第26話 追憶―3

 それまではあえて心配しないでいたことが非常に重大な問題として立ち塞がって来た。問題そのものは以前からあったのだが、それに対する受け止め方が全く変わってしまったのだ。

 水が無い、食料が無い、何日間も狭い場所にいたためストレスも溜まっている。もちろん新陳代謝に関する諸問題もあったのだが、カイルやマヤに話すことではないと考え、黙っておいた。

「坂道を転がり落ちるように、どんどん思考がネガティブになっていった。それまで目をつぶっていた色んな問題が急に現実味を帯びてきて、腹の奥がじりじりと焼け付くようになって……」

 最初は感覚的なものだったそれは、次第に誤魔化しようのない飢えと渇きに転じた。ビスケットやチーズを食べ尽すと、残るのはブドウ糖タブレットやビタミン剤、プロテインタブレットといったサプリメントのみである。とても食事とは言えない。水も半分は飲みつくしており、最初迷い込んだ時に携えていた「希望」さえ失いかけていた。

 もしリュカが信仰の対象を持っていれば、それに対し祈ることで多少は心を安らげることが出来たかもしれない。だが、その信仰の対象そのものになってしまったリュカは、他に祈るべきものを見出すことが出来なかった。至天教の存在も知ってはいたものの、劣種である自分が祈ったところでどうにもならない。むしろ惨めさが増すだけだ。

 口にサプリメントを運んで飲み下す、あるいは水を飲むためにホースに近寄る時以外は水死体のようにコクピットの中を漂っていた。何日も何日も。エネルギーの消費効率を考えれば、余計な動作はせずにじっとしているのが最も理に適っている。だがそれは、リュカの意思でそうしているのではなく、単に手も足も動かすだけの力が無いからだ。

 まだ生きているモニターは、装甲を隔てたすぐ外側にある石ころの群れを忠実に映し続けていた。時々、視界が晴れると星々の煌めきが入り込んでくるが、それらは手を伸ばしても到底手の届かない距離にある。むしろ宇宙の冷たさというものをまざまざと見せつけられているような気がした。

 耳鳴りがするほどの静けさの中で、リュカはひたすら、己自身の存在に悩み苦しんだ。

「身体も機体も動かなくなって、最後には脳だけが自分に残された全てのように思えた」

 サヴァス・ダウラントの人間牧場でリュカたちは十分な教育を受けさせられた。人間の価値は教育の程度によるというサヴァスのポリシーに基づいており、そうして完成されたセルヴィこそ狩るに値するという価値観を彼は抱いている。

だが、狩られる側にしてみればクルスタに関する知識や技術は生存に直結する要件なので、自然と理数系の方向へウェイトがかけられてしまう。カーリーに出会ってからはともかく、この時のリュカは小説も音楽も演劇も絵画もろくに知らなかったし、それどころか、それら全てが自由人の娯楽に過ぎないと決めつけていた。

 だから最後に脳内に残ったのも白紙ではなく、罫線の入った設計図と憤怒。

「そして憎悪だった」

 リュカの呟きには、カイルが思わず身震いしてしまうほど冷たさと激しさが込められていた。

「何故俺はここにいるのだろう、何故俺はこうまで苦しめられなければならないのだろう、何故俺は俺として生み出されたのだろう……答えは一つ。サヴァス・ダウラントの、貴種どものエゴのためだ」

 狩りの儀式には、かつて自分たちを抑圧したセルヴィに対する意趣返しという側面がある。エンターテイメントとして狩りを実施していたサヴァスにそこまでの意識があったかは分からないが、娯楽のためという方が意趣返しよりもよほどエゴイスティックである。

「こんなに馬鹿にした話は無いだろうさ」

 だが、呪いの言葉を吐く様な真似はしなかった。それを聴かせる相手もいなかったし、彼が抱いた憎悪を表現するに足る言葉などどこにも無いからだ。

 リュカは直ちに復讐を渇望した。連中をどう痛めつけるか、それだけを考え続けた。だが、その最終段階がどういう形になるかは最初から決まっている。クルスタによって、カタフラクトに乗ったドミナを完膚なきまでに粉砕するのだ。

 カタフラクトがドミナにとって象徴的な機体であるならば、自分は自らの憎悪を象徴する機体を造れば良い。その機体を駆ってカタフラクトを倒し、四肢をもぎ取り、自分同様宇宙の深遠に叩き込んでやるのだ。

 憎しみを塗料として、リュカは自分の考え得る最強のクルスタを描き続けた。エクエスのOSを使って計算や簡単な設計までも行い、アイデアを形にしていく。また、エクエス自体の設計を基にクルスタの基本的な構造の再確認も行った。どうしてもデータや数値だけで理解出来ない時は、ハッチを開き、ナメクジのように這いずりながらその箇所に行って飽くまで観察した。

「腹も減っていたし、水だって十分に飲めなかった。だが、クルスタについて考えている間は、肉体的な苦痛はいくらでも我慢出来た」

 その創造は多少自慰的ではあるにせよ、確かに経験としてリュカのなかに蓄えられていった。まるで食物の代わりに機械やオイルを飲み込んでいるかのような気分だった。

「その時も、生きて帰れるって信じてたのか?」

 思わずカイルは訊ねていた。リュカは薄く笑い「まさか」と言った。

「半分狂っているような状態だったが、もうそんなに楽観的ではいられなかったさ。いや、完全に狂い切ることが出来たら、どんなに楽だったろうな」

「どういうことだ?」

 リュカの言葉を継ぐ形で、それまで黙っていたマヤが口を開いた。

「わたしたちは、もともとそういう風に設計されているのよ。宇宙に対する最低限の適応力が無いと、クルスタの操縦なんて出来ないから」

「その上、俺たちのいた施設は元々、スターストリームの建設を補助する人材を産み出すためのものだったんだ。特にサヴァスが商売を始めたころは、まだその名残を引きずっていたらしい」

「……じゃあ、スペルが使えないこと意外は、まるきり貴種と同じってことか?」

「スペルが使えないのでは、貴種とは言えない。ただの個体差だよ」

「なら……こんなこというのは不謹慎だろうけど、死のうとは思わなかったのか? 水も食い物も無くて、狭い所にずっと居て……」

「それも出来ない。狩りの最中に自決されないよう催眠がかけられている。それが出来たら、ある意味最も効果的な復讐だったかもしれないな」

「…………」

「続けようか。何、もうすぐに終わる」

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