第25話 追憶―2

「もう分かっているだろうが、俺はクローンだ。サヴァス・ダウラントが狩りのために作り、教育してきた内の一体。七年前の狩りで偶然逃げ延びた、たった一人の生き残りというわけだ」

 記憶を反芻し、言葉にしていく。

「どこから話すかな……そうだな、まずは名前からか。リュカという名前は俺個人のものじゃない。リュカオンという、まあ、一種の商標のようなものをもじったものなんだ。サヴァスの人間牧場に居た時は、リュカオン576というのが個体名だった」

 リュカが左腕の裾をまくりあげると、小さくL576と刺青が彫り込まれていた。

「俺たちには名前に関する取り決めがあった。狩りを生き延びた者だけが、個人としてリュカという名前を得る」

 他の連中は、とカイルは訊ねた。無意味な質問と分かってはいたが、少しでも言葉を吐かないと口の中が乾いてしまいそうだった。結果、リュカに「間抜けな質問だな」と言われてしまったのだが。

「言わなくても分かるだろう、あの剥製のようにされたんだ……あいつは、生き延びると思っていたんだがな」

 見下すような喋り方だが、カイルには、彼が他の生き残りの存在に賭けていたのだということが透けて見えた。その直感は当たっており、リュカも一時期までは必至に探していた。結果的に生き残りは自分一人だと再確認する羽目になったが、だからこそ南部宇宙の奴隷市場でマヤに出会えたのである。

 彼のわずかに伏せられた目が、生き残ってしまったことに対する罪悪感と孤独とを一杯に湛えている。

「全員が生き残れるなんて、誰も思ってはいなかった。クローンとはいえ個体によってクルスタの操縦技術は大きく差がつくからな。だから、盗みだせた食料や水は、演習で成績の良かった上位三名だけに与えられた。逆に最底辺の順位だった奴には、わざと怪我をして医務室に侵入し、睡眠剤やサプリメントを掠め取ってくる役目が割り振られた」

「それを割り振られた奴は納得してたのか?」

「出来るわけがないだろ。だが、そういう連中は、狩りを生き延びる見込みが一切無かった。それを本人たちも自覚していた。だから、そんな自分たちのことも含めて、リュカという名前を俺たちに託してくれたんだ」

 カイルには納得出来なかったが、彼がとやかく口を出せる問題でもなかった。当事者にしか分からない葛藤もあっただろうし、それを乗り越えるために一種の宗教じみたものまで創り出したのだから。

「もちろん俺たちの動きにサヴァスが気付いていなかったわけがない。察知した上であえて見逃していたんだ」

「何でそんな回りくどいことを……」

「わずかな希望があるだけでも、生き延びようという意志は格段に強くなる。俺たちは必至になって逃げ回り、結果として遊戯を盛り上げるのに一役買うというわけだ」

「…………」

 話を続けるぞ、とリュカは言った。

「狩りの当日、俺を含めた脱出組は、他の連中が散開している間に戦域の突破を試みた」

 広範囲に散らばり三人が脱出するまでの時間を稼ぐというのが彼らの立てた作戦だった。狩人や猟犬と遭遇した場合は死力を尽くして足止めに徹する。ある種の捨て奸であった。

 目の前には惑星シャンバラの巨大なリングが広がっている。狩場はそのリングの外延部であったが、身を隠すだけの障害物は無数に漂っていた。ほとんど速度を落とさずに進めたのは日頃の鍛錬の結果と言えよう。だが、レーダーから敵機の反応が消えかけたその時、待ち伏せていた三機のカタフラクトが襲い掛かってきた。

 シミュレーターで幾度となく戦った相手だが、実際に相対した時の圧迫感や絶望感は想像を絶するものがあった。二五メートルという彼らの乗っていたエクエスより一回り大きい体躯も恐怖に拍車をかける。

 クルスタという兵器は、その起源から「より人型に」というテーゼを背負って進化してきた。曲線的な装甲と強靭な人工筋肉によって構成されたカタフラクトという機体は、そうしたテーゼを完璧に体現しているのだ。

