第27話 決断
何もかもが底をついたとき、不意にエクエスのアラートがコクピット中に鳴り響いた。飢餓のあまり意識が朦朧としていたリュカは最初それが幻聴だと思った。砂漠を放浪する者がオアシスの幻影を見るように、自分もまた救いへの幻に誘われているのだ、と。同時に、この期に及んでまだ希望などというものに踊らされている自分に腹が立った。
だが、アラートはいつまでも鳴り続けた。リュカがゆっくりと目を開くと、モニターに巨大な小惑星の姿が映し出されていた。そこからは、部分的ではあるものの確かに人工の光が放たれている。
希望が現実となった時、最早完全に燃え尽きていたと思われた気力が再び胸の中で燃え上がった。身体が精神に引っ張られ、皮の裏に張り付いていた脂肪の残滓から最後のグリコーゲンを絞り出す。
残っていたわずかな水とサプリメントを全て飲み下し、リュカは機体を小惑星へと向けた。
近づくにつれて、その小惑星が軍事基地であることが明白になった。それもただの補給基地などではない、かなり大規模なものである。港湾部には何十隻もの軍艦が係留されており、内五隻は戦艦だった。かなり古い設計であることは一目瞭然だが、外から見る限り大きな損傷は無いように思える。
もし迎撃装置が生きていれば、撃墜されるかもしれない……そんな考えが脳裏をよぎったが、落されるならそこまでのこと。水もサプリメントも使い尽くした今となっては、むしろ撃墜してくれた方がありがたい。
幸い想定していたようなことにはならず、砲台は沈黙を保ったままだった。戦闘能力を完全に喪失したエクエスを砲台が敵として認識しなかっただけかもしれない。いずれにせよ、リュカは小惑星基地に上陸することに成功した。
入口は拍子抜けするほどあっさりと見つかった。どの扉もロックが解除されており、来るもの拒まずといった具合である。
港湾部はほとんど整備されておらず、破損個所もそのままなので、迂闊にヘルメットも脱ぐことが出来なかった。
だが、そこから少し進んで居住区画に入ると人工の重力が圧し掛かって来た。数か月ぶりに味わう重力に耐え切れず、リュカはその場に倒れ込んだ。
「あの時ほど重力が怖いと思ったことは無かったな」
無重力に完全に慣れてしまっていたことに加え、最後の数日間は全くと言って良いほど筋肉を使っていなかったので、首を持ち上げることさえ億劫だった。栄養失調も加わり、このまま一歩も動けないのではないかという考えが脳裏をよぎった。
ここまで来たのに、重力に負けて動けなくなったというのはあまりにも間抜け過ぎる。そう思った。
何とかヘルメットを脱ぎ捨て、手すりを握って力一杯身体を引き上げた。身体が動いてくれたのは、もちろん受精卵の時点で施された調整の御蔭でもあるが、それ以上に生への執着故であった。
ほんの五十メートル程度の廊下を渡り切るのに十分かかった。港湾部はそこで途切れており、居住区画に入ったのだ。
入ってみると、途端に稼働している無人ロボットの数が多くなった。それらも警報を発したりせず、各々が黙々と自らの仕事を実行している。リュカは円盤型の掃除機にしがみ付いてそれの動くに任せた。傍から見るといかにも間抜けだが、この状況下では最上の移動方法であったに違いない。
ロボットは文句を言うでもなく、リュカを連れて動き回ってくれる。その内休憩所と思わしき場所にたどり着いたので、リュカは一旦ロボットから離れて給水器にしがみ付いた。センサーが反応し、清潔な水が滾々と湧き出してくる。錯乱気味だったリュカは、水が無駄になるといけないと思い両手で噴水口を抑えた。だが、ここがエクエスのコクピットでないと認識した瞬間、彼は赤子が乳房に吸い付くようにそれに噛みつき、水を飲み始めた。
何度かむせ返り、それでも飽くまで水を飲み続けた。その時飲んだ水の味は、後々味わった何千、何万リブラの酒よりも間違いなく美味かった。
渇きを癒したリュカは、小惑星基地の深奥へと足を踏み入れていく。水分を補給したことで心なしか元気になったような気がした。
床に積もった埃の量は少しずつ減っていき、代わって生活臭らしきものを感じられるようになってきた。人数は分からないが、人が居ることだけは確かだという確信を抱きつつ、リュカはあらわれた巨大なドアを開いた。
目の前に金色の草原が広がっていた。気が変になったのかと思ったが、一度瞬きすると、そこがただの食糧プラントに過ぎないことに気付いた。だが、こんな見捨てられた場所で正常にプラントが作動しているということがまず奇妙だ。
稲穂の揺れる音がした。プラント内に風は吹いていない。誰かが居るのだ。
リュカは足を引きずりながら、ゆっくりと前へ進んでいく。麦をかき分けていくと、そこに一人の女性が立っていた。
「それがこいつだったのさ」
「ふふ、まるで昨日のことのようだよ」
「後の説明はお前に任せる。喋り過ぎて、少し疲れた……」
「じゃ、手短に」
カーリーは自らの出自、リュカと出会ってからのこと、彼女が彼に授けた諸々のことをカイルに話した。最初は真面目に聞いていたカイルも、後半になるとあまりの荒唐無稽ぶりに呆れていたが、今日まで見せられてきたあらゆるものを嘘の一言で片づけることは出来なかったし、何より彼の勘も全く反応していない。全て本当のことなのだ。
