A Whole New Life - 2
案内された部屋に入り、ジョーが荷物を運び終わると、オリヴィアは疲れた身体をそのままベッドに沈めた。
水色のキルトが白いシーツの上に掛かった大きな四柱式のベッドで、枕も当然のように白だ。
身体を横たえたまま天井を見上げる。ここへ上がるまで、屋敷の中は質素きわまりなかったが、この寝室だけは彫り飾りのついた重厚な梁はりがめぐらせてあり、それなりの形式というか……伯爵の寝室としての威厳を保っているように思えた。
オリヴィアは深い溜息を吐き、しばし思いを巡らせてみる。
あっという間の出来事だった──。
20歳の誕生日を目前にして、突然父から言い渡された結婚話。名前も、存在さえも知らなかった男、エドモンド・バレット卿との結婚だ。
オリヴィアは、自分が結婚適齢期を外れはじめているのを理解していたし、特に恋人がいたわけでもないから、時期がくれば父の決めてきた相手に嫁がされるのだろうということに、一応納得していた。
(私には、シェリー姉さまのような強さはないもの)
オリヴィアは夢見がちなロマンチストだったけれど、姉シェリーのように愛を求めて奔放に行動できるほど、大胆ではない。
恋をしたい。
愛のある結婚をしたい。
そんなことを夢見る、平凡な19歳だった。
オリヴィアには二人の兄と、一人の姉がいる。三人ともそれはよくできた兄妹で、輝くような美貌に溢れんばかりの野望を秘め、社交界の寵児として崇め奉られている……らしい。
らしいというのは、オリヴィア自身はあまり宴のような席にはでず、出ても端っこで壁の花になっているだけなのが常だったからだ。
「ジョフもマシューもシェリーも私によく似ている。本能に忠実で、欲しいものをよく分かっている。そしてそれを得るための努力を惜しまない」
父は言った。「しかしお前はなんだ、オリヴィア。毎日毎日、家と庭の往復ばかり。いつまでも童女のように無邪気なままだ」
それどころか、シェリーは童女のころから将来の旦那探しに精を出していたぞ、と戒めを加える。
父は猛烈実業家で、仕事の鬼で、その腕一つでオリヴィアが住んでいた豪邸を築き上げた成り上がりだった。そして、それを自分で誇っていた。たとえ誰がどう眉を潜めようとも。
オリヴィアだって、そんな父を尊敬すると共に愛していた。
しかし、生まれ持った性質ばかりはどうにもならない──オリヴィアは父の言うとおり、まったく野心のないお嬢様だった。シェリーのように自ら「狩り」に出ることはまずなく、ただにっこりと微笑みながら誰かが何かを与えてくれるのを待っている。
自由に愛に生きるシェリーを、頭の固い連中はふしだらだと非難するが、サー・ジギー・リッチモンドにとっては、彼女こそがお気に入りの娘なのだ。逆にオリヴィアは、輝かしい兄妹の中の黒い斑点だった。立派な大木に生えたきのこ。純白のミルクに入ったハエ……。
(ひ、卑屈にならない……っ)
だからオリヴィアは、勝手に決められた結婚ではあったけれど、父の望んだ相手であるし、新しい愛情のある家庭を築く機会として、快くエドモンド・バレットを受け入れたのだ。
エドモンドがオリヴィアを受け入れた理由は分からないが、多分持参金が絡んでいるのだろうと、その程度の予測は彼女にもできた。屋敷を見た今、それはほぼ確信となっている。
しかし、である。
3日間の旅の過程。
エドモンド・バレットは、馬車の乗り降りなどで手を貸す以外、一切と言っていいほどオリヴィアに触れなかった。
会話は、オリヴィアから話しかければ一応の返事を得られたが、エドモンドの方からすすんで話しかけてくることはなかった。本当になかった。
確かに、オリヴィアは、姉シェリーのような絶世の美女ではない。
男性達がこぞって触れたがったり、愛の言葉をささやきかけようとする相手でないことは知っている。しかし、だからといって、触れるのも話しかけるのも煙たがれるほど醜女ではないと思っている。……多分。
それに、
