第10話 夜会
軽やかなワルツが流れ、煌々と輝くシャンデリアが大広間を照らし出す。ホールでは華麗に着飾った人々がくるくると踊っている。そこにいる人々は、概ね年若いドゥクスばかりで、年配の者は壁際に寄って歓談している……というのが、例年の光景である。今年は違っていた。
踊っている若者もいるにはいるが、それはごく一部。相手役の女性の視線が一人の人間に集中し、彼女たちを捉まえるためにやってきた青年ドゥクスたちはやるせない表情のままワインを呷ったり、自棄になって男同士で踊ったりしている。
彼女たちの視線は壁際の一点に集中していた。そこでは年配のドゥクス達が歓談している。
もちろんただの世間話ばかりをしているわけではない。ちょっとした挨拶の中にも様々な駆け引きが存在しているのだ。知り合い同士ならより関係を親密にさせようとするし、初めて顔を合わせる相手であれば、その人物のステータスを余すところなく観察する。それは当然、観察される側もやっていることで、相互に観察しつつ自己の欠点を隠そうと躍起になっている。ある程度の老練さや慣れがなければ、出来ることではない。
それ故リュカ……エドガーのような青年がそこに混ざると、必然的に強烈な存在感を発するようになる。人が人を呼ぶ形で、次々と彼の周囲に集まり、彼を見定めようと声をかける。
エドガーは微笑を浮かべたまま、物腰柔らかに会話を捌いていく。緊張も惑乱も全く感じさせない世慣れた感じを相手に抱かせ、あまりにそつなく捌くものだから、蔑ろにされたと感じる者もいたほどだ。
基本的に、彼らの会話というのはポーカーに似ている。彼らの財力や地位を手札とすれば、それを隠したまま、いかに相手の手札を読むかという一種のゲームである。人生という名のテーブルがあり、シーズンごとに手札がシャッフルされ、この場で開帳しているというわけだ。
だが、ポーカーというゲームが成立するためには、易々とフルハウスやフォーカードが出ないという前提が無ければならない。もしカードが配られるたびに強い役が出てくるなら、同じテーブルに着く意味がない。強運の持ち主は、彼ら同士、ストレートフラッシュの柄がダイヤかエースかというレベルの話をしていればいい……そういう僻みも、無論ある。
それでも彼らの会話に混ざろうとするのは、やはりここで行われる会話がポーカーなどではなく、実利を伴ったものであるからだ。
「では、貴公は公職に就いておられないと?」
「ええ。一つ所に留まるのは、どうにもむず痒いものです。船があり、それなりの財産があり、クルスタがあれば、ドミナの人生は満たされると私は考えています」
「若さですなあ」
それは感嘆を装った嘲笑であったが、リュカは恥じ入りもしなければ怯みもしなかった。堂々と「無論、それが無ければ成り立ちません」とまで言ってのけた。そうした怖いもの知らずの態度が、彼の語る人生観により一層の説得力を与え、嘲笑したドゥクス達は何も言えなくなってしまった。彼の行動力を笑うには、自分たちはあまりに怠惰であると自覚しているからだ。
「皆様も一度、船とクルスタだけを携えて宇宙を旅してみるべきです。生命の存続を許さない絶対零度の世界……群がる海賊たち、誰かの助けなど求められない環境、そうした極限の状況の中でこそ、我らのスペルはより輝く。違いますか?」
(意地の悪いことを言う)
苦笑交じりのカーリーの声。家猫に、サバンナに出て行って狩りをしてこいと言うようなものだ。安穏と暮らすことに慣れてしまった者では絶対に実践できない生活だが、それこそドミナらしい生き方だという理想論を盾に取られると否定出来ない。彼の意見を否定することは、ドゥクスである自分たちが模範を示せていないと自白するようなものだからだ。
もちろんこの当てこすりが通用する相手は雑魚だけである。財力や権力によって本質的に自由を確保している人間からしてみれば、若造が可愛らしく吠えているだけにも見えるだろう。
現にサヴァスは全く不快感を抱いていなかった。それどころか朗らかに笑い声さえあげている。
「いや、羨ましい限りですなあ。私のような者に総督という大任が任されているのは名誉なことですが、時々一人の男であることを思い出すと、貴方のような冒険がしてみたくなります」
「……船乗りの旅が守られるのも、閣下の御威光の賜物です。私は自由ではありますが、他者に対して義務を果たしているかと問われると、恥ずかしながら黙るしかありません」
リュカとしては癪だが、ここでサヴァスの心情を損ねるわけにはいかない。しかし、サヴァスに「それこそ若い方の特権です」と言われるのは業腹だ。演技とは言え、どこまでもこの男を下から仰ぎ見なければならないのは屈辱である。