 外見はしばしばヘラクレス的と形容される。文学的な意味合いも無論あるが、その威圧感を表現するのになかなか相応しい言葉だ。コクピットのある胸部は重厚な装甲と人工筋肉線維によって守られており、同時に他のクルスタでは扱えないような重火器等も易々と振り回せるだけの膂力を生み出す。脚部も上半身の大きさに負けないほど逞しく、短距離走者を想起させる大腿を覆うようにスラスターが配されている。

 その上、股関節や肩を守るような形で装甲が取り付けられており、弱点である関節部が狙われることを防いでいる。また背中に取り付けられたバックパックは生物的な素体と対照的に機械的であり、五発の大型スラスターと航空機の主翼のようなラジエーター・プレートを備えていた。

 だが何よりもカタフラクトの恐怖を強調するのは、その頭部ユニットであろう。人間の頭蓋に近似したそれは、前面から頭頂近くにかけて多数のカメラアイを持っており、見る者によっては中世騎士の兜か、あるいは激怒する百目巨人のように映る。

 そんな機体が三機、計六十以上の目を爛々と光らせ立ち塞がったのだ。

「戦意なんて一瞬で失せてしまった。間抜けにも狩人の前で棒立ちになったんだ。だが、あれは……あの時は仕方が無かった」

 第一射の照準がリュカに向けられていなかったのは、幸運以外の何物でもない。先頭に立っていたエクエスは、カタフラクトの携行型ビームカノンの直撃を受けて文字通り消滅した。禍々しい、赤い可視光がコクピットに満ちた瞬間、ようやくリュカは呪縛から解かれた。慌てて回避行動に移るが、二体のカタフラクトは莫大な推力に物を言わせ、スペルを展開しつつ突撃してくる。牽制にライフルを連射するが一発も直撃しない。

「今思い返すと、突っ込んできた二機はそれほど手強くなかった。負け惜しみかもしれんが……現に、そいつらにしてやられることはなかった」

 最も手強かったのは、大砲を持ったカタフラクトだった。こちらが逃げようとするポイントに的確に牽制射撃を加え逃げ道を塞ぐ。退職した元軍人というところだろうか、戦い方にどこか場馴れした感じがにじみ出ていた。

 そうして動きを止められたところに、ABCSSが次々と撃ち込まれてくる。デブリを盾に後退するが、逆にじりじりと狩場へ追い込まれていく。焦燥感に駆られたリュカはついに剣を抜き斬りかかってしまった。冷静さを欠いた痛恨のミスだった。薙ぎ払うように照射された荷電粒子が、リュカのエクエスの脚部を吹き飛ばしたのだ。

「やられた、と思ったな。もうお終いだと……」

 だがそうならなかったこそ、自分は今この場所に居られる。もう一機のエクエスに乗った「彼」の助けが無ければ。

 正確な狙撃でカタフラクトのビームカノンを撃ち抜き、制御を失いかけていたリュカの機体を引きずるようにしてその場を脱した。だが、背後からは獲物の位置を特定したカタフラクトが続々と集結してきており、彼我の推力差を鑑みても到底逃げ切れる様子ではない。

「だから、二手に分かれようと提案した。最初はライフル二丁で足止めをするつもりだったんだ。その間にもう一機は逃げられる……結果的には、正反対の状況になってしまった。連中は手負いの獲物よりも、活きの良い方を選んだ。あいつがその後どう戦って、討たれたかは分からない。大よその想像は出来るが……」

