第43話 根無し草の家族
スターゲートを越え、追撃の部隊を完全に振り切ったのを確認してから、リュカはガランサスを着艦させた。エレクトラはカイルが餌に使ったためすでに拿捕されており、代わりに彼が買い取った海賊達の分捕り品を母船にしたのである。
格納庫に入って足をつけると同時に、残った片足が音を立てて砕けた。バランスを崩したガランサスは壁に衝突し、その拍子に左肩までもが潰れて完全に動かなくなった。後から入って来たマヤのムーンダストが、片手でガランサスを支える。
コクピットから這い出したリュカは、正面から満身創痍の愛機と向かい合った。
片腕と両脚を失い、両目を抉られた上、自身の発するスラスターの熱によって全身がくまなく焼けただれている。その他にも斬り合いで出来た傷や食い込んだ破片がいくつも見受けられ、スクラップとしか言いようのない状態だった。
ガランサスのヘッドユニットに触れ、リュカは胸中で感謝を述べた。同時に、このような有様になるまで戦わせたこと、己の腕の未熟さを詫びた。
「ガランサス、壊れちゃったね」
いつの間にか背後に浮かんでいたカーリーが言った。
「ああ」
「淡白だね」
「まだ完全に駄目になったわけじゃない。どれだけ時間がかかっても、ちゃんと直してやるさ」
「そう」
カーリーはガランサスの装甲を蹴って、リュカから離れようとする。
「カーリー」
「……何?」
リュカが振り返った時、カーリーはそこに誰が立っているのか分からなかった。彼女が見知っているどのリュカとも違う、エルピスのスペルの中で見たリュカとも符合しない彼の表情が、そこにはあった。深い疲労と悲しみ、後悔や諦念が赤い瞳を彩っている。以前の彼から感じられた激しい怒りはどこにも見えず、それにともないあの妖しい雰囲気も無くなっていた。
だが、生気が無くなったわけではない。様々な傷を抱えながらも、輝き方の変わった瞳の奥には憎悪とはまた異なった感情の色が宿っていた。それは彼が、多くのものを引き受け、抱き締められるようになった証である。
「エルピスはああ言っていたが、それでも俺は、お前に感謝している。お前と会わなければ、ガランサスだって造ることは出来なかった。俺をあそこまで連れて行ってくれたのは、まぎれも無くお前だよ、カーリー」
「本当に、そう言ってくれるの?」
馬鹿な確認だと思いつつも、カーリーは訊ねずにはいられなかった。彼女は彼の口からイエスという言葉が聞きたかったのだ。
「当然だ。もう嘘は言わない……言わなくて良いんだ」
「君をエドガーにしたことは、間違いだったかな?」
リュカは軽やかに笑った。
「そんなことは無いさ。エドガー・ドートリッシュだって俺の一部なんだ。これまであったどんなことも……どれか一つを欠いても、今の俺にはならない。お前に会ったことだってそうだし、サヴァスやグラディスを討ったことも、俺の一部として確かにあるんだ」
生きることへの誠実さを失うなと、エルピスは言った。決して投げやりになってはならない、行いの一つ一つが自分を形作るのだから。そして、既に犯してしまった罪に対しては、正面から見据えて引き受けるしかない。いかに憎むべき相手とはいえ、己のエゴによって裁いた人々のことを生涯忘れることは出来ない。
だが、差し当たりリュカがしなければならないことは、一人の少女を守ることだった。
「リュカ!」
ムーンダストのコクピットが開き、マヤが飛び出してくる。リュカが彼女の身体を受け止めると、マヤは強く彼を抱き締めた。言葉は出ない。ただ肩を震わせ、嗚咽を漏らすだけだった。
「……すまなかった」
「本当に、そうです! もう戻って来ないかと思って、わたし……!」
マヤの小さな拳がリュカの胸を叩いた。
リュカは彼女の抱擁に応じて、両腕を背中に回しかけた。その時、密着したマヤの肉体の柔らかさに気付き、同時に、最初に彼女と出会ったときのことを思い出した。それは火花のように脳裏を駆け抜け、彼にマヤの身体をぐいと引き離させた。力を込めすぎたのか、マヤが痛みに顔を歪める。そして眦に涙を浮かべたまま困惑する彼女の顔を見た時、彼女が最早、部屋の片隅で震えていた痩せこけた少女などではなく、成熟へと向かう一人の女性なのだと意識した。
だからこそ、彼女を抱くことが出来なかったのだ。なぜなら、あの暗い部屋の片隅で、毛布を引き寄せたマヤに向けて自分はこう言ったからだ。
「家族、だからな」
その言葉を聞くと、まるで華が開くかのようにマヤが笑みを浮かべた。
「最初にそう言ってくれたのはリュカでした。それが、とても嬉しかった!」
彼女にとってこれほど大事なことだったのに、自分は意識に留めるどころか、すっかり忘れてしまっていた。そんな自分のいい加減さに腹が立った。マヤは、そんないい加減に言い放った言葉をずっと縁としてくれていたというのに。
そしてもう一つ、思い出したことがある。
「そうだ、俺を……俺に変えてくれたのも、マヤだった」
彼女を守るのに、いつまでも「僕」と言っているのでは頼りない。自分でそう感じ、自分自身を変えた最初の出来事だった。エルピスもカーリーも彼を変えはしたが、ただ居るだけで影響を及ぼしたのはマヤ一人だ。
グラディスの声が蘇る。「リュカ、あんたに家族はいるのか?」と。
「嗚呼」
ずっと、居てくれた。こんな間抜けな自分のために、命を張ってまで助けに来てくれるような素敵な家族が、ずっと居たのだ。だからこそ、彼女を抱いていたいとは思わなかった。そういう所有欲を持ち込んでこの関係性を穢したくない。
カイルがウッドソレルから降りて来る。
「これからどうする、リュカ?」
「そうだな」
どこに行き、何をするか決めなければならない。まだ自分の人生は続いていくのだから。
「だが、腹が減ったな。何か食べたい」
彼の発言に、カーリーとマヤが驚いたような表情を浮かべる。リュカが自分から空腹を訴えるのは稀なことだった。カイルだけが、首の後ろで手を組んで「俺も」と笑っている。
リュカは、ポーチの中に林檎を入れていたことを思い出した。ヴェローナを発つ直前にエルピスが手渡したものだった。
「とりあえず、これを切り分けて食べよう。何をどうするか考えるのはその後だ」
誰も異論は唱えず、四人は椅子と机を探して歩き出した。
ルーツレス・クラン @inouekazuki
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