「若いうちに様々なことを経験されるべきです。現に私がそうでした。三十年前は、ここヴェローナの社交界でも全く見向きもされないような若造でしたが、それだけに無茶も出来ましたし、我武者羅に突っ走ることも出来た。無謀な投資をして、破産しかけたこともあります」
知っている、とリュカは胸中で呟いた。この七年間で対象の情報は徹底的に調べ抜いた。
ダウラント家は五百年前から連綿と続く名門であるが、サヴァス本人は次男であった。名門の次男というのは実に微妙な立ち位置で、生まれ育ちは恵まれているものの、社会的な注目度は次期頭首である長男には決して敵わない。社交界で注目されなければ、いかに名門の生まれといえど、存在しないのと同じである。
人生の非常に早い段階でそのことに気付いたサヴァスは、家族の庇護の下で安穏とした生活を送るという選択肢を捨て、家名に依らない名声を手に入れるため軍隊に入った。
幼年学校を卒業し士官となった彼は、事務職には就かず、最も過酷で危険と言われる恒星間警護隊に志願している。輸送船団を護衛し、宇宙海賊と正面を切って戦う部署だが、それだけに殉職者の数も抜きん出ている。最新鋭のクルスタを配備されるとはいえ危険であることに変わりはない。
サヴァスが実戦に参加した回数は十回程度だが、合計三機のバッカニアを仕留めている。海賊が使用しているクルスタ『バッカニア』は、作業用のクルスタに有り合わせの武装を施した機体の総称であり、兵器としてのカテゴライズすらされていない。それに当時の最新鋭機である『エクエス』をぶつけて、たった三機しか落とせていないのはリュカにしてみれば笑止といったところだが、戦果は戦果である。
だが、サヴァスがそこで得たのは戦果だけではない。任務の都合上、西部宇宙の様々な場所を巡ることで知識や人脈、情報を蓄え、その全てを引っ提げて社交界に殴り込みをかけた。
社交界にデビューしたのは二三歳の時。他のドゥクスが概ね十八歳で参加することを考えれば、かなり出遅れている。にも関わらず、軍を退職すると同時に立ち上げた運送会社を七年で軌道に乗せ、大小様々なニーズをしっかりと押さえることで加速度的に規模を拡大させた。元々名門ということもあって、立ち上げの時点から資本力、資金力は十二分に備えていたが、競争に打ち勝ってきたのは紛れも無く彼の実力である。
三十歳になるのと時を同じくして、彼の父親が死去。本来は兄が継ぐはずだった家督はサヴァスが受け継ぐこととなった。
そこからはとんとん拍子でキャリアを積み上げ、三五歳で中央星府議員に当選。二期の間は平の議員だったが、四三歳で海運大臣に就任。そして五一歳の時、西部宇宙総督に任命される。
大したものだ、とリュカは思う。まさに立志伝中の人物といったところだろう。
しかし、このキャリアには不自然な部分がある。中央星府議員に選出されるまでは西部宇宙から出たことの無かった男が、四三歳という若さで大臣職を任されるには人望とか実力という言葉だけでは説明がつかない。必ず票田が存在するはずだが、それは表には出ていない。
だが、彼だけはその秘密を知っているのだ。
「そんな境遇から一転、総督にまで登り詰めてしまえるほどの大博打に、閣下は勝利された。閣下が『例の事業』で大成功をおさめられたことは、遠く南部宇宙、東部宇宙にまで響いております」
自分の言葉に反応し、一瞬、サヴァスの目が見開かれたのをリュカは見逃さなかった。
「……それを御存じですか」
「ええ。有名ですので」
参りましたな、とサヴァスは苦笑交じりに呟き、軽く左手を振った。それだけで、人だかりが引き波のように崩れていく。一対一。対面した状態で二人は向き合った。
「何、私は施設を格安で買い取っただけで、特別革新的なことをしたわけではありません。そもそも、南部や東部宇宙では何十年も前から続いていることなので、私はその文化を輸入しただけなのです……貴方は、狩りに参加されたことはおありで?」
狩り、という単語が聞こえた瞬間、リュカは危うく手に持っていたグラスを取り落しそうになった。彼にとっての怒り、憎しみ、そして恐怖の全てが、その一語に集約されている。
「…………一度だけあります」
「ほう! それは結構なことで。で、いかがでしたか?」
「ここでお話するには、少々時間が足りません。夜会が終わるまで閣下を御引止めしても良いのなら、話せますが」
「それは困りますな!」
「ええ。ですからまた後日。ただ、感想を一言で言い表すなら、非常に刺激的な体験だった、というところですね。ところで」
リュカは一旦話題を転換させた。これ以上同じ話題を続けていたら、どこかで動揺を見抜かれるかもしれない。
「エルピス嬢のことですが、あれからお変わりはありませんでしたか?」
「ええ、泰然としています。ああ見えて胆の据わった女ですよ……ドートリッシュ卿は、七年前の話を御存知ですかな?」
「七年前……いいえ?」
