第5話 惑星ヴェローナ

 まだ人類が地球にしがみついていた頃から、広大な宇宙をどのように旅するかという課題は常に思考されてきたことだった。時代が進むにつれて超光速通信、重力制御、ワープゲート開通という技術は次々と考案、実現されていったが、それらを連動させたシステムが完成したのは二三世紀の初頭である。

 人工重力制御装置を用いて、宇宙空間に充満する無数の微細粒子をブラックホールへと誘導する機械群、それがスターストリームである。周囲の質量を食い続けているブラックホールは、飲み込むと同時に巨大なエネルギーを吐き出している。それを人工降着円盤によってキャッチし、ワープするためのエネルギー源として転用するのだ。このシステムの確立によって宇宙開拓への情熱は一気に燃え上がり、わずか一世紀の間に人類は巨大な版図を形成するに至った。

 ドミナによる帝国、EHS(EMPIRE OF HONORABLE SEED)の中心である惑星インフェリオルは四本の巨大なスターストリームの源流でもある。それぞれが東西南北の各領域へと伸びており、その領域の州都と結ばれているのだ。

 ヴェローナは西部宇宙の州都であり、銀河第二の星と称される。西部宇宙の領域が他の領域よりも広いため、必然的に莫大な富が集中する。その総計は全銀河のおよそ五分の二と言われており、インフェリオルを除けば最も華やかな社交の舞台ともなるのだ。

『エレクトラ』をヴェローナの宇宙港に係留し、一行はオービタル・リング内部の入港管理局に向かった。ヴェローナの上空をぐるりと取り囲むオービタル・リングは巨大な宇宙港としての機能を兼ねており、輸送船や客船から軍艦まで様々な船が係留、整備されている。

 地上と直接つながっているのは三基の軌道エレベーターのみであり、その入り口に設けられた入港管理局で査証の確認を取られるのだ。そこでさっさと身分証明を済ませ、ドミナであることを確認するスペル・ディテクターを通過する。スペルを持つ者のみが発する特殊な脳波を読み取る機械だが、警報は鳴らなかった。

(ちょっとドキドキした?)

「まさか」

 カーリーを伴っているため、スペル・ディテクターに引っかかる気がかりはない。だが、それ以外にも面倒な手続きは色々あるのだ。

 例えば、EHSの各惑星では入港税と呼ばれる税金が発生し、入港する船舶のサイズが大きいほど高い税金を徴収される。これは統一政府時代から既に設定されていた制度であるが、面白いのは、統一政府時代の富裕階層、つまり資本家たちがこれを渋ったのに対して、巨大な個人船舶を所有するドゥクス達は進んで税金を納める傾向があることだ。

 このことに関して、以前二人で話し合ったことがあった。

「統一政府時代の富裕層は、どこまでもブルジョワ的な人々だった。つまりは市民だったんだ。でも逆に言えば、高みには行けても頂点にはたどり着けない階級ってことだよね?その点、ドゥクス階級の人たちはある種のノブレス・オブリージュを根幹に抱えている。自分たちが社会の最高位にいるって自覚があるから、そういう余裕も持てるんだ」

「傲慢だな」

「じゃ、民主主義と資本主義の方が良かった?」

「民主主義はよくわからんが、お前曰く今だって資本主義は残っているのだろ? それは本質的に搾取を生み出す体系だと、ずいぶん長い講釈を垂れてくれたじゃないか。俺は嫌だよ」

「君はもう奪われる側に立ちたくないだろうからね」

「当然だ……だが、意識しなくても人は人から収奪している、とも言っていたな?」

「そればっかりは、どうしようもないからね」

「お前はどっちが良いと思う?」

「幽霊の私にはどうでもいいことだね。ただ……」

 そこで一旦、カーリーは口を止めた。目線をリュカから逸らし、虚空を見つめながらつぶやいた。

「そう、人間の本質は略奪だよ。それまで奪う側だった者が、立場を逆転された時ほど見苦しいものはない。眼前の敵から目を逸らして、まだ自分が略奪出来る弱者を探し始めるんだ……そうだね、私だってもう、奪われる側に立ちたくはないな」

 カーリーの肉体は作り物であるが故に温かみを感じさせない。従って、表情にはいつも嘘っぽさが付きまとっていたが、この時だけは違った。心の奥底に澱んでいた諦観を掴みだして、リュカの前で晒して見せたのだ。飄々とし、常に傍観者でいることを望んでいる彼女が、そうした感情を露わにするのは非常に珍しいことだった。だから今でも、ふとしたきっかけで彼女のそんな表情を思い出すことがあるのだ。

