第29話 ウッドソレル
翌日、カイルとマヤは早めの昼食を摂ってから約束通り軌道エレベーターを昇って、リュカの待つエレクトラへと向かった。
カイルは妙にそわそわしている。軌道エレベーターの中にいるときから何か様子が変だとマヤも思っていたが、大方新しいクルスタが気になって仕方がないのだろう、と決めつけた。実際、マヤの推論通り新しいマシンがどんなものかという期待もあったのだが、カイルは今、二週間ぶりに踏み込んだ無重力空間に対して不思議な高揚感を抱いていた。
生まれてからずっとコロニーや宇宙船の中で暮らしてきたカイルにとって、星に降りることの方がよほど特別なことだった。ヴェローナでの生活そのものに不自由したことは無かったし、生涯で何度口に出来るか分からないような高級な料理や、行ったことの無い場所にも連れて行ってもらった。そもそも自然の重力下で暮らし、水も空気も完全に保証されているということ自体が並外れた贅沢である。
それに比べて、宇宙ではわずかな距離を移動する時でさえ頭を使わないといけない。無重力区画では指定された容器で水を飲まないと叱られるという不自由さだ。だが、リュカの話を聴いた後であるにも関わらず、カイルは全く恐怖感を覚えなかったし、むしろ懐かしさのようなものを感じていた。宇宙港の職員たちの過保護気味な案内も、無重力空間での動き方を完全に会得しているカイルにとっては煩わしくて仕方が無い。
ふとガラス越しに外を見る。ドッグから発進した何隻もの船のエンジン光が、加速のために炸裂して花のように広がったかと思うと、鮮やかな航跡を残しながら可視化されたスターストリームの重力場、青く煌めく人工の大河へと飛び込んでいく。
幼いころ、まだ海賊になる以前に、シノーペの港湾区画に入り込んではこれと同じ光景を毎日のように見ていたことを思い出した。そしてこのエンジン光の爆発が、消えていく航跡が、船の往来が、遥かな星々の瞬きこそが己の郷愁を呼び起こすのだと気付いた。
「どうしたの?」
「うん? ああ……何でもない」
「そう」
怪訝な表情を浮かべるマヤに笑い返して、誤魔化すように少し早足で歩きだす。
エレクトラは大型船舶用ドッグの隅に停泊していた。マヤがロックを解除してカイルを導き入れる。重力制御が働いていないため、壁に設置されたレバーを掴んで無骨かつ閑散とした艦内を流されていくと、ほどなく格納庫に着いた。
ハンガー内には二機のクルスタが固定され直立している。そして、その足元にもう一体、青を基調とした機体が横たわっていた。
一目見ただけで、それが高速戦闘に特化した設計であることが分かった。全体にスマートな体型をしており、カタフラクトが重視しているような関節部への装甲化がほとんどなされていない。肩や、人間でいう所の腓側に当たる箇所にはそれぞれ可動式のスラスターが増設されており、防御を捨て徹底的に機動性のみを追求したのだということが分かる。また、背中にも可動式の大型スラスターが搭載されているようだが、こちらは機体を寝かせるために折り畳まれていた。
ヘッドユニットにはブルーシートがかけられており、そこから少し下がった胸部装甲の上に作業服姿のリュカが立っていた。
「早かったな」
「待ちきれなくってさ。手伝うよ!」
「いや、ちょうど点検も終わったところだ。降りて来い」
二人はキャットウォークから飛び降り、青いクルスタに取りついた。彼の後に続いたマヤの手をリュカが掴み、ゆっくりと装甲の上に降ろしてやる。その何気ないやり取りに、カイルは少しだけ疎外感を覚えた。
「どうかしたか?」
「別に。あんた、作業服の方が似合ってるよ」
「ああ、ありがとう」
半分皮肉で言ったつもりだったのだが、リュカは気付いていないのかまんざらでもなさそうな表情をしている。彼の作業服にはオイルや塗料の汚れが染みついていて、機械と機械の間に頻繁に入り込むためかあちこち破れ、生地が薄くなってしまっている。それでも着替えずにいるというのは、ものぐさなのかよほど着心地が良いかのどちらかなのだろう。
「カイル」
リュカは腰のポーチに入れていた一対のNCロッドをカイルに渡した。カイルが元々使っていた物だ。
「これが俺の機体なのか?」
「そうだ。顔を見てみるか?」
カイルが頷くと、リュカがブルーシートを引っ張った。天井の光が反射してカイルは少しだけ身をたじろがせる。目を開くと、一対の瞳が彼を見返していた。ツイン・アイを採用している機体は見たことが無かったし、思った以上に人間臭さがあるのだなとカイルは思った。ガラスの向こうに細かい内部機器が透けて見えているのだが、それが人間の目の構造と似たような配置になっているせいかもしれない。
