第12話 エドガーの蠢動
エドガー・ドートリッシュがヴェローナの社交界に現れてから、すでに二週間が過ぎている。シーズンの頭ということもあってドゥクス達が皆活気づく時期であるが、彼の名前はすでに名立たる大富豪たちよりも知られるようになっていた。
その理由の最たるものは、やはり彼の並外れた散財振りにあるだろう。例えばオペラ座の一件などがそうだ。
ヴェローナのオペラ座の桟敷は、常連のドゥクス達によってあらかた買い占められている。元々格式を重んじる世界なので、一度埋められてしまえばなかなか空くことは無い。そこをエドガーは、金に物を言わせて強引に買い取ってしまった。しかもただの席ではなく、総督であるサヴァスや中央星府の高官のために使われる劇場最上段の桟敷だ。ここに座ること自体が一つのステータスであり、社会的地位の可視化でもある。無論、官位も何もない一介のドゥクスであるエドガーが座るというのは前代未聞のことであった。伝統を重んじる場所に攻撃を仕掛けたのは、彼なりの宣戦布告の意図であったかもしれない。
当初多くのドゥクス達は、無名の青年貴族が自分と同じ階層に居座ることに不満を覚えたサヴァスが、早急に何等かの手を打つものと予測していた。ヴェローナという惑星、さらには西部宇宙全体を牛耳っている男なら、いくらでも恫喝のしようはあるのだから。
しかし、サヴァスは彼を咎めるどころか、オペラの休憩時間中に廊下で彼と談笑していたのだ。
サヴァスが態度を硬化させなかったことに関してはいくつかの理由がある。その最たるものが、エドガーによる合法的な贈賄であった。
サヴァス・ダウラントはヴェローナの総督であると同時に、複数の銀行や会社のオーナーでもある。彼の御用銀行に預金が預けられると、そのまま身内の会社に融資されるという具合だ。だが銀行はあくまで集金装置の一つに過ぎず、彼がウェイトを置いているのは若いころに立ち上げた運送会社の方である。そこを肥えさせることが彼の現在の地位に繋がっていた。
サヴァスの会社も株式によって運営されているが、エドガーが株を大量に購入した場合、乗っ取りの意志ありと判断され逆に警戒されたことだろう。だからこそ銀行に巨額の預金を入れるという回りくどい方法で、エドガーはサヴァスに対し恭順を示したのだ。
だが巨額の預金というのは、銀行にとって有難い一方で、爆弾としての側面も持っていた。サヴァスの銀行はほとんどドゥクス御用達の体裁をとっているため、融資額の上限がかなり高めに設定されている。銀行側としては利息を得るためにどんどん融資したいところだが、金庫のかさが浅くなった時にエドガーに金を引き出された場合、金を返せず信用を落とすか、最悪破産もあり得る。常識的に考えてそんな意地の悪いことはしないだろうという予測はあるし、利用規約にも融資額や引き出し額の上限は書いてあるのだが、信用第一と標榜している以上かなり慎重に取り扱う必要があった。
預金された金額は五十億リブラ。リブラは統一政府時代に使われていたドル通貨をそのまま置き換えたもので、一リブラあれば菓子パンが一つ買える。五十億もあれば戦艦が四隻建造でき、クルスタなら五十機。これで全財産のほんの一部というのだから、全部合わせたら戦争が出来るかもしれない。サヴァスにとっては歓迎すべきことだが、同時に脅威対象でもあった。胡散臭さが無いわけではないが、それでもその資金力は魅力的で、とても放置出来るようなものではない。故に、エドガーを掣肘してほしいという取り巻き立ちの願いも却下せざるを得なかったし、むしろ、古い取り巻きを一層して新しい血を入れることさえ考えたほどだ。
こういうわけで、フラストレーションをため込んだドミナたちにエドガー・ドートリッシュは大いに恨まれる結果となった。だが孤立したわけではなく、むしろ彼の敵対者たちのほうがそうした状況に転落していた。
彼らは自身の領土――字義通りの場所から、家庭まで――において絶大な権力を保持していたが、同時に誰からも愛され慕われることのない人々だった。退屈で、頑固で、見栄っ張りで、意地が悪い。そういう部分をとことん煮詰めていった人間だけが、この世である程度の権勢を誇れるのである。だが常に意地を張っていなければならないので、必然的に人は離れてしまうのだ。たとえば、妻や息子。