 リュカは手続きを済ませた。比較的速やかに終わってくれたが、セルヴィとして扱われるマヤとカイルは別のゲートから入らなければならないため、三十分ほどエレベーターの前で待たなければならなかった。こういう所で、何もかもが特権階級の面通りにいかないところに、行政の健全さを感じさせる。

 何気なく人ごみを眺めているだけでも、様々な発見がある。人種の交合が進んだ現在でも、住む場所によって習慣や文化は異なり、当然衣服や素振りにも差異が現れる。東部宇宙出身の人間には、地球時代の東南アジアに当たる場所に住んでいた人間が多いらしく、その文化を宇宙にまで持ち込んでいた。モンゴロイドの特徴もまだ随所に残っており、顔を見ればどこの出身者か大体分かる。

 そういえばマヤもモンゴロイドがベースだったな、と思っていると、私物入りのトランクを持った二人が並んで歩いてくるのが見えた。マヤは彼女自身の、カイルは彼自身とリュカのトランクを一つずつ持っていた。

 ここまで来るのにおよそ一時間、ずっと一緒にいたのだろうが、お世辞にも仲睦まじいと表現出来る有様ではなかった。

「こんな下品な男は大嫌いです」

 再度マヤと顔を合わせた時の、それが第一声だった。

「お前、何かしたのか」

「いや、尻を触ったくらいだけど?」

 あっけらかんとした表情で言うカイルに、さすがのリュカも唖然とした。次いで、あまりのくだらなさと幼稚さに笑いを止められなくなった。

「わ、笑わないでください、リュ……エド!」

「いや、悪い。お前も自重しろよ、カイル」

「へいへい」

 マヤは、注意されながらも全く悪びれないカイルを睨みながら、二歩三歩と後ずさってリュカの後ろに隠れた。エレベーターに乗り込んでからもその位置を変えず、警戒する子犬のようにカイルの手の届く範囲から逃れ続けた。

 そんな子供っぽい態度がかえって可愛らしく見えてしまう。彼女は本心からこういう態度をとっているのだろうが、それが逆効果だと気付いていないあたり、男慣れしていないことを如実に示している。もう少しからかってみたかったが、やり過ぎると撃たれるかもしれないので自重した。代わりに、カイルはマヤが答えてくれなかった疑問をリュカに問いかけてみた。

「俺とマヤの関係?」

「御主人様と召使って感じには見えないし、囲ってるってわけでもないんだろ?」

「そうだな……」

 言われて初めて気付いたが、リュカは自分とマヤの関係がどのようなものか、考えたこともなかった。

 四年前、南部宇宙の惑星プライアでドミナの人買いから買い取ったのがきっかけだった。その人買いはマヤと同年代の「在庫」を何十人と抱えていたが、リュカはその全員を買い取ったうえである程度の身銭を持たせて解放した。大半はセルヴィの親から捨てられたような子供たちだったので、貧民ばかりの街でも生きていけるバイタリティを持っていた。なかにはドミナに仕えたいと申し出た子もいたので、なるべくまともな感性を持った者の所に行かせた。

 彼らはリュカに感謝したが、元より彼はそんなものを欲していなかった。ひねくれ者のある少年が「こんなのは偽善だ!」と彼を罵ったが、リュカは鼻を鳴らして追い出した。もとより、偽善の元になる善意さえありはしない。彼らを買い取ったのは、その境遇が彼の不愉快な記憶を呼び覚ますためであった。現に手放してからは完全に連絡を絶っている。どこかで第二のリュカが生まれているかもしれないが、そんな報告は聞きたくもない。

 ただ、マヤだけは手元に残した。彼女は特別だったし、彼女の生い立ちでは、ドミナの世界であろうがセルヴィの世界であろうが、生きていくのは難しいとリュカは確信していた。リュカを恐れて部屋から出てこなかった彼女に、悪意は無いこと、カーリーという協力者の存在、それらを信じさせるのは非常に骨の折れる仕事だった。

 それから四年、マヤは常にリュカに付き従っている。彼女は何も言わない。不平不満など一切表に出さず、我儘も言わず、時々親愛の情を込めて微笑を浮かべる。そんなあやふやで透明な関係。いざそれに名前を付けろと言われたら、どう答えて良いかわからなかった。

「……分からん」

「何だよ、それ」

 カイルの呆れ声にリュカは反論しなかった。

 そうこうするうちにもエレベーターは地表へ近づいていく。眼下に巨大な街並みが出現し、それに気を取られたカイルは話の内容も忘れて風景に見入ってしまった。彼を警戒し続けていたマヤも、この時ばかりは同じように窓から下の風景に視線を移していた。

