第19話 マヤの心
カイルを車へ運ぶ途中、マヤは意外な人物と遭遇した。
エルピスの呼んだ下男が来る前に、何故か廊下を歩いていたグラディスが見かねてカイルを担ぎ上げたのだ。悪いと言って断ったのだが、豪快に笑いながら「遠慮するな」と言われては、それ以上反対することも出来なかった。
先ほどまで息を荒くしていたのは何だったのかと思うほど、そこからの道は楽になった。なまじ広く、階段も多いため難儀だったから、助かっていることは否めなかった。
玄関まで来たところで、メイドに手を引かれたエルピスと、彼女に呼ばれてきた下男がやってきた。マヤが礼を言おうとしたとき、隣に立っていた男がエルピスの名前を呼んだ。
「兄さん? 来ていたの?」
「ああ、総督に呼ばれてな。エドガー・ドートリッシュが来るから挨拶するよう言われたんだが、そうか、君らのボスだったんだな」
「は、はい」
「ふうん、部下に鞭を食らわせるなんて感心できねえな」
そう言われても、マヤは乾いた笑い声を出すしかなかった。あの場面では主人であるリュカ自身がカイルを罰さなければ、ドゥクスとしての役割を果たさなかったことになる。
「お嬢さん、送っていくよ」
「いえ、そんな……」
「今の話を聞いて、俄然会う気が無くなっちまった。妹の恩人とはいえ、な?」
「妹!?」
思わず大声を出してしまった。冷静でいようと心掛けている彼女にとっては恥ずべきことだが、気を悪くした者はいなかった。サヴァスの家臣たちは「まあ、驚くよな」といった具合で苦笑しているし、エルピスはくすくすと笑い声洩らしている。当のグラディスに至っては「似なくて良かっただろ?」とまで言い出して、マヤを困らせる始末だ。
「サヴァス様にはわたくしの方から伝えておきます」
「すまんな」
車を回してくると言い残して、グラディスはカイルを抱えたまま歩いて行ってしまった。
「あの……」
「待っていれば良いですよ。兄は人のために働くのが好きですから」
やんわりとエルピスに制止されたマヤは、曖昧な返事をしつつそわそわと両手の指を絡ませた。
「心配ですか?」
「え? ええ。でも、悪いのはカイルですから……」
エルピスはクスクスと笑った。
「彼のことが気になるのね」
不意に砕けた言葉を投げかけられたマヤは、猫だましを食らわされたような気分になった。エルピスの顔には悪戯を成功させてやったという笑みが浮かんでいる。これまで彼女が見せてきた神秘的な印象とはまるで正反対であり、別人を見ているような気分になった。
同時に、投げかけられた言葉に込められたニュアンスに気付く。
「そんな感情じゃありません!」
咄嗟に出てしまった声に最も驚いたのは、マヤ自身だった。カイルが電気鞭で打たれた瞬間がフラッシュバックし、反射的に頭を下げて謝罪の言葉を口にしている。だがエルピスは気分を害するどころか、むしろ彼女の初心な反応を楽しんでいた。
今のマヤの心理はゴムボールのように方々を跳ね回っている。エルピスにはその動揺が全て見えていた。万華鏡のように煌びやかな少女の感性に触れているだけで、自分の心も同時に透き通っていくかのような感覚を覚えていた。
(あまりいじめると、可哀想ね)
「ごめんなさい。占いなんてやっていると、自然と恋愛の方向に考えが傾いてしまうの。貴女と同じ年頃の人からは、特に注文が多いから」
「はあ……」
「でも、カイル君? 彼のことが気がかりなのは間違っていないでしょう?」
「……はい」
「ふふ、今まであの子みたいな男の子には会ったことが無かった。だから一層気がかりなのね。何をするか、考えているか分からないもの」
「そう、ですね。いきなりあんな風に食って掛かるなんて……どうかしています」
マヤがふくれっ面を作ったことは、エルピスには見えない。だが心理状態は完璧に追いかけていた。
「嬉しかったのね」
「なっ!?」
「間違っていないでしょう?」
「…………」
顔を真っ赤にしたままマヤは俯いた。エルピスは「あらあら」と嘆息する。もうしばらく彼女と話していたかったが、グラディスの回してきた車が到着した。
「お嬢ちゃん、行こうか」
「は、はい」
エルピスに礼を言い、マヤは公邸を辞した。彼女は車の前席に座って行先を入力すると、振り返りさも当然といった表情で乗りこんでいるグラディスに言った。
「本当に良かったんですか? わざわざついてきていただいて」
「気にしなくて良いさ。ちょうど良い口実になって、むしろ感謝しているくらいだ」
一般車よりやや大型に作られているとはいえ、グラディスのような巨漢が乗り込むとまるでスペースが足りない。シートに座らされたまま気を失っているカイルは、ほとんど押し付けられるような形で窓に頭を寄せていた。
「でも、総督に呼ばれていたのでは?」
「そうなんだよなあ。そこが面倒くさい。雇い主をないがしろにし過ぎると後々大変だからな。まあ、そこはエルピスが上手く片付けてくれるだろう」
「その……本当に意外でした」
本当、という言葉のアクセントを強めてマヤは言った。
「あいつは母親似だからな。兄妹と言ったって、よくあることさ。さすがに、片方は総督の寵姫、片方は最下層住まいの労働者なんて組み合わせは珍しいだろうがな」
「…………」
グラディスは笑って言うが、マヤとしてはどう応じて良いかわからなかった。ただ、この二人には内々の秘密があって、あまり踏み込むべきではないと思った。そして同時に、自分たちの秘密をカイルに話さないでいることも最早不可能だろうと、彼の顔を見ながら思ったのだった。
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