第22話 「あんたに家族はいるのか?」

(へえ、珍しいね)

 カーリーが頭のなかで頓狂な声を上げる。

「気疲れしたせいだな。体力的なことより、精神的な疲労の方が堪えるよ」

(カイルじゃないけど、意地なんか捨ててたらふく食べてくればよかったのに)

「馬鹿なことをいうな。意地ってやつが無ければ、復讐なんてしようとは思わないさ」

(不器用だねえ。もうちょっと上手くやればいいのに)

「お前、食い物のことになると途端に見境がなくなるな」

(当然でしょ。五百年間、オートミールと水を主食にしてきたんだから)

 物質的には五百年間カーリーが不自由を覚えたことはなかった。食事と退屈を除いて、であるが。

 プラントで生産される小麦粉から作ったオートミールは、味も良く栄養バランスも整っているため、それだけ食べても生きていけるという万能食材だった。ただ五百年間同じものだけを口に入れているとさすがに飽きるのである。もちろんプラント内部には小麦以外のものを作れる区画も設けてあったのだが、彼女の技術では管理まで追いつかず、年々真っ当な野菜を食べられなくなっていった。もしリュカと出会わなければ、拒食症で死んでいたかもしれない。

(ある神話でさ、砂漠を行く民のために、神様が食物を降らせるって話があるんだ)

「うん?」

(それはそれは素晴らしい味で、最初は人間たちも大いに満足したんだ。ところが、年月が経つとどんどんその味に慣れてしまって、最後には文句を言うようになってしまった。ましてや、私の場合五百年だよ? 他の食べ物が食べたくなったって、仕方がないじゃん)

「食べれるものなら、何だって良いと思うけどな」

(そりゃあ、君はそうだろうさ……というか、ホテルでだってもっと美味しくて量のあるやつを頼んでくれたら良いのに。一匙で空になるようなのばっかりじゃない。とても天下のエドガー・ドートリッシュの食卓とは思えないね)

「エドガーはストイックって設定、お前が考えたんだろ。自業自得だ」

(……もうちょっと俗っぽいって設定にすればよかった)

「生憎手遅れだ……そうだな、ここで何かつまんでいくか」

(君だけ満腹になっても意味ないんだ。帰ったらルームサービス頼むからね!)

「分かっている」

 ちょうど目についた居酒屋に入る。扉を開けてみると、中は仕事終わりの労働者たちで一杯だった。ほとんど足の踏み場もない有様で、服も髪ももみくちゃにされながらなんとかカウンターまでたどり着いた。店中を見渡すと、それなりに空席はあるのだが、かわりにテーブルの上に客が乗っかっている。机も椅子も空いているのは隅にあるカウンターだけだった。

「いらっしゃい! お客さん!」

 むさ苦しい騒音の中、ハスキーな声がリュカの耳朶を叩いた。カウンターの向こうから身を乗り出した少女が怒鳴っていた。

「何にします!? ローストビーフとウィスキーでいいかな!?」

「いや、パンと水で……」

「聞こえない! もうそれでいいですね!? はい、ありがとうございます!」

 ちょっと待ってくれ、と制止をかけようとした時には、少女はカウンターから身をひるがえしており、無造作に引っ張り出した皿の上にくたくたになった汁漬けの焼き肉を何枚か重ねられ、その隣にはふやけたガーリック・トーストが何枚か置かれた。ウィスキーの準備に至ってはそれより短く、ロックグラスの上でウィスキーの瓶をさかさまにして、なみなみと注いでしまった。

「はい、おまちどう!」

 そうして置かれてしまった皿を、げんなりとした表情で見下ろす。催促するように差し出された掌に硬貨数枚を押し付けてもやはり釈然としないままだった。

 ローストビーフはまだ良い。汁まみれになっているだけで、食べることは出来る。だがストレートのウィスキーだけは耐えられない。恐る恐る舐めてみると、ウィスキーそのものの芳香はほとんど感じられず、アルコールのきつさに思わず顔をしかめた。

