻したくて苛々していらっしゃるのね」

 日焼けを避けるためツバの広い帽子を被っているマーガレットは、その下から好奇心旺盛な瞳をきらりと輝かせながら、ささやいた。

「──子供でもそれくらい分かってしまうわ。街人に紹介するのさえ我慢ならないようね」

「そうだろうね。もし僕が夫だったら、オリヴィアみたいなのは箱に入れて鍵を閉めてしまっておくよ」

「そういう殿方は多いわ」

 マーガレットはちらりと視線を上げた。

 エドモンドと並ぶと少し線の細い印象のあるローナンだが、こうして婦人の隣に立ち、その長身をぴんと伸ばして腕を組んでいると、中々絵になる男らしい風情だ。

 マーガレットは賞賛の笑みを洩らす。

 昔からそうだ、とマーガレットは思った。バレット家の男たちは代々とても魅力的だ。

「ピートはお元気かしら?」

 伯爵夫妻に視線を戻したマーガレットは、平静を装った声でバレット家の老執事についてローナンに尋ねた。ローナンは肩をすくめる。

「あの年にしては元気なんじゃないかな。相変わらずふらりといなくなることが多いから、あんまり屋敷にはいないよ。時々帰ってくるとオリヴィアにちょっかいを出してるけど」

「目に浮かぶようね」

「気になるかい?」

「いいえ!」

 マーガレットは声を上げた。「お店に来る婦人方にバレット家の話題はとても人気があるのよ。だから知りたいだけだわ!」

 再び肩をすくめたローナンは特に皮肉を返すわけでもなく、納得したようにうなづいてみせた。


 恋は人を落とす。

 どこか深い深いところへ。





 噴水広場での小さな騒ぎから離れたバレット家の三人は、しばらくの間、ウッドヴィルの街を散策して回っていた。

 時々子供たちが駆け寄ってきて、オリヴィアに歓迎の花を渡したりする。

 オリヴィアが礼を言って微笑むと大概の子供は顔を真っ赤にして逃げたが、中にはしばらくオリヴィアについて歩いてくる子もいた。

「レイディのドレスはとてもすてき」

 茶色の髪を二つのみつあみにした、そばかすだらけの小さな少女が照れながら言った。「赤いスカーフも見たことのないかたち!」

「ありがとう。これは……ええっと、伯爵から頂いたものなのよ」

 オリヴィアが苦し紛れに答えると、一歩後ろを歩いていたローナンが声を上げて笑った。

 エドモンドがローナンを睨む。



 ウッドヴィルは石造りの建物が多い地味な雰囲気の街だったが、青い空にのぼる明るい太陽が素朴な通りを照らしだし、なんでもない田舎の軒並みを魅力的にみせていた。

 いつもにまして饒舌なローナンがオリヴィアに街の説明をするかたわらで、いつも以上に仏頂面のエドモンドが無口に歩いている。

 オリヴィアは出来るかぎりエドモンドにも会話に加わってもらいたくて、少しでも珍しいものがあると大袈裟に喜んで彼の関心を引こうとしたが──効果のほどは不明だった。

「見てください、ノースウッド伯爵! あの軒にある花はとても綺麗な色ですね」

 小さな花壇を指差してオリヴィアが言うと、エドモンドはその桃色の花とオリヴィアを素早く見比べて、「そうだろうか」というようなことを言った。

「ええ、とても綺麗です。珍しいし、大好きな色だわ」

「……覚えておこう」

 エドモンドが素っ気無く答えたので、やはり男性は花の話題など興味がないのだと……オリヴィアは唇を噛んだ。

 だとしたら何を話せばいい?

 会話上手なローナンのおかげで、三人はそれなりに楽しげに散策していたが、オリヴィアの心の中には嵐のまえのようなざわつきが途絶えなかった。

 この街に来た理由は、エドモンドとの仲を進展させたくて、だったのに。ローナンはいい案があると言ったが、状況は何も変わっていない。

 しかし何を企んでいるのか、ローナンはある仕立て屋の前にくると足を止めてオリヴィアを振り返った。扉に洒落たフランス式の丸いノブが付けられていて、銀色のプレートに「マーガレットの仕立て屋」と彫ってある小さな店だ。

「ここの仕立て屋は中央からも注文が入るそうだよ。素敵な布やスケッチが沢山ある。入ってみたいだろう、オリヴィア?」

「え、ええ……それはもちろん……」

 そういえば、ローナンは最初から仕立て屋に行ってみようと言っていたことを思い出して、オリヴィアは頷いた。

 思わずエドモンドを見上げてみると、彼は目を細めてローナンを見ている。

 ──どこか警告するような目だった。

 オリヴィアには、エドモンドが警戒する理由を一つだけ思い当てることができた。


「大丈夫です、ノースウッド伯爵。出来るだけ安価な布で作るようお願いしますから、安心してください」


 緊張した声で言うオリヴィアを見下ろして、エドモンドは何かを低くうなっていた。

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