第11話 総督の憂鬱
エニアス・ダウラントは大股で、ずかずかと会場に入っていったが、誰も彼に目をやる者はいなかった。皆が皆、中央のダンスホールに目を向けている。数組のペアが踊っているが、その中でひときわ目立つ男女が人々の視線を独占していた。
「エルピス……誰と踊っているんだ……!」
嫉妬も露わに少年は呟いた。彼の家にはたびたび父親の取り巻きがやってくるが、あの青年は見たことがない。しかし、そんなどこの馬の骨とも知れない男に、父親がエルピスの手を取る権利を与えるわけがない。
「父上!」
彼は、取り巻き連中の中に彼の父親の姿を認め、人ごみをかき分けながら進んでいった。取り巻きたちは不愉快そうな表情を作るものの、相手がエニアスだと分かると、その表情を維持したままで通り道だけは作ってやった。
サヴァスの目の前まで来ると、舞踏会に呼んでくれなかったこと、わざわざ別の惑星に旅行に行かせてまで自分を遠ざけようとしたこと等々を捲し立てようとした。それによって、少しくらいは自分に関心を寄せてくれるかもしれないという期待があったからだ。だが、サヴァスがまず彼に与えたのは平手打ちだった。次いで、押しのけた人々に対して非礼を詫びろという命令だった。
「お前のような若造が来て良いところではない! 帰りなさい!」
「私は……!」
エニアスは十六歳である。社交界に出入りするにはまだ少し早いが、この時代にあっては十五歳から社交界に入る者もいる。だが、サヴァスは有無を言わさず彼を叩き出した。無論手ずからしたわけではないが、彼に命じられた者がやったので同じことだ。
迎賓館から文字通り押し出された彼は、気絶しそうなほどの憤懣と恥辱のために、ほとんど顔面蒼白といった有様だった。警備兵に両腕を掴まれて引き立てられていた時、扇で口元を隠した幾人かの令嬢に、密かな冷笑をぶつけられたことに彼は気づいていた。プライドが高いため、自分に対する侮辱には何よりも敏感に反応するのである。
「糞!」
エニアスは吐き捨て、電気鞭のスイッチを入れた。先ほど怖いもの知らずの怒声をぶつけてきた、無礼なセルヴィの少年を打擲してやろうと思ったからだ。ついでにあの小奇麗な顔をした少女も同じ目に合わせてやろう。連中の悲鳴を聞けば、少しは気分も晴れるかもしれない。
だが、結局二人は見つからなかった。エニアスの欲求不満は持ち越された。
エニアスが立ち去ってから二時間後、夜会はお開きとなった。大勢のドゥクス達が帰り際にサヴァスに挨拶をして去っていく。その傍らにはエルピスも立っており、幾人かの紳士が彼女の手の甲にキスをしていった。
リュカはサヴァスと握手をして、マヤとカイルの待つ車へと向かった。
マヤは二冊目を読み終えた所だった。待ちくたびれたカイルは眠りこけている。
「いかがでしたか?」
宿に戻る中途で、マヤが訪ねてきた。頬を突いて外を眺めていたリュカは、少しだけ視線を動かして、ああ、と気の抜けた返事をした。
(結構楽しんでいた癖に。この助平)
「奴に会ったよ」
カーリーの追求を無視して、さりげなく話題をすり替える。
「サヴァス・ダウラント総督ですね」
「昔ほど強圧的じゃなかったな。むしろ、鷹揚な感じがしたよ」
以前のサヴァスは、気に食わないことがあればすぐに鞭を持ち出す男だった。サヴァス・ダウラントはそういう人格を五十年近く持ち続けてきたのだ。それがたった七年で変わってしまうのだから、エルピスの影響がそれほど大きかったということか。あるいは本性を隠したままなのか。
後者は、ほとんど願望に近い。傲岸不遜な人間を懲らしめるのでなければ、復讐のやり甲斐が無いというものだ。ぬるま湯に浸かった相手を叩きのめすのでは、まるで弱い者いじめではないか。
リュカはマヤに向き直った。
「明日から、どんどん奴との距離を縮めていく。先方がこちらを無視できないようにな。忙しくなるぞ?」
「分かっています、リュカ。あなたの望むようにしてください」
少女は微かに目を伏せて言う。従順だが、果たしてそれが真意なのかはリュカには分からない。信じたいと思う一方で、拭いきれない不信感が彼の口を開かせていた。
「ン……それで良いんだな?」
そう訊くと、マヤは伏せていた目をリュカと合わせて、正面から彼の顔を見据えた。外の光が車内に差し込むたびに、彼女の顔を剣のような形に切り取り、その青い瞳を煌めかせる。
「その人たちも、わたしたちを苦しめた人々と同類です。殺す覚悟は出来ています」
彼が尋ねるとマヤはすかさず返してくる。その意志に嘘は無いだろう、とリュカは思うことにした。自分とマヤは相似的な存在であり、生み出された理由も共通のものだった。その理由から解放された今、自分たちに憎しみ以外の何が残るか、リュカは想像出来ない。
いずれにせよ、リュカはそれ以上追及出来なかった。彼女の本心は相変わらず有耶無耶のままだ。いや、自分が信頼しようとしていないだけかもしれない。そう思うと少しぞっとした。そんな内心の動揺を押し殺し、リュカは言う。
「それで良いんだな」
「はい。ところで、こいつも一緒に連れていくんですか?」
マヤは、隣の席で眠りこけているカイルを指さして言った。
「一応な。目を離すわけにもいかないし、貴種の世界を見せている間に、嫌でも俺たちに協力したくなるだろう。不満なのか?」
「……ぼろを出さないか心配です」
彼女が返事をするまでに、一拍の間があった。その微妙な間にカーリーが興味を持つ一方で、リュカは全く気付かなかった。
「その時はその時で考えるさ」
打つ手はいくらでもある、と付け加えた。
