第7話 鉄の空

 リュカが部屋に戻ると、頼んでおいた品が届いていた。それほど多くはない。長期滞在とは言っても永久に留まるわけではないし、彼にとっての本拠地はあくまで『エレクトラ』号だ。部屋に置かれたトランクはわずかに四つか五つ程度である。

 その中で最も大きいトランクには、カーリーの身体が入っていた。全裸のまま胎児のように丸まっているそれをベッドまで運び、額を触れ合わせる。

 カーリーの身体は氷のように冷たい。死んでいるわけではなく、眠っている状態とほぼ同じなのだが、所詮人工的に作られた有機物の塊である。彼女の意識が入り込んでいる時でさえ、抱いても全く快感を得られない。

 微かな脱力感と共に脳の内側からカーリーの意識が滑り落ちていく。脳味噌が融ける、というほどグロテスクではないし、痛みも感じないが、ちょっとした虚脱感がある。幽霊と自称していても、まだ彼女には意識の温かさが残っているからだ。恐らくリュカ以外に、意識の温かさというものを実感した人間はいないだろう。しかし、意識の温かさを知りながらも、なお肉体の温かさを求めてしまうあたり、自分は男なのだなと自覚せずにはいられない。

「……身体が重い」

 カーリーがぼやいた。自分の肉体に戻った際の決まり文句だ。アンニュイな仕草で起き上がり、手元にあった毛布で身体を隠す。長時間トランクの中に押し込まれていたせいで、銀色の髪はひどく乱れていた。

「やっぱり星の自然の重力は応える。人工重力はどこか嘘くさくて、プレッシャーが無い」

「お前のその容れ物のようにか?」

「思っていても言わないのが礼儀じゃないかな? 一応、コンプレックスなんだから」

 そう言いつつも、髪の毛を掻きまわす彼女に怒りは無い。リュカの言う通り、確かに彼女には、肉体に対するこだわりなどほとんどなかった。それなりに見栄え良く作ってはいるが、時間と内面によって構築され顔に浮き出てくる人間臭さだけは、どうしても表現しきれないでいる。だから嘘くさいと言われても反論出来ない。

「シャワー使うよ」

 ベッドと背中の間にある磁力を無理やり引きはがし、カーリーは起き上がった。頭に登っていた血液が一斉に足へと向かって滑り落ちていく。同時に軽い眩暈を覚え、カーリーは顔を伏せたまましばらくリュカにつかまった。

「不便だな」

「全くだ。次に作るときは、もっと頑丈な奴にするよ」

 カーリーを浴室に押し込むと、コツコツとドアをノックする音が聞こえてきた。開けてやると、封筒を携えたボーイが立っていた。

「エルピス・ラフラ様より、閣下にメッセージを預かっております」

「御苦労」

 チップを渡して下がらせてから、リュカはソファに腰を下ろした。封筒の中には、改めて礼を述べた手紙と明日の夜会への招待状が同封されていた。

「カーリー、明日の夜だ。出かけるぞ」

「了解」

 水音の向こうから、カーリーの間延びした声。

「となると、善は急げ、か……」

 招待状を机の上に放り投げると、軽く頭を掻きながら、床に置かれたトランクに視線を向けた。これから荷解きをして、服の組み合わせを考えて、といろいろ面倒なことをこなしていかなければならない。



 昼食から戻った後、特にすることもなくなったカイルはしばらく腕立て伏せや腹筋をして時間を潰した。クルスタを動かすには筋力や体力といったフィジカルな素養が求められるので、日常的に身体を動かしていないと腕前は鈍る一方なのだ。が、それも二時間近く続けていると飽きてしまう。

 部屋には彼の退屈を紛らわせてくれるような物が全く置いていない。横三メートル、縦五メートル程度の個室には小さなベッドと文机、鏡が置いてあるだけで、それ以外には何もない。トイレや風呂は共用で、食事もセルヴィ用の食堂で摂らなければならない。それでも何かあるはずだと漁ってみたら、机の引き出しから至天教の公認定本が一冊出てきた。即座に元にもどした。

 リュカがくれたトランクには、数日分の下着とスーツの替え、手鏡や髭剃り、ペンとメモ帳、そしてわずかばかりの小遣い。それ以外の物は何も入っていない。「気が利かねえなあ」とカイルはぼやいた。

 とりあえず喉が渇いていたので、小銭を掴んで部屋を出た。談話室にある小さなバーで牛乳を出してもらい、歩きながら瓶の蓋を外す。

 部屋に戻る気にはなれなかったが、談話室にとどまるつもりもなかった。セルヴィしかいないが、皆どこか鼻持ちならないところがある。カイルの歩き方やぞんざいな仕草を見るたびに、露骨に軽蔑の表情を浮かべてきた。その癖彼が睨み返すと、こそこそと仲間だけで肩を寄せ合うのだ。その卑屈さが余計に癪に障った。

(ここだと皆こんな感じなのかな)

 廊下の突き当りにある小さなベランダから外に出た。上を見ても空が見えるわけではなく、灰色の天井が覆いかぶさっている。セルヴィ用の宿泊施設は一階層下に設けられているのだ。

「臭い物には蓋を、ってか」

 カイルは牛乳をあおりながら、先ほどリュカが言っていたことを思い出していた。やはり記号とか外面とか、小難しい言葉を並べられてもよく分からない。それを突き詰めていくことに意味があるとも思えない。目に見えていることだけを解決出来れば十分だとカイルは思っている。

(でも、それなら俺は、他の奴からどう見られているのだろう……)