胸が高鳴るのを感じた。バッカニアでもエクエスでもカタフラクトでもない機体、人間のような姿をした特別なクルスタ、それが自分のものになる……その興奮は年相応のものだった。
「今動かせるかな?」
「あまり目立たないようにな……おい、私服のままじゃ乗れないぞ! 船を外に出すから、それまでに着替えて来い」
オービタル・リングから離岸したエレクトラは、ヴェローナの管制宙域外まで進出した。
トランスミット・スーツに着替えたカイルはロッドを強く握りしめる。マヤのオペレーションに従って機体をカタパルトまで歩かせ、両足を固定した。
「シャトルの接続完了、全機能異状なし!」
『了解。発進シークエンスを開始します。ハッチ開放、射出システムのエンゲージを確認、リニアカタパルトの出力上昇』
形式通りにシークエンスをこなしていくマヤに少々焦れていた。開かれていく扉の向こうに、早く飛び出してみたくて仕方が無い。
『進路クリア。射出タイミングをパイロットに譲渡!』
「りょーかい! カイル・ラングリッジ、あ……」
『トラブル?』
「いや、こいつの名前、何だったかなってさ」
『そんなのどうでも良いでしょ!』
「良くねえよ。なあ、リュカ?」
『そうだな。まあ、味気ないが今はウルティオ二号機とでも呼んでおいてくれ』
「はいよ……カイル・ラングリッジ、ウルティオ二号機、出ます!」
機体が滑り出し、カイルのウルティオは虚空へと飛び出した。瞬間的に圧し掛かって来たGが消えた後には、正反対の開放感が全身を包んだ。
「う、わ……」
声が漏れたのは驚愕のためであり、同時に感嘆のためだった。
コクピット内は完全な全天周モニターであり、上にも下にも宇宙が広がっている。天頂方向にはスターストリームが流れており、行き交う無数の光点が見えていた。
ロッドを握ったまま腕を動かすと、まるで自分のものであるかのようにウルティオの腕が追従した。体感では全くタイムラグが無い、驚くべき追従性だ。
「あはっ!」
腕を動かしたせいで、機体がくるくると回転しだす。カイルは、今度は機体全体を使って姿勢を安定させる。コクピットの中で身体をひねると、それに従って機体が動き、OSが補助スラスターを噴射させて回転速度を減速させる。
自分が思った通りに機体が動く……バッカニアでは決して味わえない感覚だし、最新鋭機のカタフラクトでもこれほど俊敏な反応は出来ないはずだ。
踊るように回転と制御を繰り返してから、カイルは機体を大きく宙返りさせ、背部のメインスラスターを展開した。一瞬で機体を加速させ、エレクトラから遠ざかっていく。マヤの焦る声が鼓膜に届いたが、意識にまでは至らなかった。
カイルは自分の意識が冴えわたっていくのを感じていた。機体に自分の神経が伸びきっているかのような一体感、人間の肉体から逃れ、意識が機体そのものへと拡張されていく。スラスターの曳光は翼のように伸び、カイルはその翼を思うさま羽ばたかせながら飛び続けた。
マヤはエレクトラのブリッジから、踊るカイルのウルティオを茫然と見つめ続けていた。「すごい」と思っていたことが口に出てしまう。
「初めて乗ったとは思えない動きだな。三号機ほどじゃないが、あれも相当ピーキーな設計にしたんだが……」
リュカもまた、カイルの操縦の柔軟さと伸びやかさに驚いていた。クルスタは機械であるという前提の下でウルティオを造ったリュカには、カイルのような生物的な動きというのは想像出来ないことだ。無論、クルスタが人型である以上、従来の機動兵器に比べてはるかに人間に寄り添った動きが出来るし、リュカも人間が使う武術をクルスタ戦にフィードバックしたことがある。とはいえ、それは単に機械が人間の真似をしているだけに過ぎないのだ、とも思っていた。
だが目の前でカイルが見せている動きは、機械に人間の物真似をさせているのではなく、クルスタという名前の生物が独自に動いているかのようだった。こんな風にクルスタを動かす人間とは会ったことも戦ったこともない。あの機動はカイルだけのものなのだ。
「マヤ」
「あ……はい」
見入っていたマヤは、リュカの問いに少しだけ遅れて返事をした。
「カイルと一緒なら、やれるな?」
「……やれます」
「ン。基本的には真っ直ぐ進むだけだ。絶対に舵を切らないこと、防御火器を一つでも多く潰すこと、この二つが守れていれば良い。後はカイルや海賊連中に任せておけ」
「はい。……リュカ」
「何だ?」
「施設に居る人達は、その……リュカと同じ遺伝子を持っているんじゃないですか?」
「そこまでは知らん。俺たちの次の代が、俺たちと同じ遺伝子構成とは限らない。サヴァスのことだから、サービスとでも銘打って別の遺伝子を利用しているかもしれないな」
「そうですか……」
マヤが俯く。リュカは彼女の頬にそっと手を添えた。
「助けるつもりなのか?」
「はい」
彼女はしっかりとリュカを見返して言った。