ヴェローナに侵入しサヴァスと接触出来た時点で、復讐の六割方は完成している。敵は自身が追われていることに気付いていない。万が一感づかれたとしても、こちらには全てをやり直しても余りあるだけの財力がある。問題は、自分に機を窺うだけの我慢強さがあるかどうかだ。
時計は午前一時を指している。総督府の公邸に戻ったエルピスは、彼女に割り当てられた部屋でぼんやりと椅子に座っていた。ドレスを脱ぎ、侍女に手伝ってもらいながら湯浴みを済ませ、何をするでもなくこうしているのだった。
日頃あまり動かないせいか、少し踊っただけでも足が重たくなる。それだけなら気にするほどでもないが、人が多いとプレッシャーが幾重にも掛かるから苦手なのだ。鈍い頭痛を感じて、エルピスはかぶりを振った。薬を飲んで、早く眠ってしまいたかった。
だが、彼女の立場はそれを許さない。
ドアを叩く音がした。私だ、というサヴァスの声が聞こえ、エルピスはすかさず「どうぞ」と返す。気だるげな足音が近づいてきて、着ていた礼服の上着を彼女に渡した。
「お疲れですか?」
「ああ」
サヴァスは深く溜息をついた。部外者はおろか、取り巻き立ちの前でも決して見せることのない重苦しい嘆息だった。宇宙広しといえど、サヴァス・ダウラントにこんな溜息をつかせられる人間は一人しかいないのだが、当の本人は全くそのことに気付いていない。
「エニアスにも困ったものだ。あんなずけずけと入ってきて、人を押しのけて……母がいないからと、ついつい甘やかして育ててきたが……今更矯正のしようなど無いのかもしれないな」
「エニアス様が来られていたのですか?」
上着をたたみながらエルピスはたずねた。
「すぐに追い出したよ。社交界は、あんな不作法ものが入ってきて良い場所ではない」
もう一度、サヴァスが溜息をつく。言葉は厳しく拒絶的だが、口調は息子を憐れんでいた。
エニアスの母、つまりサヴァスの妻は十五年前に死去している。彼女との結婚は、はっきり言って資産目当てのものだった。死んだときはさすがに憐れとも思ったが、エルピスと出会ってからは、やはり前妻に対する愛情が本物でなかったことを確信した。
そんな間柄だったにも関わらず、何故か息子に対する愛情だけは持ち続けてきた。ただ、三十半ばになるまで猟官に勤しんでいた男に子供の正しい育て方など分かるはずも無く、ひたすら物を与えるばかりで、対面して会話をすることさえ週にあるかないかという有様だった。
エニアスと積極的に会話をするようになったのは、彼が総督という地位に就任したこともあるが、何よりもエルピスの影響が大きかった。以前の彼にとって、会話とは駆け引きそのものだったが、彼女とするそれは、枯れ果てたと思われた彼の感受性と人情を再び呼び起こすものだった。
彼女の生まれはベラートルで、しかも生家はヴェローナの最下層区にある。とても高貴な身分とは言えず、正式に学問を受けたわけでもないが、言動の端々には豊かな知性が溢れている。身分制度は彼にとって第二の宗教とでもいうべきものだったが、彼女に入れ込み始めてからはどんどん教えから離れ、ついには背教者となってしまった。
エルピスを愛人のままで置いているのは、まだ正式に結婚を発表するのは時期尚早だと考えているからだ。彼女の占いは必中すると評判で、ヴェローナの若いドゥクスを中心に支持されており、そのまま彼女の支持母体となっているが、保守的な老人たちの間には偏見を抱いたままの者が多い。皆彼の地位に阿っているため正面からの批判は無いが、いつ掌を返されるかわかったものではない。
だがサヴァスは、たとえ敵にスキャンダルという隙を晒してでも彼女を手放すつもりはなかった。彼女を傍らに置いておくためならば、その程度の小細工はいくらでも叩き潰す覚悟がある。
サヴァスは話題を変えた。
「……それにしても、エドガー君はなかなか、いや非常に面白い青年だったな。彼が来ると、グラディスに伝えていなかったのか?」
「もうしわけありません。準備が忙しくて、忘れておりました」
「残念だな、話が合うと思うのだが……手練れの海賊を相手に、たった一人で蹴散らしてしまったという話じゃないか。東部宇宙と南部宇宙を巡って来たというのも嘘ではないだろう。男はああでなくてはな」
エルピスはコップに水を注いで彼に手渡した。ありがとう、と小さく礼を言って、サヴァスは中身を呷る。
「それで、エニアス様を御旅行へ?」
「ああ。何か学んで帰ってくるかと思えば、社交界に首を突っ込むために途中で切り上げて帰って来た。親の心、子知らずとは、よく言ったものだな……またハーブが入れてあるのか」
「お気に召しませんか?」
「いや、お前が身体に良いというのなら、そうなのだろう。そう思うことにしている」
「……閣下はわたくしを信じてくださるのですね」
「君の言葉を信じない人間は、ヴェローナの社交界にはいないだろうさ」
サヴァスの指が彼女の髪の間に差し込まれ、ゆっくりと梳いている。だが、その手の動きは淫らというより家族的な親しさを感じさせるものだった。それはある種の飢えの反動であろう。妻を愛せず、息子に愛される機会を逸した男にとって、自分は生きた慰めなのだ。
サヴァス・ダウラントが飢餓を覚えたことなど一度としてありはしない。それにも拘わらず、この男は常に言葉に飢えている。なまじ何もかも手に入るだけに、常に満たされていないと気が済まないのだ。それはもしかすると、空腹が満たされないことよりも不幸なことかもしれない。エルピスはそう思った。
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