That's All I Want - 2

 大勢の、ひどく興奮した人々のあいだをすり抜けるのは、小柄なオリヴィアにとって簡単な仕事ではなかった。

 きらびやかなドレスや礼服にもまれつつ、なんとかぶつかってくる人々を手で避けつつ、オリヴィアは舞踏室から大広間、そして廊下や控えの間へと進んだ。

 しかし、あれだけ目立つ容姿にも関わらず、どこを探してもピートは見つからない。


 最後に彼を見たのはいつだったか、オリヴィアの記憶も曖昧だった。

 ぼうぼうに生えた白髪──白銀の髪といえと言われたっけ──は、舞踏会用の派手な衣装たちに囲まれても、簡単に見つけられるはず。そう思って、考えつく限りの場所を探してみたが、成果は芳しくなかった。老人はどこにもいない。

 きつめのドレスのせいもあって、オリヴィアの息はだんだんと弾んできた。

 しばらくすると幸運にも、人波から離れることができたので、オリヴィアは息を落ち着けるために大きなマントルピースのある一角で足を止めた。

 なんなのだろう。


(これじゃ、まるでわざと避けられてるみたい……)


 オリヴィアは興奮した自分をなだめるために、あらためて辺りを見回してみた。

 豪奢に着飾った人々が、ふるまわれる美酒や音楽に酔っているすぐ側で、白黒のお仕着せを着た使用人達が忙しそうに盆を持って駆け回っている。

 豪華な、しかしありふれたファレル邸は、どこかオリヴィアの生家を思い起こさせた。

 キラキラと光るシャンデリアは眩しいくらいだし、壁だけでなく天井にまで飾り絵が描かれていて、住人を飽きさせない工夫がされている。高価な調度や家具が所狭しと並び、それぞれの美を競っているが、どうも雑然とした感が拭えない。マントルピースの上には大陸製のきらびやかな壷が二組。

 そして、よくできた白猫の置物がひとつ、その間に鎮座していた。

 その白猫は、貴族たちに負けず劣らずの優雅なたたずまいで、大きな銀色の瞳を輝かせながらオリヴィアの方を見ている。毛が長くて、猫にしては背筋がピンとしているので、まるで小さな獅子のようだった。

「とっても可愛いネコさんね」

 と、オリヴィアは力なく微笑んでみた。

 こんな時は、物言わぬ置物に慰めを見いだしてみるのも悪くないはず……。そう思ってオリヴィアは猫の頭に手を乗せてみた。すると、

「ニャオ」

 と答えがあった。

 最初、オリヴィアは疲れからくる幻聴かと思って、大きな瞳を大袈裟に瞬いてみた。白猫はほぼ微動だにしない。

 でも、なんだろう、この柔らかい毛は。温かくて、まるで本物だ。

「ニャー」

 猫は再び鳴いた。

「まあ」

 耳に届いたオリヴィアの手を煙たがるように、白猫はのっそりと尻尾を振りだした。「ニャー」ともう一度鳴くと、銀色の瞳を細めて、いかにも鬱陶しそうにオリヴィアをねめつける。

 オリヴィアは伸ばしていた手を引っこめた。

「あなた、本物のネコだったのね。あんまり綺麗だから分からなかったわ、ごめんなさい」

 すると、謝られたのに気を良くしたのか、白猫は満足そうにヒゲをひくつかせて、オリヴィアに向かってあごをしゃくってみせた。

 その態度は、いかにも自分の方が位が上だといわんばかりで、さあ、お前に私を触れる名誉をくれてやろうと家臣に言い渡す国王のようだ。まあ、国王がそんなことを言うところを見たわけではないけれど、きっとこんな感じなのだろう。