 いくら頑張ったところで、他人の心を見通すことは出来ない。だからこそ、自分が他者からどのように見られているのかという疑問は生涯をかけて人間を悩ませる。カイルは表と裏の使い分けなど出来ないと自認しているが、それはあくまで自認でしかない。

「ガラじゃねえよなあ」

 こんなことを長々と考えるなんて、どうかしている。それこそ自分らしくない。そう思ってかぶりを振っていると、後ろから足音が近づいてきた。

「……いたのね」

 振り返ると、ミネラルウォーターを持ったマヤが立っていた。眉根が若干寄っている。青いタンクトップと黒いハーフパンツの上にパーカーというラフな格好で、運動でもしていたのかと思ったが、汗の代わりに柑橘の香りがした。

「何、じろじろ見てるの」

「いや、やっぱり胸あるんだなって思ってさ……怒るなよ、風呂上がりなら、わざわざこんな所に来なくても良いだろ」

 マヤは大慌てでパーカーのチャックを引き上げてから、取り繕うように一層つんとした声で「涼みたいのよ」と言った。そのいかにも男慣れしていない初心な態度が、カイルの悪戯心を刺激して止まない。さすがにこれ以上露骨な行為に出れば、ベランダから突き落とされかねないので自制したが。

「……あなた、どうしてそう下品なの」

「男だから。世の中の男はスケベとムッツリスケベの二種類しか存在しない」

「ふざけないで」

「ふざけてねえよ。少なくとも、俺のコロニーじゃそれが常識だ」

「嫌な場所ね」

「全くだ」

「自分で言うことじゃないでしょ」

「でも、本当にそうなんだよ。酷い場所でさ……」

 カイルが生まれ育ったコロニー・シノーペは、お世辞にも快適とは言えない場所だ。建造されてから二百年以上たつが、あちこちボロボロで整備もほとんどなされていない。濾過システムが作動していないため水道から直接水が飲めないし、空気循環装置もほとんど壊れかけているので、コロニーの底にはいつも重くよどんだ空気が停滞している。行き交う人々の顔に光は無く、日々の疲れと未来に対する朧な絶望が浮かんでいた。

「コロニーって密閉されてるはずなのにさ、なんでかマラリアが流行ったりするんだぜ。医者って言えば、藪医者か怪しげな祈祷師ばかりで、気が付いたら隣人家族がバタバタ死んでいくんだ」

「……そう」

「そんな所から出たいから海賊になったんだ。だから、別に海賊稼業がしたいわけじゃなくて……なんていうか、その、遠くに行きたかったって言うか……」

「海賊は嫌い?」

「嫌いじゃないよ。皆良い奴ばっかりだ。だから、劣種相手に仕事はしないし、貴種が相手でも無用な殺しはしない。後味悪いからな」

「そう」

「むしろ、おかしいのは貴種の方だぜ? 何で海賊が後を絶たないかって言えば、真っ当な稼ぎ方じゃどうしても食っていけないからだ。船を襲う連中だけじゃない、コロニーの港湾労働者は海賊船とつなぎを作らないとまともに仕事が出来ないし、食い物を売ってる店だって、略奪品から仕入れないと商売も出来ないんだ。そういう状況を改善すれば、自然と海賊だって減っていくさ。海賊なんておっかなびっくりやってる奴らの集まりなんだから」

「それ、自分には度胸が無いって言ってるようなものよ」

「殺しを自慢するような奴はろくでなしさ。それなら、まだ弱虫って言われる方が良い。綺麗ごとだけどさ」

 彼の言う通り、全ては綺麗ごとである。彼自身はまだ直接人を手に掛けたことはないが、投降に応じなかった敵に、仲間が止めを刺すところは何度も見てきた。そんな光景を見るたびに、やはり自分はこの仕事に向いていない、と思うのだった。

「海賊になってシノーペを出れば、もっといろんな所に行けると思ってた。でも、結局は西部宇宙をぐるぐる回るだけ。下手に足が出来た分、もっと別の場所に行ってみたいと思うようになった。そういう意味じゃ、お前らに捕まって良かったのかもな」

「…………」

 話すうちに段々と自分語りが恥かしくなり、しどろもどろになっていった。マヤはそんな彼を笑うでもなく、不思議そうな表情で見上げていた。

「……お前の出身はどこなんだよ。俺だけ話すんじゃ、不公平だろ」

「分からないの」

「え?」

「南部宇宙のどこかで生まれたのは知ってるけど、それ以上は何も知らないわ。リュカに会ったのは惑星プライア。それ以前のことは……あなたには話したくない」

 明確な拒絶の言葉だったが、それは相手がカイルだからではなく、彼女の最も個人的な部分に根差しているから出た言葉であった。カイルもそれを察したので、「そうか」と相槌を打つだけにとどめた。

「不安になったりはしないのか?」

「ならないこともないけど、私にはリュカがいるから。リュカが行くところなら、わたしはどこにでも行くわ」

「妬けるなあ」

「馬鹿。そんな感情じゃないわ」

「じゃあ何なんだよ」

「……半分は恩。もう半分は、わたしも分からないわ。でも……もしかすると、わたしもどこかに行きたかっただけなのかもしれない。だから、あなたの言うことはちょっとだけ理解出来るわ」

 マヤは空になったボトルのキャップを閉めた。

「早く戻らないと、風邪ひくわよ」

「どうも」

 彼女が立ち去り、一人になったカイルは、改めて変な連中に捕まったものだと思った。

「どういう奴なんだ、あいつ……」

 牛乳を飲み干すと、カイルは瓶を放り投げて部屋へ戻った。

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