第38話 決着
「その後は荒れたなぁ。今思い出しても、みっともないくらいだ」
唐突に掛けられた声にも、リュカは最早驚かなかった。
二人はヴェローナの最下層にあるあの店のカウンターで隣り合って座っていた。その時に着ていたくつろいだ服装で、目の前には二つのコップとウィスキーの入った瓶が置かれている。
周りには誰もいなかった。汚らしい居酒屋の光景があるだけで、人の気配は互いのもの以外に感じられない。しかし、状況に慣れたリュカにとっては特に気になるようなことではなかった。
「助けるために一生懸命になって、鬼畜めいたことまでやったっていうのに、何の甲斐もありゃあしなかった。そういうのが一番堪えるんだよ」
グラディスが杯を煽り、またなみなみと注ぎ足す。
「俺は馬鹿で無教養だからさ、他人の言うことをほいほい信じちまうんだ。例えば、貴種は人類の先駆けとして宇宙を切り開いていかなきゃならないって具合にな。ところが、現実の俺はそんな御大層な存在じゃない。倫理に反するようなことにまで手を出しても自分の家族さえろくに守れない、そんな男だって現実を突きつけられた時は辛かった。自分の器なんざ所詮そんな程度なんだ、ってな……」
リュカは何も言わなかったが、共感できることだな、と思った。いつだって男にとって一番辛い瞬間というのは、己の無力さを突き付けられた時なのだ。リュカにもそういう経験はあった。
「手も足も出ないことが悔しいというのは分かる。でも俺は、お前にそういう目に会わされたんだ」
「……そうだな」
「お前に勝てなかったことは、俺の未熟さが招いた結果だ。だから恨むも何もない。だが、それだけ悔やんでいるのなら、何故続けた。何故やめようとしなかった?」
リュカはコップに口をつけようとしたが、あまりのアルコールのきつさに顔をしかめた。こんな場所に来てもまだ飲めないということに、やはりジェラシーのようなものを感じる。一方、グラディスは水でも飲むような気楽さで簡単にコップを空にしていくが、瓶の中身は尽きる様子が無い。
「怒られるかもしれんがな、開き直っていたのだと思う。一度手を染めてしまったら、その事実が揺らぐことは無い。だから、いっそ鬼になってしまおうと思ったんだ」
「鬼になってどうなる。過ちを積み重ねるだけだろう」
「そうさ。だが俺がその役目を引き受けている限り、他の連中にお鉢が回ってくることは無い。それが俺に出来るせめてものことだったんだ。それに、俺が前に出て戦えば、事故に装ってコクピットごとぶっ飛ばすってことも出来るからな。身体を残したままなんていうのは、あまりに酷い。それが防げるのは俺だけだから、業も何もかもまとめて背負い込むつもりだった」
「……」
「だがもしかすると、本心じゃお前みたいな奴が来てくれるのを待っていたのかもしれない。俺の愚行に歯止めをかけてくれる奴が現れるんじゃないかって。実際、それは正しかったわけだ」
その時グラディスが浮かべた表情が、微笑なのか苦笑なのかリュカには分からなかった。本心からそう思っているようでもあり、逆に、そうでないようにも見える。しかし、人の心は一方向を向いていることの方が少ないのだ。いつだって人間の胸中は混沌としていることくらいリュカも知っていた。だからこそ誤解し、話し合っても分かり合えず、憎み争い続ける。言葉の不自由さを理解するということは、他者に対して優しくなれることと同義なのだ。恐らくはグラディスが創り出したのであろうこの空間でも、相変わらず自分たちは本心を分かち合うことが出来ずにいるが、リュカはもうグラディスを憎んではいなかった。
「そして、今度は俺が業を背負い込むわけか」
「当然だ。お前は復讐を実現したんだからな。嫌か?」
「そうじゃないさ。この後は捕まって撃ち殺される予定だ。もしそうならなかったとしても、いつか絶対に裁かれる」
「嫌じゃあないのか?」
「嫌も何もないよ」
自分は自分が正しいと思うことをした。その結果がどうなろうと後悔はしないつもりだった。現に、サヴァスたちを殺したことについては全く後悔してはいない。正義であったとすら思う。彼らが倫理を無視していたことは明らかであるし、彼らの住む社会のルールでいくら正当化されたところで、受け入れられるはずがない。これはいつか行われるべきことであり、その役目を偶然自分が果たしただけなのだと、リュカは思っていた。その思考は、ある意味グラディスのそれとよく似ている。