エドガー・ドートリッシュの支持者となったのは、まさにそのような人々であった。自分たちにとっては権威そのものである夫や父に、エドガーは痛烈な批判や皮肉を食らわせるのだ。普段泰然としている人々が顔を真っ赤にしている光景は非常に痛快なものであった。
散財はこればかりではない。日曜日にはヴェローナ大聖堂でのミサに赴いて多額の献金を行い、列席者どころか大司教までも驚かせた。とある貴婦人のサロンに呼ばれた際は、主催者が自慢げに掲げていた絵画を贋作と断じ、いきり立った夫人に理由を問われると、本物は自分が持っているからだと答えた。後日、夫人の元には本物のゴヤの絵が届けられたので彼女の態度は一変したという。
また、こんな出来事もあった。彼が移動している最中、プログラムに異常を起こした無人車が道路の真ん中で急停車するという事故に出会った。幸い負傷者は出なかったものの、混乱が他の車にまで伝播してしまい、大規模な渋滞が出来上がってしまった。
乗り込んでいたドゥクスは従者に修理を命じたものの、機械などいじったことのないセルヴィの従者には無理な話だった。そこへ、二人の従者を伴ったエドガーが現れたのである。彼は故障車のプログラムを解析し、一瞬で問題を解決してしまった。さらに従者の少年少女に他の車にも同様の処置を施すように命じて、渋滞そのものを解消したのである。この時のリュカは会食の予定を抱えており、この事故が原因でレストランでの待ち合わせに遅れたのだが、払わなくても良いと言われた罰金を潔く支払っている。その時の額は七五○○リブラだった。
こうして無尽蔵の富や知識を容赦なく見せつける一方で、エドガーはギャンブルの類には一切手を出さなかった。食事も質素を極め、飲酒に至っては勧められた時か、乾杯の時しかグラスを持とうとしなかった。そうすることによってただの俗物ではないという印象を持たれる一方で、さすがにこれは作為的であると見做す者も多かった。
皮肉なことに、真相は全く逆である。
エドガー、いや、リュカにとって金銀財宝はさほど重要なものではなかった。彼がそれらに価値を見出す時というのは、決まって復讐か、あるいはクルスタの整備に関する時だけであった。彼とて人並みの欲望は持っていたが、抱えている富の総額は、それこそ並みの欲望を持っている人間では持て余してしまうほどのものだったからだ。そんな自らの富に対する戸惑いを押し殺しつつ、彼はエドガーを演じていた。
一方、小食なのは完全に彼の体質に依拠している。彼の身体はすでに、少量の食事であっても十二分に満ち足りる方法を会得していた。それは単に脳を騙しているだけなのだが、白パンを一つでも食べればそれで満腹になったように錯覚してしまうのだ。彼が多く食べようとする時は、何か勝負事に出るという意思表示なのである。
飲酒を遠ざける理由は、彼がクルスタ乗りであることを考えればおのずから明らかであろう。上下感覚の存在しない宇宙空間で高速三次元戦闘を演じるマシンに乗るのだから、酒を飲んだまま乗り込んだのでは確実に振り回される。たとえグラスを取ったのが戦場より遥か遠い場所であっても、自らがクルスタ乗りであるという意識を持ち続けている限り、酒を飲もうという気にはなれない。
ギャンブルをしない理由は言うまでもない。彼がヴェローナの社交界に進出した時点で既に、命を賭けた勝負が始まっているのだから。今更金など賭けた所で、スリルなど得られるはずがないのだ。
エドガーはあえて粗野に振る舞っていることを除けば、ヴェローナのドゥクスたちの生活を、規模を拡大してやっているだけだった。抗うだけのプライドを持っているものは歯ぎしりをし、無いものは少しずつ頭を垂れすり寄っていく。
そして身内の中にも一人、そんな放蕩ぶりを快く思わない者がいた。
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