A Whole New Life - 1
どれだけ
それも──とびきり巨大な納屋だ。
ひょろりと背が高くて、がっしりと大地に根を下ろすように建っていて、余計な装飾はまったく無い。どの時代に建てられたのか、建築の知識の薄いオリヴィアには想像もつかなかったが、多分300年は下らないだろう。
それがバレット邸だという。オリヴィアがこれから生涯を捧げる男の家だ。
納屋……の前に馬車が止まると、小姓らしき小柄な青年が駆け寄って来た。
馬車の扉が勢いよく開き、人懐っこそうな笑顔がのぞく。
「バレット旦那、よくぞお帰りになりました。お疲れでしょう、食事の用意ができていますよ!」
まず小姓がエドモンドの降台を手伝い、つづいてエドモンドが、オリヴィアが降りるのを手伝った。手を取られて地面に立つと、くらりと視界が揺れた。宿屋で休息をとりつつとはいえ、3日も馬車に揺られ続けた身体はすっかり平衡感覚を失っていたらしい。倒れそうになったオリヴィアの肢体を、エドモンドがしっかりと支える。
「しっかり立ちなさい」
と、エドモンドは告げた。
オリヴィアは頷きつつ、彼を見上げた。同時に、彼の後ろにそびえ立つ……納屋を。
「素敵なお屋敷をお持ちですのね」
「何だって?」
「だって、こんなに大きな納屋をお持ちなら、本低はきっと素晴らしく大きいのでしょう? 私、迷子にならないかどうか不安になってきましたわ」
エドモンドは一瞬、絶句したようだった。横に控える小姓が鼻からぶほっと笑いを噴き出す。
「ど、どうしましたの? 私なにかおかしな事を言ったかしら?」
彼らの変わった反応にオリヴィアは焦り、聞き返した。エドモンドは喉を通すように咳払いを一つすると、小姓をひと睨みし、オリヴィアに向き直った。
「申し訳ないが、マダム、これが私の家だ」
「ええ、ええ、存じています。立派な納屋ですわね」
「そうではない──納屋は向こうの東の端にある。ここが私の住む家だ。サロンがあり、仕事部屋があり、食堂があり、私の寝室がある。今は私たちの寝室と言うべきかな」
「ええ、存じて……え?」
「ジョー。さぁ、彼女を屋敷に案内してくれ。私は馬の面倒を見る」
「分かりました、バレット旦那」
エドモンドは支えていた新妻の腰から手を離し、馬車を引いていた御者台の方へ向かった。御者になにやら話しかけ、労をねぎっているようだった。そんな夫をぼんやりと見つめるオリヴィアを、ジョーと呼ばれた小姓が邸宅の入り口へ誘おうとする。
嗚呼。
今この瞬間に頭上へ落ちてきても不思議ではないひび割れた石の門をくぐり、オリヴィアはバレット邸に初めて足を踏み入れた。
その瞬間まで、オリヴィアは期待をしていた。
質素なのは外観だけで、じつは内装は贅を尽くした豪奢なものかもしれない、と。しかし運命の女神はオリヴィアに微笑まず、さらなる現実を突きつけてきた。
まず、オリヴィアを最初に迎えたのは、皺だらけの老人だった。
「なんじゃ、このちんちくりんな小娘は。まさかエドの嫁じゃあるまいな。わしの嫁にするにも若すぎるぞ」
「は──?」
老人はエントランスを占領するように足を広げて立ち、両手を後ろに組んでいた。ちりちりとカールした白髪が四方に飛び散り、そのしゃがれた声に相まって、異様な迫力を放っている。
彼は、執事が着るような黒い上着を羽織ってはいたが、まさか本当に執事ではあるまい。最初にオリヴィアの脳裏によぎったのは、老人はエドモンドの年老いた親戚か、祖父であるだろうという予想だった。
「そのまさかです、おじいさま。オリヴィアと申します。これからよろしく……」
オリヴィアはスカートの裾を軽く持ちあげ、頭を下げようとした。すると、老人が急に「喝っ!」と叫んだ。本当に叫んだのだ。オリヴィアはびっくりして顔を上げた。
「お前は阿呆か! どこの世界に執事に頭を下げる女主人がおる!」
「え、えぇ?」
オリヴィアは目をまん丸に見開いた。
「最近の小娘どもは恐ろしく脳が足りん。これも男どもがお前らを甘やかすようになったからだ! いいか、わしはお前さんに厳しくするぞ。よく覚えておくといい」
オリヴィアの知る執事たちは、大概において穏やかで落ち着いた喋り方をした。
それがどうだ。この執事を名乗る老人は、巨大な納屋邸宅を震わせるような大声で言いたいことだけを叫ぶと、フンと盛大に鼻を鳴らした。
「も、申し訳ありません……あの、私、よく分からないのですけど……」
「何が分からん。まぁ、分からんということが分かるのは褒めてやろう。それさえ分からん馬鹿も多いからな」
「ありがとうございます。その、執事さまはこの家の執事でいらっしゃるのですか?」
「最初からそう言っておるだろう。入用があれば何でもわしに頼みなさい。まぁ、叶えてやるかどうかはわしの裁量次第だが」
「…………」
オリヴィアは無言でこくこくと頷いた。
それは理解からくるものではなく、生存本能的な条件反射ではあったが。
「わしはピーター・テラブだ。屋敷の者はたいていピートと呼ぶ」
「ピートさまですね」
「喝っ!」
「きゃあ!」
「『さま』とはなんだ! お前さんはわしの女主人となるのが分からんのか!」
「も、申し訳ありません!」
「うむ、それでよい。次からは気を付けることだ、小娘」
オリヴィアは生き延びるために、またこくこくと頷いた。老執事は満足げに胸を反らすとオリヴィアに背を向け、それは威風堂々とエントランスから出て行った。がははという高笑いが後から聞こえてきた。
「申し訳ありません……」
と謝ったのは、今度はオリヴィアの後ろに付いていた小姓ジョーだ。「ピートの旦那は、あんなですけど、いい人です。執事としても有能なんですよ」
「そ、そう」
曖昧に答えながら、オリヴィアは思った。
ここは都市から馬で3日分離れた僻地だ。きっと執事という単語に別の意味があるのだろう。あとで言葉を習い直さないといけないかもしれない。
「さあ、お部屋に案内しますよ。お着替えになって、用意ができたら呼んでください。食堂に軽食の準備ができていますから」
「助かるわ、ジョー。ありがとう」
オリヴィアはなかば、ぐったりとしながら答えた。
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