ルーツレス・クラン
@inouekazuki
第1話 夜の中で
一時期、極めて歪で残酷な時代が現出した。
人類はスペルと呼ばれる超能力を身に付けた新人類「ドミナ」と、それを持たない旧人類「セルヴィ」に二分され、中世ヨーロッパ的な格差と迫害が既知銀河全体に満ち満ちていた。この暗黒時代は、二四世紀から実に五百年以上も継続した。
いや、暗黒時代というのは適切な表現ではない。政情は極めて安定していたし、未知の生命体が銀河系に攻め寄せて来るということも無かった。ドミナにとっては、実に気楽な時代だった。
スペルを持たない旧来の人類……セルヴィは、ほとんど家畜に近い扱いを受けた。高層建築物の足元にスラムを築き、酷い部類になると、生存が困難なレベルの惑星で一生涯を労働に費やされる。というのもまだましなほうで、より酷い身分の者が何億人と存在していた。
彼らの統治する社会においてはスペルの有無が全てだった。一顧傾城の美貌を持っていても、あるいは芸術に対する才能を持っていても、スペルが無ければ対等の存在とはみなされない。ドミナにとって、全ての自信の根源はスペルにあった。
ドミナの発祥は二三世紀の宇宙開拓時代までさかのぼる。宇宙の隅に置かれた労働者たちが、過酷な環境のなかでその力を発現させ、統一政府に対し革命戦争を仕掛けた。彼らの最大の武器は、各々が持つスペルとそれを増幅させる人型機動兵器「クルスタ」。通常兵器を無効化するスペルの盾の後ろから、一方的に攻撃を仕掛けてくるドミナたちの前に、統一政府は大敗を喫する。そのままなし崩し的に戦局が傾き、新人類による革命はあっさり成功してしまった。
そんな中でカーリーは、不幸なことに落ち目の統一政府側にドミナとして生まれてしまった。
政府高官であった彼女の父は、彼女を生体資料として軍に提供したが、すでに逆転の機会は失われている。旧人類の権力者たちに出来たことは、辺境の木星型惑星シャンバラの輪の中に逃げ込んで再起の時を待っていると思い込むことだけだった。この惑星の名前と、それにちなんで名づけられた基地の名前とは、共に痛烈な皮肉だったかもしれない。
大人たちが無意味な乱痴気行為に走るのを横目で見ながらカーリーは育った。サディスティックな「実験」の繰り返しで肉体はぼろぼろになっていたが、ドミナとして生まれ持った強靭なスペルは発狂することも許してくれない。精神を肉体から切り離すこと、それが彼女に発現したスペルであった。
カーリーが音を上げるより早く、大人たちは絶望した。酒池肉林の豪遊の挙句、一人死に、二人死に、とうとう彼女以外には誰もいなくなってしまった。
それから五百年間。空っぽになった巨大な小惑星基地で、複製した肉体を何度も乗り継ぎながら彼女は生き続けた。
別に生きたいとは思っていなかったが、死にたいとも思えない。どちらの状態も同じだと彼女には思えた。みっともなく死んでいった大人たちに対する当てつけの気持ちもあったのだろう。どの道孤独以外には何も知らない身、愛することも愛されることも、彼女には必要のないことだった。
小惑星基地シャンバラⅦに残ったものは全て彼女の持ち物となった。
空気循環システムや水質管理システムは当然として、半永久的に食物を産み出してくれる水耕プラントにそれらを管理する何千体というロボット。ここ以外にはどこにも行けないという点を除けば不自由なことは何一つ無かった。だが、残されたものはそれだけではない。
シャンバラⅦは名実ともに統一政府最後の拠点であった。当然、政府を名乗るために必要なものはすべて持ち込まれている。国家予算数年分に及ぶ量の金塊を始め、古書や絵画といった芸術品や文化財、すなわち、それまでの人類史で作られた数多くの宝物が蓄えられていた。
また、軍港には数隻の戦艦がモスボール処理を施されたまま係留されている。戦闘機や駆逐艦もそろえられ、その気になれば全て自動操縦で動かすことが出来た。
シャンバラⅦはカーリーという女王のためだけに存在する小さな王国となったのだ。
だが一切は無意味だった。物だけでは退屈を埋めることなど出来ない。話し相手はコンピューターだけで、それさえも、無味乾燥な質問と回答があるだけだ。彼女は蓄えられていた本や映画、音楽、劇、絵画を全て味わいつくしたが、その感想を共有する者もいない。感性を磨き、知識を蓄えても、ただただ脳内にごみが溜まっていくような感じがした。だが、退屈が怠惰へと転化しそうになるたびに、腐ってはならないという強迫観念が彼女を急き立てる。そんなある種の真面目さや、プライドとでも呼ぶべきものを彼女は持っていたが、それが自身の本来の気質なのか、それともドミナだからそうなっているのか、答えてくれる者は誰もいない。
外に出たいと思ったことは何度もあったが、惑星シャンバラのリングは常に変動を繰り返していて、古い航路データは全く役に立たない。基地から外に出られるまで、どの程度の距離があるのかもわからないし、行くあても無い。結局ひきこもるしかなかった。
数えきれないほど溜め息をつき、肉体も優に三十回は乗り換えた。やりたいと思えることも大体やり尽くし、とうとう退屈を紛らわせる方法が無くなってきた頃。
一人の疲れ果てた少年が、彼女の島に流れ着いた。
痩せ衰え幽鬼のように萎びていたが、赤い虹彩を持つ目は狼のように鋭かった。髪は泥水を吸った雪のように汚らしい白髪で、コートのような形状のクルスタの操縦服は見る影もないほど汚れ切っている。顔立ちも元々は端整だったのだろうが、とても少年とは思えないほど老けて見えた。何か大きな恐怖と、抑えがたい憎悪とが眉間に皺となって現われていた。