 話す必要もないことだ、と思った。

「そして、あんたは逃げ延びた……」

「逃げ切ることには成功したさ。だが進んだ先にあったのは、また別の苦しみだった。カイル、海賊の刑罰に漂流刑というのがあるそうだな?」

「あ、ああ。仲間を裏切ったり、密告をした奴は、ミサイルの発射管に一週間分の水と食料と一緒に詰めて撃ち出すんだ。今は、よっぽど昔かたぎな海賊団しかやってないけど」

 この手の刑罰は受刑者が発見される可能性のある宙域で行われるのが慣例となっている。弱小海賊団の間でこの刑罰が行われなくなってきたのは、警備隊の質が向上してそうした中途半端な宙域が減ったからに他ならない。一方、昔かたぎの由緒ある海賊団などでは、伝統を守るという意味合いも含めて未だに最上級の刑罰として扱われている。ではこの刑罰が埃をかぶった形式的なものかというと、決してそんなことはなく、恐怖の代名詞として扱われている。身動きなどほとんどとれない閉塞感、自分の意思で進路を決められないという不自由さ、そして食料や飲料水が切れる瞬間への焦燥感等々、様々な恐怖が一斉に襲い掛かってくるのだ。いかに宇宙慣れした海賊であれ、いや、慣れているからこそ分かる恐怖に苛まれ、水や空気が切れる前に舌を噛み切る者が大半であるという。万一近くを通りかかった船に助けられたとしても、九割方は発狂した状態で発見され、正気の者も二度と宇宙に出ようとは思わなくなるらしい。

 シャンバラのリングに逃げ込んだリュカが遭遇したのは、まさにこれらの恐怖であった。

 追撃から完全に逃れたという確信が持てたのは三日後のことだった。推進剤の大半を消費し、両足の膝から下を失ったエクエスを追いかけて来ないというのは、相手がロストしたか飽きたかのいずれかに違いない。

 安堵の直後に襲ってきたのは、強烈な疲労と眠気だった。過度の緊張は心身両面に巨大な負荷をかけていたのだ。リアクト・スパインからスーツを切り離し、コクピットの中を漂いながら丸二日間眠り続けた。その間もリュカのエクエスはゆっくりと、だが確実にリングの奥へと進んでいく。

 惑星シャンバラは土星や天王星と同じく巨大なリングを持った惑星だが、特徴的なのはその分厚さである。かつてリングを持った惑星の代名詞であった土星などは、リングの規模自体は大きくとも、その厚さは場所によってはメートル単位で計れる程度だった。それに対しシャンバラは、数十キロの厚さを持った箇所さえ存在する。

 無論、宇宙空間を戦場とするクルスタにとってはたかだか数十キロの空間など一足飛びに飛び越えられる距離に過ぎない。だが、この時リュカは致命的な失敗を犯していたのだ。

「オートパイロットを切り忘れていた」

「遭難した時の対処としちゃ、普通じゃないのか?」

「通常宙域ならセオリーなんだがな。デブリだらけのリングの中とあってはそうもいかない。あれを避け、これを避けとやっている間に、推進剤はほとんど空になった」

 眠りから覚めた直後には、そうした危機には全く意識が向かなかった。それよりも強烈な飢えと渇きを癒す方が先決だった。コクピットの後ろに設けられた貯水タンクからホースを伸ばして水を飲み、収納に収めてあった高カロリービスケットとチーズを貪り食った。ちなみに、持ち込めた食料の大半はビスケットとチーズで、それ以外はほとんどがサプリメントである。この時はまだ、食事に飽きが来ないか心配するだけの余裕があった。

「何も考えずに三枚ほど食べた所で、ようやく正気に戻った。これからどうすれば良いのだろう、と。滑稽な話だが、狩場から逃れた後、どうなるか、どこに行くかなんて誰も考えていなかった。あの狩場から生きて逃げ出せるという想定自体が、あまりにも希望的だったから……俺のクルスタに水や食料を載せてくれたのも、祈りとか願掛けとか、そう言った意味合いの方が強かったからだ」

 どうあれ、リュカは生き延びたことによる問題と直面せざるを得なかった。

 最初は彼自身ポジティブな気持ちを抱いていた。自分は生き延びることが出来た、死んでいった者たちのためにも自分こそが「リュカ」の名前を名乗り、保持しなければならないという使命感が湧いたのだ。

 リュカは直ちに食料と水を切り詰め、極力エネルギーを消費しないよう努めた。機体のエネルギーだけは無尽蔵にあるので、コクピット内の温度をやや高めに設定して体温を保持する。

 主食となるビスケットやチーズであるが、カロリーの数値だけを見るならかなり頼もしい。ビスケットは縦一○センチ、横三センチ程度のサイズで、一枚につき三○○キロカロリーを摂取できる。チーズは一○○グラムで三五○キロカロリーであり、そのうえ保存がきく。あとは、林檎が一つ。