「恥かしい話ですが、手違いであれをセルヴィの中に放り込んでしまったことがありましてね。古代の聖典に、預言者の青年がライオンの穴に放り込まれるも、神の加護によって生還したという話があります。それと同じですな」
「ライオンですか」
リュカは忍び笑いを漏らした。苦笑のようにも見えるそれの意味を察せる者は、カーリー以外に一人もいないように思われた。
「失礼。となると、彼女はよほどの強運持ちのようだ」
「今回の件で、さらに確信が深まりましたよ。それに、どこか予言者めいたところがありまして」
「……」
予言者か、とリュカは胸中で呟いた。そう言われればそうかもしれないと、思うところがあったのだ。
「成程、合点が行きました。彼女が自分で言うほど、他人から遠ざけられていないのも、その予言に依るところが大きいということなのですね?」
リュカは一旦視点をサヴァスから逸らして、エルピスを探した。彼女は別の場所で若いドゥクス達に取り囲まれている。ほとんどが女性で、今もエルピスが一人の少女に何事かを囁くと、言われた側の少女が顔を赤らめて俯いた。無論、険悪さとは全く無縁の空気である。
「本人は占いと言っておりますし、実際、その結果に縋ろうという人が、特に若い人の間では多いようですな。まあ、未来を覗くスペルなどさすがに存在しないでしょうから、あれはまた別の才能なのでしょう」
占い程度で社交界に地盤を築けるのだろうかという疑問が浮かんだ。占いなど、自らに自信のない者がすることだと思っているリュカにとっては、なかなか納得の出来ない光景だった。
(貴種と言ったってね、人間なんだからさ。そう不思議なことじゃないよ)
カーリーはそう言う。
「閣下はどうなのですか?」
「占いですか? はは、私の傍らに強運の持ち主がいてくれる、それだけで十分です」
「勝利の女神、というわけですか」
「そう言われると、少々気恥ずかしい気もしますが……」
「私もあやかりたいものです。しばし、彼女をお借りしてよろしいですか?」
「どうぞ。貴方にはその権利がある」
リュカはサヴァスの元を離れ、エルピスの方へと歩いて行った。グラスを預け、自然な足取りで若いドゥクス達の間に入っていく。
「失礼、一曲いかがですか?」
目の見えないエルピスをダンスに誘うリュカに、周りの人々は眉をひそめた。
「よろこんで」
だが、エルピスは断ることもせず、むしろ微笑を浮かべたまま彼の手を取って人垣の中から出ていった。
曲が始まると、彼女はリュカに全てをゆだねてきた。彼女の柔らかい掌を包み込み、柳腰を抱き寄せる。
最初のステップでいきなり大きく動くようなことはせず、彼女に無理をかけないようにゆったりと一歩目を踏んだ。目が見えないというハンデを感じさせないほどエルピスの動きはしなやかだった。何が彼女をして、ここまで自分を信用させているのか、リュカには分からなかった。分からなかったが、悪い気分ではなかった。むしろ官能と、全能感を覚えている。
復讐を決意したその日から常に感じていた苛立ちやむかつきが、まるで雪が溶けるように消え去っていく。彼の心の奥底に刻まれた、恐らく死ぬまで血を流し続ける部分が、この一時だけは完全に癒されていた。
鮮やかに動と静を繰り返し、そのたびにエルピスの白いドレスの裾がふわりとふくらんだ。胸元にある宝石をあしらったブローチに光が反射して、リュカの瞳を貫いた。
「……実は以前にも、貴女にお会いしたことがあります」
「まあ、どこで?」
「惑星プライアの大バザールで。すれ違っただけでしたが」
それを言った所で、何になるわけでもない。女々しいことだと自覚はしていた。エドガー・ドートリッシュなら、あるいはさらにもう一歩踏み込んで、エルピスを完全に手中に収めようとするかもしれない。それこそ万難を排してでも欲しい物は手に入れるだろう。だが、その実態であるリュカという青年には、そこまでの傲慢さやエゴは生じ得ない。
せいぜい、こうして一曲の相手を務める程度だ。
(だが、サヴァスを殺せば、どうなる……?)
殺して、それからエルピスを略奪するのか?
(それはもう復讐の領分じゃないな)
いくら怨敵の女とはいえ、そんな欲望は下種の極みだ。そういう自覚はあった。
腕の中にエルピスの体温を感じる。少し足取りを早くしたせいか、息遣いも激しくなっていた。それでも彼についてこようとする姿が健気に思えた。だが、ペースを落とす気にはなれない。
文字通り、この一曲の間だけ、リュカは彼女を導いていられる。それが終われば、彼女はまたサヴァスのものに戻ってしまう。
この全能感を手放したくなかった。手放さなければならないとすれば、終わる瞬間までにこの感覚に飽いてしまいたかった。到底無理なことと、自覚はしていたが。
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