「……出てきた以上、仕方がないか」

 こういう所にある店なので接客の質など一々追求していられない。不満に思うのは自分が第一階層の生活に慣れ過ぎたからだと、リュカは思うことにした。

 フォークを手に取りローストビーフを口に運ぶ。意外と味は悪くなかった。かなり濃くなっているうえに脂身も多かったが、丁寧に切り分けてパンと一緒に食べればさほど気にならない。

 ウィスキーはちびちび飲んでいくしかなかったが、日頃アルコールを口にしないリュカは五分の一ほど減らしたところで火照ってしまった。

(無理しない方が……)

「辛そうだね、兄さん」

 カーリーのささやきを打消し、騒音の中でも響く太い声。驚いて隣を見ると炎のような髪を持った大男が椅子を引いたところだった。傷だらけのジーンズに黄ばんだシャツ、その上にはフライトジャケットを重ねている。

「失礼するよ……よう、サラちゃん。久しぶり」

 男はウェイトレスの少女に声をかけた。慌ただしさのせいで不機嫌そうになっていた彼女の表情が、ぱっと明るくなる。

「いらっしゃい、グラディスさん。やっとこっちのお店に来てくれたんですね? 出稼ぎから帰るといつも一番に来てくれるのに」

「悪い悪い、今回はちょっとバタバタしていてね。ほとんど宇宙港に詰めっぱなしだったんだよ」

「へえ、じゃあ良いお酒飲んできたんだ。うちの下種なお酒なんて、もう口に出来ないんじゃないの?」

「まさか。上の相場がどうなっているかぐらい、知っている癖にさ。俺なんかじゃおいそれと手は出せねえよ。まあ、仮に飲めたとしても、上品なワインなんかじゃ酔えねえからな。ウィスキー」

「あいよ」

 動こうとしたウェイトレスに、男が「おいおい」と制止をかける。

「相変わらずせっかちだな。空のグラスとジンジャーエールも出してくれ。どうせ、隣の兄さんの注文だってろくに訊いていなかったんだろ?」

 突然話題の中に引っ張り込まれたリュカは、驚いた拍子にむせ返ってしまった。そんな彼の体たらくに少女は肩をすくめ、足元から瓶入りのジンジャーエールとグラスを取りだした。

 代金を払おうとするリュカを押しとどめて、男が小さな小包を少女に手渡した。

「わっ、ブローチじゃないですか! しかもちょっと高そうな……」

「上に住んでる妹が似たようなのを持っていてね。全く同じってわけじゃないが、それがお代ということで」

「仕方ないなあ。グラディスさんの男気に免じて、あたしが奢ってあげる。感謝してよね!」

「ってわけだ、兄さん。そいつは引っ込めな」

「あ、ああ……ありがとう」

 完全に振り回されているリュカは、下層民の大雑把なエネルギーに困惑せざるを得なかった。

「良い娘なんだが、こういう店だと丁寧にはやっていられねえからな。勘弁してやってくれよ」

「いや、別に気にしちゃいない」

「でも、そいつは厳しかったろ?」

 男がウィスキーの入ったグラスを指さす。リュカは苦笑しながら、「強いのは飲めなくてね」と言った。

「俺はグラディス。お前は?」

「……リュカ」

「見ない顔だが、最近こっちに来たのか?」

「ああ。惑星ギルバの未開拓航路で働いていたんだが、人員整理のおかげで職にあぶれてね。仕方がないからヴェローナまで流れて来たんだ」

「はあ、あんたも宇宙で働いていたのか!」

 適当にでっち上げた経歴だったが、グラディスの予想外の食いつきに若干身が引けた。

「……宇宙って言っても辺境だよ。稼ぎだって多くはないし、いつ死ぬか分かったものじゃない。そういうあんたはどうなんだ?」

「俺か? 十年ほど前は軍にいたんだが……ヒヒッ、稼ぎだって多くはないし、いつ死ぬかわかったものじゃない!」

「まあ、そうだろうな」

「今は日雇いだ。航路建設に駆り出されることもあるけど、大抵は宇宙港で積み荷の上げ下げをやってるよ」

 グラディスは空のグラスにジンジャーエールを半分ほど注ぎ、そこにリュカのウィスキーを注ぎ足した。泡が弾け、生姜とアルコールの匂いが入り混じり立ち上ってくる。恐る恐る含んでみると意外に美味かった。