「最初から、復讐なんて俺にとってはほとんどどうでも良いことだったんだ。いや、どうでも良いって言い方はおかしい……気付いていなかったというべきかな」
リュカはまた口ごもった。
「……」
「復讐なんてただの建前、俺が本当に望んでいたのはそんなことじゃない。でも、一体何がその望みなのかも分からない。自分が何をしたいのか、何が欲しいのか。どこへ行きたいのか、どこへ帰りたいのか。今になってもその答えが見つからないんだ」
「そりゃあ、そうだろうな」
グラディスがこともなげに言ってのけた。自分で青臭いことを言ったという自覚がある分、リュカは少し噛みつくような口調で「何故そう言える」と返した。
「お前にはずっと、貴種らしい生き方をするという目標があったのだろう? なら、俺みたいに迷うことは無かったはずだ」
「そんなことはないさ。俺もいつだって、自分の在り方に疑問を持ち続けてきた。もちろん貴種らしい貴種として在りたいという目標はあったが、その目標だって仮初のものさ。人間は、自分が本当に望んでいることを知ることは出来ない。だからその靄の上に、別の何かをかぶせてそれが真実だと信じたがるんだ。誰だってそうさ」
「ならどうすれば良い」
「さあ、俺に聞かないでくれ。そこからはお前の問題なんだからな」
ただ、とグラディスは続ける。
「自分がどこに行くのか、それを恐れちゃいけない。自分の本当の望み、本当の姿がたとえわからなかったとしても、それを求める旅を楽しむべきだ。俺も、お前もな」
「そんな行き当たりばったりで、どうにかなるものなのか?」
「なるさ。少なくとも、俺はそれに辿り着けたよ」
呆然とするリュカを差し置いて、グラディスは席を立った。
扉を開ける。外は暗闇だった。
「俺に殺されることが、あんたの望みだったって言うのか!」
踏み出す直前でグラディスは足を止める。彼は振り返らない。
「そうだな。もう楽になりたい。そっちに未練なんて一つも残っちゃいないからな」
グラディスは敷居をまたいだ。そのまま、一歩一歩踏みしめながら歩いていく。後ろ姿が見えなくなるまでにさほど時間はかからなかった。
リュカは手元のコップに視線を落とす。そして、頭のなかを巡るグラディスの言葉とともに、それを一息に飲み干した。アルコールの刺激が舌を激しく打ち、喉が炎を飲み込んだかのように焼け焦げている。吐き出しそうになるのを堪えて、リュカは口腔の中に溜まっていたそれを舌で掻き集めて飲み下した。
やがて感覚の麻痺が収まって味覚が戻ってくると、酒の味は鉄錆の味に変わっていた。彼自身が吐いた血の味だった。見慣れたコクピット、そして目の前には動きを止めたカタフラクトの姿があり、ガランサスの右腕から伸びた光が、そのコクピットを真っ直ぐ貫いていた。
「……グラディス」
ビームの発振を停止させる。光の槍は消失したが、カタフラクトのコクピットハッチには黒い穴が一つ出来ていた。そこから炎が噴き出し、傷だらけだったカタフラクトの装甲に大きな亀裂がいくつも走った。そして、末期の痙攣に震えたカタフラクトはそのままジェネレーターを暴走させ、爆発した。
爆炎に飲み込まれる寸前、リュカは自分の討ったカタフラクトが、まるで磔刑に処されているかのように両腕を広げていたことに気付いた。それは何かを守るための姿勢であり、同時に受け止めるための姿勢でもあるのだ。だがそれよりも彼の意識を奪ったのは、脳に直接響いてきた、ノイズ混じりの言葉だった。
(疲れた時、戻れる場所のある奴は幸せだ。頼れる人が居ればなお良い。なあリュカ、あんたに家族はいるのか? 俺にはもう、無い)
そして、グラディス・ラフラの声は永久に聞こえなくなった。
流されるままになっていたガランサスが、デブリの一つにぶつかってようやく動きをとめる。仰向きになったまま宇宙に相対している機体のなかで、リュカは一人、拳を己の額に打ち付けていた。
「畜生、今さらどうしろって言うんだ! 俺だって捨てちまったよ、畜生!」
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