カーリーは、第一声を何にするか迷った。こんなことがあるかもしれないと空想したことはあったが、所詮空想止まりで、自分でも誰かがここを訪れるなど現実味のないことだと分かっていたからだ。
実に、五百年ぶりの戸惑いだった。
その新鮮な感覚に、久しく感じていなかった精神の高揚が内から湧き上がってきた。この少年がどのような人物であろうとも、自分に感情を再発見させてくれる他者であることだけは確かだ。
何と言うべきだろう? カーリーは考えた。自分が戸惑っているように、彼も戸惑っているのは明らかだ。その緊張を少しでもほぐしてやるべきだろうか? それとも、友人を家に招き入れるような親しみを持たせた方が良いのか。
「ようこそ、お客人。私はカーリー。きみの名前は?」
結局、そんな当たり障りのない言葉に落ち着いた。
少年は喋る幽霊に相対したかのように目を見開いた。実際、こんな宇宙の墓場のような場所に人がいたのだから、間抜け面を曝してしまったのも仕方が無いことだ。しばらく酸欠の魚のように口を開け閉めしていたが、譫言のように自分の名前を呟いた。
「……リュカ」
少年はそう名乗った。
そして糸が切れたように身体から力が抜けた。その拍子に腰のポーチの蓋が外れて、干からびた林檎の芯が転がり出てきた。訝しみながらも、カーリーはそれを元の場所に戻して蓋を閉め、ロボットを呼び寄せて彼を担がせた。
衰弱した彼が眠り続けている間、カーリーは彼の口にオートミールを流し込み、回復を待った。青褪めた頬に赤みが現れ、干からびていた肌に張りが戻るまでに三週間かかった。
だが、リュカの魂の流血は、いつまでも止むことなくあふれ続けた。ようやく彼が口を開いてくれたのは、シャンバラⅦに流れ着いて一月が経った頃だった。
リュカがもたらしたものは多かった。
まず、カーリーに話し相手が出来たこと。その頃のリュカはまだ感情の起伏に乏しい少年だったが、肉声で「ああ」と「いや」が聴けるだけで、カーリーには十分だった。
次いで暗礁宙域からの脱出ルート。彼が乗って来たクルスタの残骸には、暗礁宙域の最新の航路データが残っており、それに従えば最短距離で外に出ることが出来る。
そして最後に、カーリーの楽しみ。
リュカの復讐を手伝い見届けるという娯楽だった。
「仲間を殺され、何か月も宇宙を漂流させられ……憎むのは当然だね」
「でも、僕には力が無い。あいつらに復讐するどころか、近づくことさえままならない」
「それなら、私が力を貸してあげよう」
カーリーは彼をシャンバラⅦの隅々まで案内した。積み上げられた金塊や宝石の山、階層をいくつもぶち抜いて聳え立つ書架、係留された戦艦。
だがリュカが何よりも興味を持ったのは、シャンバラⅦの格納庫で封印されていた一機のクルスタだった。
真空中にワイヤーやクレーンで固定されたそれは、装甲を完全に排除した状態で放置されていた。内部機構どころか所々骨格さえ剥き出しになっているが、見る者にとっては人型以外の何物でもない。
そう見えるのはやはり、未完成の頭部ユニットが人間の顔のような形をしているからだろう。光を宿したことのないガラスの眼球は、誰かによって目覚めさせられるのを待っているかのようだ。近寄ってみると、内部機構が透けて見えており、まるで本物の虹彩のようだった。
四肢のいたるところにスリット型のスラスターが設けられており、過剰なまでに機動性を重視した機体だということが分かる。その分固定武装やハードポイントを削っており、格闘戦のみを重視する極端な設計思想が見て取れた。
「それはね、ここで一機だけ造られたクルスタなんだ。なんて言ったかな……確か、ウルティオだったかな。あくまで型名だけど」
「僕が使って良いのか?」
「完成させられるならね」
「何故僕を助ける」
「面白そうだから。それ以外に理由なんて無いよ」
「…………」
「信用できない?」
「当たり前だ」
「そうだね。無償でこれだけのものが手に入るというのは、確かに君の立場にしてみれば胡散臭いか。……分かった、君が私を信用できないのは、これが契約として成立していないからだ。だから、一つだけ条件を付けよう」
「条件?」
「そう。私は君に、私の全てを提供する。財宝も知識も、そこのクルスタも……そして、私の持つスペルも」
カーリーが掌を開くと、ガラス片のような小さな光の壁が現れた。
「ドミナの社会に潜り込むのなら、スペルが必要になるはずだ。私の力は決して無駄にならないよ」
「だが、それは……」
「私のスペルは、もちろん盾を張ることも出来るけど、それを超えた力を持っている。自己の肉体と精神を切り離す力だ。私が五百年も生きてこられたのは、複製した肉体に自分の精神を流し込むことが出来たから。これを使えば、君の頭の中という特等席で、君の復讐を観ることが出来る。それが私の望み」
「条件はそれだけか」
「うん。心配しなくても、君が行うことを邪魔したりはしない。倫理がどうとか、合理性がどうのということも問題じゃない。私は観劇が出来ればそれでいい。さあ、どうする?」
リュカにその条件を容れない理由は無かった。
カーリーは額を触れ合わせ、肉体を乗り換える時にしてきたように、自らの意識とスペルを、リュカの頭に流し込んだ。
そして、七年後。リュカは一隻の船からのSOSを受け取っていた。
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