「……美味いな」

「だろう?」

 たしかに即席ジンジャーハイは美味かったが、笑いながらストレートのウィスキーを呷るグラディスに微かにジェラシーを覚えた。二杯目は少しだけ多めにウィスキーを足した。

「ウィスキーに慣れないうちは、こういう風に割っていくと良い……しかし、外宇宙で働いてたってのは、羨ましいな」

「何故だ? 羨望される要素なんて一欠けらも無いところだぞ」

 リュカは、思いつくままに喋ることにした。どうせ酒の入っている時の話、多少整合性がとれなくとも、相手も訝しんだりはしないだろう。それに宇宙で働いたことがあるというのは全くの嘘でも無かった。

「飯は不味い、ろくに眠らせてもらえない、おまけに重力区画の整備も手抜きだから骨もぼろぼろになる。放射線のおかげで髪もずいぶん抜けたな。それでも宇宙で働きたいのか?」

「どうせ働くなら、ってとこだがな。まだ宇宙の方が良かった。だから、まあ、今も宇宙港で働いているわけだが……あそこは駄目だな。地上にいるのとそう変わらねえや。だってそうだろ? 積み荷の上げ下げをいくらやったところで、それが俺たちにとって何になるっていうんだ」

「今のEHSは惑星間の交易によって成り立っている。宇宙港の仕事だって、立派なことじゃないか?」

「ブルジョワみたいなことを言うな、お前!」

「……冗談」

 一笑に付したものの、自分の口から自然と「ブルジョワみたいな」台詞が出てしまったことにリュカは内心でちょっとした動揺を覚えた。

「そりゃ、社会のためにはなるだろうさ。このウィスキーだって、別の生産惑星から原材料を輸入しないと飲めないからな。だが、儲ける奴はもっと儲けている。俺たちが一杯の酒を有難がって飲んでいる真上で、俺たちには想像も出来ないような複雑なシステムを使いこなして、何億リブラと稼いでやがるんだ。結局、人類が地球に住んでいた頃と同じ、金持ちと貧乏人って図式しか残っちゃいないのさ」

「……それは仕方の無いことだろ。こういう社会に生まれてしまった以上、搾取する側とされる側に分かれるのは必然なんだ」

「ふん、百歩譲って、人類が少しも変わっていないっていうなら、その理屈も受け入れられるさ。宇宙に出ても人類は偏狭で不寛容だったってね。ところが貴種なんてものが生まれてきて、EHSなんて国までおっ建てた。それで何をしたかといえば、昔と何も変わらない。これじゃ人類の革新だなんて言われても、馬鹿々々しいだけだろ?」

「過激なんだな」

「過激なんかじゃない、それが本当なんだ。人が宇宙に出たのは、高い所に立って他者を見下すためなんかじゃない。むしろ、誰よりも率先して前を進み、宇宙の闇を切り開く光としてスペルを使うべきだったんだ」

「それで航路建設か」

「ああ。本来なら貴種がするべき仕事だ。それを放り出して地べたを這いずり回ってるんじゃ、いつか貴種と劣種の立場が入れ替わっちまうかもしれねえな」

「まるで貴種みたいなことを言うんだな。それも筋金入りの」

「そりゃそうさ。俺自身貴種なんだから」

 思わず持っていたグラスを取り落としそうになった。グラディスが呵々と笑う。「皆そういう顔をするよ」と。それがすぐに暗転し、苛立たし気にウィスキーを飲み干した。

「だからやり切れないのさ。俺はこんなところで何をしているんだろう、ってな」

「贅沢な悩みだよ、それは」

 リュカは即座に反論した。エドガー・ドートリッシュでもある自分が贅沢などという言葉を吐くのは奇妙な気がしたが、同時に適当であるとも思えた。

「あんたは自分が何を求めているか分かっている。何をしているのかということで困惑するのは、本当にすべきことがあるから……貴種は宇宙を開拓するべきだというカノンがあるからだ。でも、俺たち劣種にはそれが無い。何のために生きているのかさえ分からない」