(誓いの、キスは……)
怖いくらいに情熱的だった。
むさぼるような、熱い口付け。強く腰を抱かれ、激しく求められた。
……と、思う。
それがあれ以来さっぱりなのだ。
慣例にしたがって、婚儀をすませたエドモンドとオリヴィアは、さっそく彼の領地であるノースウッドへ旅立った。そして辿り着いた。巨大な納屋のようなお屋敷と、こわい執事にも対面を済ませた。
とりあえずオリヴィアは、エドモンドがオリヴィアに関心を示さないのは、旅のせいだと納得することにしている。
しかるべく訪れる初夜も、きっと領地に着いてからになるのだろう、と。
(まだ、知らないことだらけだわ)
エドモンドがどんな人なのか。
ノースウッドがどんな土地なのか。
バレット家の屋敷はどうなっているのか。
でも、知らないことは学べばいい。幸い時間はたっぷりある。
「マダム」
という声が上の方からして、オリヴィアはゆっくりと瞳を開けた。
「起きなさい。ここでは何でもかんでも召使がやってくれるわけではない。顔を洗って着替えをするくらい、自分で済ませてくれると助かる」
「……え……」
ぱちりと目を見開く。
すると、着の身着のままベッドに横たわったオリヴィアのすぐそばに、エドモンドが腰掛けていた。二人分の重さでベッドがぎしりと音を立てる。オリヴィアは何度か大きな瞬きを繰り返した。
「私……」
「眠っていたようだ。疲れているのはわかるが、だったら下の食事を断るなり、風呂を用意させるなりさせるべきだろう。君はここの女主人になったのだから」
エドモンドは、法律文でも並び立てるような平淡さで、目を覚ましたばかりの新妻に諭し始めた。
オリヴィアはゆっくり起き上がろうとする。
すると、彼女の長い髪の一部が、エドモンドの尻の下に敷かれているらしかった。ぴんと張って、オリヴィアは小さな悲鳴を上げる。
「すまない」
エドモンドは腰を上げ、オリヴィアの髪を解放したが、またすぐに座りなおす。
「──が、君のベッドは残念ながらここではない。続き部屋があって、そこに女性用のベッドが用意してある。今夜からそれが君のものだ」
寝起きで、まだ頭がボーっとしていたから、オリヴィアにはエドモンドが何を言っているのかいまいち掴みきれなかった。
「それは……」まどろんだ声で訊ねる。「ノースウッド伯爵もそのベッドで眠るということですか? たった今このベッドで休みましたが、とても快適だったと思います。二人でも充分な大きさですわ。変える必要は、ない気がするのですけど……」
「違う、マダム、私はここ、そして君はその続き部屋で眠る」
「は?」
「私たちは床を共にしない。少なくとも、しばらくの間は」
オリヴィアは続いて大きな瞳を瞬いた。
「それは……なにか、習慣的なことでしょうか」
聞いたことがある。都市から遠く離れた田舎では、その土地独特の習慣や迷信があるものだと。
しかしエドモンドは厳かに答えた。
「違う。私たちは結婚した。君はレディ・ノースウッドとなった。君はこの屋敷の女主人で、私の妻だ。しかし私たちは床と共にすることはない」
「…………」
オリヴィアは大きくて青い瞳をまん丸に見開いて、ノースウッド伯爵エドモンド・バレット卿を食い入るように見つめた。
彼も着替えていないが、上着の前ははだけており、逞しい喉元と胸の上のほうがのぞいている。
至近距離にある彼の顔は、ほどよく日焼けしており、精悍で彫りの深い顔立ちはあらためてうっとりしてしまいそうな男らしさがあった。どう控えめに見ても、エドモンドは荒削りながらも魅力的な男性であり、オリヴィアの夢見た夫像そのものだった。
それが──何と?
床を共にすることはない?
「つまり──」
オリヴィアの声なき疑問を聞いたかのように、エドモンドは説明を続けた。
「私は君を抱かない。したがって君が私の子を生むことはない──そういうことだ」
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