「うーん……」
唸る以外に返せるリアクションが無い。
「そりゃあ、困惑するよねえ」
「無理もない」
「わたしも、最初聞かされた時は信じられなかったし……」
「まあ、色々見せられた後だからさ。納得しないわけにはいかないし、道楽でこんなことが出来るとも思えないよ」
カイルは自分が座っているソファを軽く叩いた。
「俺の復讐は理不尽だと思うか?」
「いや、憎んで当たり前だと思う」
リュカの質問に対して、カイルは即答した。そして、「けど」と続ける。
「今更復讐なんてやったって何になるんだ? あんたは何か得をするのか?」
「…………」
「一生遊んで暮らせるだけの金があるんだろ? それにエドガー・ドートリッシュのままなら議員だろうが総督だろうが、何にだってなれるじゃないか」
頬杖を突き、少し瞼を伏せていたリュカは独り言のように「そうだな」と呟いた。
「ろくに労働なんてしなくても、好きなだけ機械や植物の研究が出来るのは魅力的だ。今日サヴァスにも話してきた通り、その気になれば総督にだってなれるだろうさ。だが、エドガー・ドートリッシュである限り、俺は絶対に復讐を忘れられない」
リュカはバケット一切れと、水の入ったコップを取り上げた。
「水を飲むたびに、パンを齧るたびに、あの時の記憶がどうしても思い浮かんでくるんだ。星を見上げるたびに、シャンバラの輪の中で身動きが取れなくなったことが……誰かにリュカと呼ばれるたびに、死んでいった他の俺の顔が浮かんでくる」
この清算を済ませないことには、生自体が苦しい。
「一度焼き付けられたものは、どうしたって消えようがない。合理性が云々という問題じゃないんだ。最後に全てを失って虚無に囚われても、何もせずこのまま苦しみ続けるよりはずっと良い」
復讐が破滅的な行為であることなど百も承知。その上でリュカは突き進もうとしていた。カイルにはそんな彼の態度が、泥の中でもがいている鳥のように見えた。
「俺の話はこれで終わりだ。その上でもう一度頼む。俺の復讐の手伝いをしてくれ」
カイルの目をじっと見つめたまま、リュカは言った。カイルは即答出来ない。あまりにもスケールの大きい話で、彼自身の想像が追いついていないのである。
「俺に何が出来る? 何をさせるつもりなんだ」
「サヴァス・ダウラントの人間牧場を襲ってもらう」
あまりに無茶な話だった。だがリュカの話を聞いてしまった後では、カイルの性格も相まって簡単に一蹴することが出来ない。
「無理言ってくれちゃって……」
「もちろんお前一人だけを当てにしているわけじゃない。マヤの護衛をしてほしいのさ」
「こいつを戦場に出すつもりなのか!?」
思わずカイルは身を乗り出していた。
マヤのパイロットとしての実力は知らないが、女の子を戦場に出すと言う発想自体がカイルには受け入れられなかった。彼とて海賊の端くれであり、戦闘の厳しさや過酷さも十分知っている。そんなところにこんな華奢な少女を放り込むというのは、わざわざ死地に追い込んでいるように思えたのだ。
だが、そんなカイルを制したのは当のマヤ本人だった。
「良いのよ、カイル。わたしからリュカにお願いしたことだから」
そう言ってカイルを見据える瞳には、確固たる決意が宿っていた。誰も覆すことが出来ないと言う点ではリュカの憎悪と共通している。だが、カイルはそこにネガティブさとは異なったある種の真摯さを感じ取っていた。
昨日マヤが言っていたことを思い出す。彼女は自分が何を望んでいるか知っている人間なのだ。だから、自分が戦う理由も、戦うべき場所も心得ている。あの時カイルと一緒になって突っかかっていかなかったのは、もちろん彼女が冷静だったということもあるが、それ以上に今はその時ではないと考えたからなのだろう。
今、マヤは己の望みのために戦おうとしている。なら、自分が口をはさんだところで仕方が無い。自分に出来るせめてものことは彼女を守ってやること。カイルはそう考えた。
「……分かった、やるよ」
「そうか」
「言っておくけど、あんたの復讐のためじゃない。マヤに借りを返すためだ。それに、俺だってサヴァス・ダウラントのやっていることを見過ごせないっていう想いはあるよ。だから、あんたのために戦うんじゃない、俺自身の理由で戦うんだ」
カイルが念を押すと、かえってリュカは相好を崩し「それで構わない」と言った。
「お前たちの他にも協力者を雇ってある。二人だけを戦わせたりはしないさ」
「当たり前だ……で、襲うって言って、どうするんだよ。警護の機体だっているだろうし、普通に突っ込んだって叩き潰されるだけじゃないのか? それと、俺の」
「クルスタだな。明日の昼までに用意してやる」
「本当か!?」
先ほどとは真逆の表情で身を乗り出してくるカイルに苦笑しながら、リュカはゆっくりとソファに身を沈め、目を閉じた。
「万事心配は要らない……明日の二時ごろにエレクトラまで来てくれ」
「分かった」
明朗な返事をうけて、リュカは少しだけ微笑んだ。
「今日は疲れたな……この辺でお開きにしよう」
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