「…………」

「あんたが宇宙で働きたいっていうなら、なんでそうしないんだ? 誰も止めたりしないだろ」

「他の奴には任せられない仕事をしている。だから困っているのさ。大人ってやつはしがらみが多すぎていけねえや……全く、なんでこんな話になったんだろうな?」

「あんたが食いついてきたからだ」

 リュカは苦笑し、つられてグラディスも笑う。背中にじっとりと汗が浮かび上がっているのを感じた。室内の熱気、アルコールが喚起する血液の沸騰、会話への熱中。ずいぶん我を忘れて喋りこんでしまったものだと思う。だが悪い気はしなかったし、自分で口にしたことを恥ずかしくないと思う程度には酔っていた。

「さて、ずいぶんセンチメンタルな話になっちまったな。毎度するのは御免だが、たまには悪くないよ」

「それは、俺もだ」

 残っていたジンジャーハイを飲み干して、脱力していた足に力を込めた。席を立つ際、頭が振り子のように揺れてバランスを崩しかけた。「帰れるか?」「問題ない」そんなやりとりもあった。

「また来るかい?」

「さあ。少し立て込んでいてね。やらなきゃいけないことがいくつもあるから、まあ、一段落つくまでは来れないだろうな」

「そうかい。いや、頑張るといい。気に入るかどうかは別として、仕事自体はいくらでもあるからな」

「ありがとう」

 リュカは立ち去ろうとした。ふらつく足で群衆の中に入り込もうとした時、思い出したようにグラディスが声をかけてきた。

「リュカ! あんた、家族はいるのか!?」

「……家族?」

 自ら口にしてみると、それは不思議な響きを持った言葉だった。無論知ってはいるものの、全く実感の湧かない言葉。その言葉は酔った頭のなかで何度も反響を繰り返し、彼に考えることを強いてくる。

「家族だよ、家族。そんな不思議そうな顔するものじゃないだろ?」

「いや、まあ……そうだな?」

「変な奴だなあ、お前!」

「…………」

 そう言われると黙るしかない。

「何でそんなことを俺に言うんだ?」

「お前、何のために生きているのか分からない、そう言ったよな?」

「ああ」

「お前自身は分からなくても、お前がいることで救われる奴もいるんじゃないのか? そこんところ、もうちょっと考えてみろよ」

 リュカは肩を竦め、店を出た。大通りを歩きながらグラディスの言ったことを何度もリフレインさせる。「なあ、カーリー」と呼びかけた。

(ようやく呼んでくれたね)

「ン……」

(私に訊くつもり?)

「それは、ちょっと恥ずかしいな」

 そう言ってリュカは頬を掻いた。

(心配しなくても、私は君が好きだよ。家族かどうかは知らないけどね)

「前に言った通り、友達だものな。家族じゃない……なあカーリー、家族って何だろうな?」

(私に訊いたって無駄だよ。うちの両親だって大概いかれていたんだから)

「だが、血のつながりはあっただろう? それはどういう感覚なんだ?」

(余計に憎しみを掻き立てられるだけだね。家族は互いに愛し慈しみあうだなんて、ペテンも良いところさ。たとえ大嫌いであっても、血のつながり故に絶対に離れられない、見えない鎖で結びつけられているんだ)

「お前、五百年経っても親が嫌いなんだな」

(死んだって好きになれないね。あの人達が天国で待っているとしたら、回れ右して地獄に向かわせてもらうよ……フフッ、ひょっとして、私が生き続けてきたのは、死んで両親と顔を合わせたくなかったからなのかもしれないね)

 リュカは、今その場所には無いカーリーの微笑が見えた気がした。彼女が両親からどんな扱いを受けたかは断片的ながらも聞かされている。ドミナであると知れた途端、研究機関へと突き出されて人体実験の犠牲にされた。それ以前は穏便だったかというとそうではなく、いずれ政略結婚に役立つような「商品」として懇切丁寧に育てられたという。結局、一度も個人として見られることは無かった。

 結局、自分もカーリーも孤児なのだ。だからこそ響き合うものもあるが、やはり、不幸な認識であることに変わりはなかった。

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