 天を突くような高層建築群がエレベーターの周囲を囲むようにして立ち並んでいる。まるで城の本丸を守る尖塔のようだった。それらの高層建築群は無数のブリッジによってつながれており、無人の自動車がひっきりなしに行き来している。華やかな大通りや市場も見え、それだけでこのヴェローナがどれほど栄えているか理解することが出来た。

 一方、セルヴィたちの住む貧困街は、これらの高層建築群の足元に並んでいるのだ。おそらく満足に太陽光さえ降り注いでこないだろう。上からでは絶対に見えない、覆い隠されたもう一つの街がそこにはある。

 これまで宇宙で過ごしてきたカイルにとって、初めて降り立つ「地上」であった。空は水色をしているという話を聞いたことはあったが、実際に目にするとその広大さや色彩に戸惑わずにはいられない。宇宙の暗黒を目にして育ってきた彼は、大気などただの空気の膜に過ぎないという優越感を持っていたが、一人の人間にとっては空も宇宙も広大であることに違いはないと思い知らされた。

 それでも宇宙のように吸い込まれてしまうという恐怖は無い。むしろ、空というものが自分と宇宙とを隔て、守ってくれているように思える。そう感じるのは、やはり地上の本物の重力が、人工重力とは違った安心感を与えてくれるからだろう。コロニーや宇宙船の中で人間は完全に機械に依存しているため、どこかで不具合が起こると大惨事を引き起こす可能性がある。無論、そうした重要な箇所は厳重に管理されているため不具合が起きる可能性は非常に低い。とはいえ、そのプレッシャーを完全に忘却することは出来ないのだ。

 だが、地上ではそんな強迫観念にとらわれる必要がない。空気があり、重力があるというただ当たり前のことが、まるで母胎の中にいるかのような安心感を与えてくれる。その事実がカイルには新鮮だった。

 エレベーターから降り、一台の無人車を捉まえてホテルに向かう。その道中の光景もカイルにとっては全く見慣れないものだった。建築物はどれもビル型の建物だが、デザインはアール・デコを基軸とし、表面には人工大理石を多用している。白い壁面が太陽の光を反射していた。バルーンや旗が頭上を覆い、綺麗に剪定された街路樹が一定の間隔で立ち並んでいる。その下には品種改良された花が植えられているが、見た限り、枯れているものは一本もなかった。

 歩道を歩いている人々も皆瀟洒な衣服に身を包んでいる。カイルの目の前に座っている男ほどではないが、彼らの靴の片方だけでも、カイルの持っている衣服をすべて合わせたより高い値段がつくに違いない。誰もが余裕を持った雰囲気で往来し、ある者はカフェへ、またある者はガラス張りの店へ入っていく。人々が生活しているのだから、当然皆好き勝手に行動していたが、誰もがゆとりを感じさせるという点だけは共通していた。

「凄いな……」

「こういう所に来たのは初めてか?」

「ああ、俺の住んでたコロニーは貧しいから……」

 主に生産業に従事させられるセルヴィは資源採掘惑星や食料生産コロニーで一生涯を労働に費やす。カイルには父親の記憶がなかったが、おそらく、そういう生活を強いられた者の一人であったことは想像に難くない。物心ついたころから海賊の一員として小惑星帯の老朽コロニーで過ごしてきた彼にとって、このような場所はあまりにも場違いという感じがしたし、現実と乖離しているような気がしてならなかった。

 移動した時間はわずかに五分程度だったが、それだけでカイルの脳はパンクしかけていた。彼の生活していた場所とこうまでかけ離れた所に連れてこられては、無理からぬことである。

 なので、リュカが全く気後れせずに豪奢なホテルに入った時も、彼だけは躊躇して門前で立ち止まってしまった。「ぼやぼやしないで」というマヤの叱咤を受けて、恐る恐る中に入ったが、目の前に現れた光景に再び茫然となった。

 本物の大理石を使った列柱が神殿のように立ち並んでいる。無論さほどの規模ではないが、細部には人の手になる彫刻が施されていた。また、ある程度こじんまりしているということは、けばけばしくないということでもある。

 華美な装飾や置物ばかりだが、不思議とどれも嫌味な感じがしない。彫像からペン一本に至るまで全てが完璧な調和の元統一されている。適当に高級品だけを買い揃えるような成金趣味の持ち主なら、こうは出来ないだろう。

「エドガー・ドートリッシュだ」

「お待ちしておりました。こちらの記帳にサインを」

 初老のホテルマンに促され、リュカはペンを執った。三歩下がった所でマヤと並んで立っていたカイルは、リュカの筆跡が思った以上に整っていたことに驚いた。数時間前に初めて会った時はかなりフランクな格好をしていたため、第一印象もそういう具合で固定されていたのだ。当然筆致も汚いだろうと勝手に思い込んでいたが、ますますこのリュカという男が分からなくなった。

