Unbreakable - 2

 ガブリエラ・ファレルはヒューバートの年の離れた妹で、さまざまな点で兄とよく似ていた。

 小ぶりの顔は抜けるように白く、高貴な印象を与えるきらめく金髪と、冷たい青の瞳を持っている。鼻筋が細く神経質そうに見えるのをのぞけば、たしかに彼女は美しかったし、美しくあろうとする努力を惜しまない人間だった。

 自分はつねに人々から最高の賞賛を受けてしかるべき女王であると考えており、特に舞踏会のような場面では、自分が主役にならないと気のすまない性質だった。兄が主催する舞踏会とあれば、なおさらのことだ。

 ガブリエラとヒューバートの兄妹が唯一決定的に違う点といえば、それはノースウッド伯爵エドモンド・バレット卿に対して持っている考え方についてだった──兄ヒューバートは、エドモンドを『鼻持ちならない頑固な田舎者』であり、宿敵であると考えている。妹ガブリエラは、その田舎者を素晴らしく魅力的な男性であると認識していた。

 あの長身。精悍で男らしい顔付き。野性的な緑の瞳。堂々とした低い声。


 いままで、どれだけガブリエラが色目を使って誘惑しても、エドモンドは決して色よい返事をしなかった。しかし、それはガブリエラに対してだけではない。エドモンドは女──特に貴族の女に対して、いつもひじょうに慎重だった。

 それが……。

(成金の娘ですって! きっと醜い小ねずみのような女でしょうとも!)

 エドモンドが結婚したという知らせを受けたとき、ガブリエラはそう考えることで燃え盛る嫉妬心を沈めようとした。哀れなエドモンドは、領地を切り盛りするために豊かな持参金が必要で、醜い成金の娘と嫌々結婚したのだ。なんという悲劇! 彼には慰めてくれる女が必要なはずだ……。それも、彼とつり合うような高貴な女が。

 そう、つまり、ガブリエラのような女が。


 今夜屋敷で催される舞踏会について、ガブリエラは並々ならぬ執念を燃やしている。

 エドモンドが新妻をともなって参加するのだ。

 ガブリエラは今夜の舞踏会ために魅惑的な緑色のドレスを仕立てさせたうえに、豪華な宝石や髪飾りを用意して、その憎々しい小ねずみと張り合うために息巻いている。

 ただ一つ気になるのは、兄のヒューバートの腑抜けた態度だった。

 一週間ほど前にその小ねずみと会ったという兄は、どういうわけかすっかり彼女に魅了されてしまったようなのだ。今夜はどうにか彼女をエドモンドから引き離し、上階にある寝室に引っ張り込もうと画策しているらしい。ガブリエラは憤然としたが……よく考えれば、それはなかなか都合のいい組み合わせなのだ。

 兄が小ねずみ女の相手をしているうちに、私がエドモンドを誘えばいいのだから。


 空は灰色の雲にさえぎられて濁にごっていた。

 舞踏会は雨の中で行われることになりそうだった──激しい雨の中で。





 馬車での道中は思ったよりも快適で順調だったが、オリヴィアは目標を果たせないでいた。

 つまり、ピートから秘密を聞き出すことができないままでいたのだ。

 四人は窮屈な馬車の中で肩を寄せ合って座っていたが、時々エドモンドかローナンが御者を助けるために外へ出たり入ったりして、なかなかゆっくりできる機会はなかった。ピートは黒の礼服を着込んでいたが、四方に飛び散った髪はそのままで、それが余計に普段以上の迫力を放っている。ローナンはいつもの優しい調子でオリヴィアの美しさを褒めたたえ、老人はお得意の毒舌でそれを否定し、エドモンドは必要以上に喋らなかったが、つねにオリヴィアのことをじっと見つめていた。

 ピートはもうバレット家の秘密については語らないつもりらしく、オリヴィアがそれとなく質問しても無視した。


 屋敷が近づいてくると、他の来賓の馬車や人々の群れで賑やかな騒音が聞こえはじめ、オリヴィアの心はそわそわと躍りだす。エドモンドは小さな窓からのぞいて外を確認すると、心なしか険しい表情をした。そんな彼を見ながら、オリヴィアの心臓の音はますます急いた。

(神さま、どうか私たちを助けてください)

 オリヴィアは胸元を飾る緑の宝石に手を触れて祈った。

(本当は嫌なの。これが最後の夜になるなんて、本当は我慢できない)


 バレット家の馬車が屋敷の門に着いたとき、空はすでにどんよりと暗く雨雲に覆われ、日も落ちかけていたが、正面玄関は天候に逆らうように明るく賑わっていた。着飾った紳士淑女が香水の匂いを振りまきながら集まり、早くも最新の噂話をささやき合っている。どの窓からも光が漏れ、これからはじまる誘惑の夜を約束していた。

 正面玄関で馬車を降りたオリヴィアたちは、人々の間を縫うように進みながら、扉の前で喧騒を取り仕切っている執事の前に進み出た。執事はグレイの髪をした初老の男性で、招かれた客を屋敷内に案内し、招かれざる客を丁寧に、しかしきっぱりと追い返すことを今夜の仕事としていた。