「みんなして人を何だと思っているのかしら」

 わずかに唇をとがらせながら、オリヴィアは白猫に向かって愚痴をこぼしてみせた。「私を甘く見てはだめよ、優雅な猫さん。鶏の大群と戦ったこともあるんだから」

 ──負けてしまったけれど、という戦果については口に出さなかった。

 白猫はそんなオリヴィアの発言について、これといった興味を示さず、また最初と同じ優雅な姿勢に戻ってあさっての方向を見つめはじめた。

 本当に、猫までが私を甘く見ているんだわ。

 オリヴィアは眉を寄せて白猫を見つめたあと、ファレル家の屋敷に視線を戻した。

 キラキラと光って、どこか軽率で華やかで……ずっしりと重厚で、質素だが堅実そうなバレット家の屋敷とは大違いだ。オリヴィアにはもう、自分がこんな豪奢な屋敷の住人になる将来は描けなかった。自分の未来は、あの、大きくて無愛想な屋敷にあるとしか思えない。変な老執事と、不味いスープを作る料理人と、お節介焼きな義理の弟に囲まれて、分厚くつもった埃をどうしようかと頭を悩ませるような。そしてなによりも、頑固だけれど誠実な夫との愛情に満ちた人生を……。

 そう、エドモンドのことを思い出しただけで、オリヴィアは頬が真っ赤に染まっていくのを感じた。

 彼はオリヴィアに口づけをした。

 それはもうオリヴィアがめまいを感じるほどの激しさで、百回の愛の告白よりも明白に彼の想いを突きつけてきたのだ。あれを愛だと言わないのなら、一体何が愛と呼ぶに値するのか、オリヴィアには想像もつかなかった。

 それなのに──


 『私たちは別れなければならないんだ』、と、彼自身に言い聞かせるように、エドモンドは繰り返した。


 どうしてだろう。

 ああ、そうだ。あの頑固な領主は……優しすぎるのだ、きっと。


 『バレット家の呪い』。あの、あるのか、ないのかさえ確かではない不運な死の連続に、彼はオリヴィアを巻き込まないようにしたくて仕方がない。オリヴィアだって、怖くないわけではない。

 それでもその恐怖は、エドモンドが抱えているものに比べれば、ずっと軽いのだろう。


 彼は戦っている。

 愛を手に入れる幸せと、それを失う恐怖との間で、揺れながら。


 オリヴィアは自分が規範的な妻でないことは分かっていたが、今だけは、エドモンドの伴侶として正しい行動を取りたかった。夫が戦っているとき、それを助けるのが妻でなくて、誰だというの?


 心を引き締めるようにして、オリヴィアは再び周囲に視線を戻した。

 あらためて耳を澄ますと、どうしてだか急に、屋敷全体が騒がしくなってきている気がする。あちこちから何かが割れるような威勢のいい音が響いてきて、時々、誰かが甲高い叫びを上げていた。騒ぎの元は舞踏室のようだ。

 何かといぶかしがってオリヴィアがさらに耳を澄ますと、「決闘だ!」という叫びが聞き取れた。

(新しい室内ゲームなのかしら……?)

 新しい流行のものでも、昔からある古いものでも、オリヴィアは舞踏会の余興として行なわれる室内ゲームが大の苦手だった。若者が大勢でグループを作って、男女が交じり合い、この時ばかりと無礼講になる。少しばかり軽率な行動も、ゲームの名の下に許されるのだ。

 とりあえず、ピートがその中に混じっている図は考えられなかった。

 ──あの老執事を捜さなくては。

 ピートは、エドモンドの心を変えられる何かを知っているかもしれないのだ。誰も知らない秘密を、彼は握っている。

 そして何よりも……彼はエドモンドの祖父なのだから。



 オリヴィアがふと目を上げると、次の間に広い階段があって、上階へと繋がっているのが見えた。よく磨かれた大理石が段にはめ込まれて輝いている。

 なぜか急に、理論的な説明のできないなにかがオリヴィアの中にきらめいた。それは俗に、「勘」とか、「ひらめき」とかいうものだろう。

 あの老執事はあの年齢にも関わらず、一人で矍鑠かくしゃくと階段を昇ることができるのだ。本当に、バレット家の男たちは強靭にできているらしい。

 オリヴィアは、華麗に広がったスカートの裾を両手ですくうようにして、その階段に向かった。

 どこだって、探してみる価値はある。

 この愛のためなら。


 白猫は、オリヴィアが残していった甘い香りにヒゲをひくつかせながら、階段を昇っていく彼女をじっと見つめていた。

 もう一度の「ニャー」がその後に続く。

 それはまるで、悪戯好きの冥界の門番の、遅すぎる警告のように響いた。

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