「結構です。御部屋は五○七号室を御用意しました」

「ありがとう。それと、私の使用人の部屋だが、二部屋に変更して欲しい」

「かしこまりました」

「手間をかけてすまない」

 さりげなくチップを置くと、交換するように三枚のカードキーが渡された。本来ならあるはずの滞在期間のやり取りがないことに驚きつつも、手招きするリュカの後ろについていくカイル。

 エレベーターで五階まで昇り、割り当てられた部屋に入る。カイルもある程度覚悟はしていたが、やはり口が半開きになってしまった。

 ホテルの一室とは思えないほど広い空間が、真紅の生地と刺繍によって作られたソファやカーテン、クッション等によって紅く彩られている。煌びやかだが下品に見えないのは、壁紙や床を白で統一しているからだろう。また、本棚や椅子、机はマホガニーを多用しており、部屋の色彩を整える上で一役買っている。天井からは小さなシャンデリアが吊るされ、温かな光を降らせることによって、紅という色がどうしても発してしまう落ち着かなさを相殺していた。

 壁には小型のワインセラーまで供えられ、そのすぐ横にはグラスを収めたケースが置かれていた。なかにある品々にはどれも精緻な細工が施されており、もし一つでも割ったらどうなるのだろうという貧乏人の心配事をカイルに抱かせた。

 そしてなにより、部屋の隅に置かれながら堂々たる存在感を発しているグランドピアノ。これが同じ階にある部屋の分だけ置かれているのだから、いよいよ驚きを通り越して馬鹿々々しくなってくる。

 寝室は隣の部屋にあり、こちらはさすがにリビングよりも落ち着いた色調でまとまっていた。巨大なベッドが部屋の約半分の面積を占領しており、見るからに柔らかそうな枕や布団が完璧な状態で整えられている。開放感がないかというとそうではなく、横引きのガラス戸を隔てた外はバルコニーになっていた。

 さらに浴室やトイレまでも機能性と見栄えの良さを両立させている。これだけのものがすべて、リュカの借りたスペースに詰まっているのだ。カイルはただ茫然となった。

「やっぱここは別の宇宙だな」

「何馬鹿なこと言ってるの」

 マヤの冷ややかな嘲弄を受け流しつつ、カイルはトランクを持ち上げた。

「このトランクは?」

「俺のやつだけ置いて行ってくれ。一応、そっちにも一通りの生活必需品は入れてあるが、足りなかったら自分で買ってこい。ある程度の金も入れてある」

「あ、ああ……で、結局あんたのペースじゃねえか」

「安心しろよ、何もさせるつもりはないさ。ただ、俺の船に一人で放っておくわけにもいかないし、かと言って貴種共の中に放り出されるのも御免だろ?」

「そりゃ……」

「なら、観光兼社会学習と思ってついて来れば良い。まずは昼飯だな」

 釈然としなかったが、リュカの言う通り自分だけでどうにか出来る状況でもない。カイルは腹を括った。

「十五分後にロビーで集合。トランクを置いて、最低限の荷物だけ持ってくること」

「はい、リュカ」

「…………」

 二人が出て行ってから、リュカはソファに座り首のタイを少しだけ緩めた。ドゥクスの振りをするようになってから気付いたことだが、彼はネクタイを着けるのが嫌いなのだ。もちろんそれは大多数の男が感じていることだろうが、彼の場合ほとんど嫌悪感に近いものがある。その理由が何かと問われれば、単に煩わしいだけとしか答えられないのだが。しかし、他者になることを望むのならば、この程度の矯正は受け入れなければならない。

(そういう迂遠さを見ていると、君たちはつくづく不便だと同情するよ)

「全くだ。サヴァス・ダウラントが下町の人間だったら、こういう風に化ける必要もなかったのにな」

(でも、それだとやり甲斐もないでしょ?)

「何がやり甲斐だ、派手な見世物が見たいだけだろう」

(そりゃあ、こんなに面白い見世物はないもの。私は君のスポンサーだよ? 五百年の退屈を吹き飛ばすような、爽快なやつを見せてほしいのさ)

「悪魔め」

 そう罵ったが、リュカは別段不快そうな表情ではなかった。自分の頭の中に住んでいる者など、もはや他人とは言えない。カーリーの声はほとんど自身の声なのだ。

(ところで、私の身体はいつ届くかな)

「調度貨物室から運び出された頃だろ。昼飯に行って、戻ってきたら届いているかもな」

(検問対策は?)

「完璧」

(なら大丈夫か。箱を開けたら裸の女が入ってました、なんてことになったら、復讐どころじゃないからね)

「……行くか」

 そう呟くと、リュカはもう一度ネクタイを締め直した。

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