「俺の復讐を手助けする理由も、それか」
「そうです。だって!」
リュカは、最後まで言わせなかった。
「お前がそうしたいならそれで良い。好きにしろ」
リュカの手が頬から離れる。彼女がびくりと肩を痙攣させた。
「り、リュカは! 復讐が終わったらどうするつもりなんですか!?」
「何も考えちゃいない。が、なるようになるだろう」
「生きて帰ってきてくれますよね」
「努力するさ」
普段のマヤとは異なった感情的な物言いに内心驚きつつも、リュカは冗談めかして答え、通信席の方へ流れていった。カイルに戻ってくるよう伝え、エレクトラの進路を変更する。
「マヤ」
「……はい」
「人を助けるのは簡単なことじゃない。ましてや、命は運命そのものと深く結びついている」
「でも、助かる人もいます」
「だが、そうでない者もいる。絶対に安全だと思われていた人間があっさりと逝ってしまうことなんて、よくあることじゃないか」
「極論ですよ」
「お前が言うことだってそうだ」
「それは……」
「誰が助かるか、助からないかなんて、俺たちに分かることじゃない。死んでいく奴はそういう運命が割り振られていた、それだけの話だ」
「…………」
リュカの言葉は無情であるが、思いあがっていたわけではない。
死ぬという選択肢をあらかじめ奪われているリュカやマヤには、死を選択可能なものとして扱うという概念が存在しない。最初からドミナに殺されるという結末を定められているからだ。マヤもある程度までは共感出来たが、運命から逃れた張本人であるリュカが、未だに運命論に縛られ続けているのは奇妙なことに思えた。
「リュカは生き残ったじゃないですか。それも運命だって言うんですか?」
「そうだ」
エレクトラの舵を操りながらリュカが言う。
「誰にだってしかるべき役割が割り当てられている。俺はシャンバラの輪の中を漂って、偶然というものよりむしろ必然を信じるようになった。俺が今ここにいることが、単に偶然を積み重ねた結果だなんて信じられないな」
ドミナの玩具として生まれ、殺戮の中を一人生き延び、宇宙の暗礁の中を半年近く彷徨った挙句に財宝と力を手に入れる。これは確率が云々という次元の話ではなく、最初からそういう役割を演じる枠が開けられていたからなのだ、とリュカは考えていた。
「俺は、誰が決めたかそういう枠のなかに収められて、その筋書きをたどっているにすぎないのさ。歴史……そう、歴史の法則というやつかもしれない。サヴァスはああ言っていたが、劣種の反乱は必ず起きる。永遠の支配体制など存在したためしがない。俺はそのひずみが弾ける際の起爆点なんだ」
「……じゃあ、その筋書きが途切れてしまったら?」
「そこで終わりだ」
そう言い残し、リュカは少女の顔を省みないままブリッジを出た。カーリーが待っていた。
「もっと話しておかなくて良かったの? もうあまり時間が無いけど」
「話し方が分からん」
「本当に君は駄目な男だねえ」
「……言うな」
図星を突かれたリュカは、逃げるように強く壁を蹴りつけエレベーターへと流れていった。カーリーもその後に続く。
「少しはカイルを見習って、はっきりした物言いが出来るようになれば良いのに」
「性格が根本から違うんだ。見習ったって無駄さ」
「多少は矯正出来るでしょ? 肝心なことを言えるくらいに、さ」
「俺には無理だ。だから、戻れなかった時のためにも……」
格納庫まで出てきたリュカは、そこで帰投した二号機から出てきたカイルに手を振った。
「どうだった?」
「最高だ!」
率直な感想にリュカも思わず笑ってしまった。
「そこまで喜んでもらえるなら、俺も残しておいた価値があったな。OSの微調整をしておく、お前は機体外部の点検をしておいてくれ」
「分かった」
カイルと入れ違いにコクピットに滑り込んだリュカは、二号機のOSを起動させてホロディスプレイを表示し、先ほどまでの機動とすり合わせながらスラスターの噴射タイミング等を調節していく。自分用のセッティングのままだったのだが、やはりカイルの方が推進剤の消費量が多い。俊敏に動いている証拠だが、同時に活動限界が短いことをも意味している。プロペラントタンクでも追加するべきかもしれない。
ソフト上の問題点はほとんどなかったが、カイルの動きに合わせた武装や追加装備を取り付けてやらなければならない。狩りが実施されるのが一週間後、ヴェローナからコロニーまで移動するのに三日かかる。自分はそこからさらに戻ってこなければならない。
「追い込みだな」
呟いて、リュカはディスプレイを消そうとした。その手を止め、少し考えてから、一つの単語を入力する。
ウッドソレル、と。
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