 エドモンドとその一行を見とめた彼は、慇懃に頭を下げて敬意を表した。

「これは、これは、ノースウッド伯爵。今晩は貴方さまを特別歓迎するようヒューバートさまから申し付かっております。どうぞこちらへ──」

 と、まで言って、執事はバレット家の執事に目を留めた。

「……失礼ですが、こちらの方は」

 いかにも胡散臭そうな顔を隠しきれず、執事は眉をひそめた。

 バレット家の執事は抵抗するように目を細めた。

「こちらはうちの執事だ。一泊させていただく予定なので、世話役として連れてきている」

 エドモンドが説明した。

 隣でピートがフンと鼻を鳴らすのが聞こえて、オリヴィアは一人ハラハラしたが、執事はしぶしぶと納得したようだ。四人はそのまま応接間へ案内された。

「どうぞ存分にお楽しみくださいませ。舞踏会はもうすぐ始まりますでしょう。それまではお飲み物でも召し上がりながら、皆さまとおくつろぎください」

 執事は正しく執事であった。

 オリヴィアは、バレット家の某執事が、ファレル家の執事の背中を眺めながら「この馬鹿めが」と呟くのを聞いたが、深くは考えないことにした。


 応接間は巨大なシャンデリアに照らし出され、白黒の制服に身を包んだ使用人たちがクリスタルの杯に入った魅惑的な飲み物を配り歩き、早めに到着した客たちですでに混雑している。女性は皆、華やかなドレスを着こなし、礼服姿の紳士たちはあちこちに目を配らせながら大いに楽しんでいるようだった。

 そんな中でも、バレット家の男たちはよく目立った。

 まあ、ピートが目立つのは白い孔雀のような髪のせいだとしても、エドモンドとローナンの凛々しさは群を抜いている。二人はまるで猫の群れの中にまぎれ込んだ虎のように見えた。長身も、野性的な逞しさも、この応接間に集まった貴族たちには著しく欠けているものだ。

 すぐに老若男女の視線が集まってきて、オリヴィアは誇りと恥ずかしさの合いまった妙な気分になってきた。

 扇子を口元に当てた婦人たちがこちらを見てコソコソと相槌を打ち合っている。

 男たちが、嫉妬と賞賛の混じった目でじろじろとこちらを見ている。

 不安そうな顔をするオリヴィアを見下ろしたローナンは、彼女の手前に進むとそっと優しく耳打ちした。「義姉さん、あなたは今夜の主役になるよ。どんな女の人たちも君の半分も魅力的じゃないからね」

「あなたのお世辞の上手さがあれば、それこそ、ここにいる半分以上の婦人を夢中にさせられるでしょうね、ローナン」

「心外だな、義姉さん、僕は正直なだけなのに」

 ローナンは片目をつぶって見せた。「真実は今に分かるよ。暗闇と、君の美しさに目のくらんだ男たちに気を付けること。いいね」


 ピートは隣の談話室にある座り心地のよさそうな長椅子に腰を下ろし、ローナンは飲み物を取りにいくといって二人から離れた。群集から頭一つ飛び出している義弟の後姿を見送ったオリヴィアは、急に少し不安になってきた。

 すると、首筋のうしろがひやりとして、オリヴィアはびくりと振り返った。

 冷たい氷のような表情をしたエドモンドがそびえるように立って、オリヴィアを見下ろしている。まるで応接間に立っているのは彼とオリヴィアだけだとでも言いたげな表情で、次に何をしだすのか予想が付かなかった。部屋の奥から陽気な楽団の音楽が聞こえはじめる。

「私たちの結婚を破棄するにあたって」

 と、エドモンドは非情なほど低い声で唸るように言った。「あなたはいつか再婚をするのだろう。この中に目ぼしい相手がいるとしたら、あなたは自由だ」

 オリヴィアはショックを受けて水色の瞳を大きく見開いた。

 エドモンドの大きな身体は、オリヴィアを見つめることと呼吸をすること以外の動きを止めているようだった。

「私は……」

 息を呑みながら、オリヴィアは震える声で答えた。「再婚なんてしません。あなたが私を捨てるなら、気難しい独身女になって実家に篭るか、修道院に入るつもりです」

「そんな馬鹿なことをする必要はない。この部屋にいる独身男性のほとんどが、喜んであなたを妻に迎えるだろう」

「だから何だって言うんですか? 私は嫌だわ」

 反抗的に唇をとがらせたオリヴィアを見下ろして、エドモンドは理解不能の罵り言葉をいくつか口の中で呟いていた。オリヴィアは一生懸命くじけそうになる自分を奮い立たせながら、彼に対峙するために爪先立ちした。エドモンドのような男に歯向かうのは容易ではなかったが、はいそうですかと別の男を捜しにいくわけにはいかない。だって、すぐ隣に愛する人がいるのに、そんなことをするなんて馬鹿げている。

「あなたは後悔することになるだろう……」

 脅すような口調で、エドモンドはオリヴィアに詰め寄った。

 夫は腹立たしげだったが、オリヴィアに近寄る身のこなしはゆったりとしており、まるで彼女の周りに頑強な防御壁を築くような動きで腕を回してきた。ぐっと抱き寄せられ、オリヴィアは再び息を呑んだ。

 どくどくと熱い血流が身体をさかのぼるようだった。そして、彼の身体も同じように興奮しているか、それ以上であることを、はっきりと感じた。

「あ、あなたこそ、後悔することになるかもしれないんだわ」

 勇気をふりしぼって、オリヴィアは毅然とそう言い返した。するとエドモンドの息は荒くなり、眉間には深い皺が寄って、今にも頭から湯気を噴くのではないかと思えるほどの怒りを燃えたぎらせているように見えた……。


「後悔ならもうとっくにしている。十分に。十分すぎるほどにだ、マダム」 

 エドモンドは言った。


 外ではゆっくりと雨が降りはじめ、庭園に広がる木々を暗く湿らせたが、屋敷の中には隅々まで人が集まり賑やかに輝いていた。

 舞踏会がはじまろうとしている。

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