 問題は量が少ないこと。ビスケットは百枚弱、チーズに至ってはほんの一キロ程度だ。

 第二次性徴期を迎えた男性は、大体一日に一六〇〇キロカロリーのエネルギーを消費するとされている。遺伝子改造によって生存能力を強化されているリュカは、常人の最低ラインである一二○○をさらに下回る一○○○キロカロリーでも生命活動を維持することが出来るが、それはほとんど身体を動かさなかった場合の話だ。

 ここまでは単にエネルギーの問題に過ぎないが、幸いタンパク質とビタミンに関しては大量に錠剤を持ち込めていたため、さほど深刻ではなかった。ただし空腹感が満たされなければ、窮地における最重要の要素、すなわち楽観性が失われることになる。一度悲観主義に陥ればあとはなし崩しだ。

 この時点でリュカが持っていた食料の総カロリーは約三四○○○キロカロリー。一日一○○○キロ消費するとして一月程度しかもたない。この日数はまともな食事が摂れる期間と同等であり、彼の思考能力が十全に保たれる限界点でもあるのだ。

 いつの時代も、漂流者の課題は現在位置の特定と脱出方法の模索である。リュカも慣例に従い、まず自分がどこにいるのか探り始めた。メインカメラが破損していたため、機外に出て大昔の航海者よろしく星の座標から位置を割り出さなければならなかったが、どうにか自分がどの地点を彷徨っているかは分かった。最寄りの有人惑星まで、百光分の距離があった。身動きのほとんどとれないクルスタにとっては、無限と言って良いほどの距離である。

 リュカは体験から一つの知恵を得た。すなわち、窮地に立たされた人間は、最初は躁的なまでのポジティブさを抱き、そして段々と絶望に落ち込んでいくのだ。なんてことの無い一般論だが、自分のように長期に渡って、しかも致命的な状況下に置かれていた者にとっては実感の度合いも大きく変わってくる。

 その時のリュカはあくまでポジティブだった。能天気とさえいえた。他の天体に比べ分厚いとはいえ、推進剤などほとんど残っていないといえ、まだジェネレーターは生きている。両腕部も応急処置を施してやればまだ動く。それを直してから、この暗礁の中から這い出てやれば良い、と。

 早速機体の修理に取り掛かった。千切れた回線をつなぎ合わせ、動きを妨げている破片は取り除く。辛うじて残っていた大腿部からまだ使える部品や人工筋肉を取り出し、断裂した腕部の筋肉に充てる。今思うと、限られた応急修理キットでよくもあれだけの「大手術」が出来たものだと、我ながら感心するリュカであった。加えて、この時機体の隅々まで目を凝らした経験が、後にウルティオを開発する上で大きく貢献してくれた。

 だが、推進剤だけはいくら掻き集めても数回分の噴射に使える量しか残っていなかった。この問題だけはいくらポジティブになろうとも解決出来ず、じりじりとリュカにプレッシャーを与え続けた。

 腕は動く、そう考えることにしたリュカは、修理した腕を使ってロッククライミングよろしく暗礁宙域をよじ登ることにした。無論よじ登ると言っても字義通りではなく、昆虫のように岩から岩へと飛び跳ねる形である。自機よりも質量の大きな岩礁を足場、否、手場として使用し、それを押すことで移動するのだ。傍から見ると間抜けだが、移動中に機体の慣性が狂ったりすると全く意図していない方向へ流されてしまう。スラスターで軌道を矯正することも出来ないので、非常に緻密な操縦を要求される仕事だった。最低限の速度しか出していないとはいえ、少しでもミスを犯せば不必要な距離を流されてしまう。その緊張もまた、リュカの精神に多大な負荷をかけた。

 保っていた精神の均衡が崩れたのは、岩登りを始めてからちょうど二週間が過ぎたころだった。あともう少しでリングから抜け出せるというところで、大型のデブリ同士の衝突に巻き込まれたのだ。スラスターを使っても避けきれず、破片をもろに食らったエクエスは再度リングの中へと押し込まれてしまった。

 機体が何かにぶつかって静止するまで、リュカは茫然となっていた。すぐ近くに見えていた脱出路が閉ざされたことで精神的な負荷が極限に達したのだ。推進剤の残量が底をついたことも絶望感に拍車をかけ、後は転落する一方だった。

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