第15話 怒りと現実
非常階段の警告文など歯牙にもかけず、カイルは柵を乗り越え三段飛ばしで降りて行く。マヤも追いすがってはいるが、動きの切れと大胆さには敵わず見る間に距離が開いていく。もし彼女が紙袋を投げ捨てる決心をつけず、階段の踊り場から飛び降りていなければ、カイルが衛兵に殴りかかるのを止められなかっただろう。
飛び出しかけた彼の襟をつかみ引き倒す。前に意識が向いていたことと、意外に強い力のためにカイルはあっさりと尻もちをついた。
第二階層と第三階層を中継するパイプが何本も立ち並んでいる。それぞれ微妙に間隔が開いているのは、侵入者の隠れられる場所を潰すためである。現に、侵入しようとした人間たちが全身から血を流して倒れていた。誰もぴくりとも動かず、すでに絶命しているのは一目瞭然である。遺体は全部で十、老若男女入り混じっていた。
だがカイルを激昂させたのは、無論眼前で行われた虐殺のこともあるが、それ以上に衛兵たちが嬉々として遺物を漁っている光景のためであった。
マヤはカイルに「馬鹿」と言おうとしたが、それより先に衛兵たちの持っていた小銃が一斉に二人に向けられていた。即座に射殺されなかったのは、二人の着ていたスーツの効用に他ならない。仕立と言い生地と言い、明らかに下層から上がって来た者の格好と異なっている。
だが、それならそれで、何故こんな所にいるのかという話になる。今にも飛びかかりそうなカイルを必死に押さえつけながら、マヤは理由をひねり出そうとしていた。
「貴様ら、ここで何をしている!」
銃口が突き付けられる。カイルもこれ以上抑えられない。双方を黙らせ、かつ衛兵たちを納得させる理由を作らなければならない。
カイルが身体を緊張させる。怯んでいるのではなく、掴みかかって撃たせないつもりなのだ。マヤは決心した。
押さえつけていた肩から手を放し、ぐいと彼の顔を引き寄せ、唇を頬に押し付けた。
居合わせた全員が茫然となった。風がパイプとパイプの間を通り抜けていく音しか聞こえない。激昂していたカイルでさえ、彼女のとった大胆な行動に翻弄され、感情を鎮火させられた。
「わ、わたしたち恋人同士なんです!」
「なっ……」
動揺するカイルにしなだれかかり、唇を吊り上げる。もしここがパイプの影でなければ、彼女の顔が青ざめていることもばれていただろう。声も少し震えていて、完全になり切ることは出来ていなかったが、かえって状況に見合っていた。
マヤの行動に呆気にとられていた隊長は、果たして彼女の意図した通りの誤読をしてくれた。周りの兵士たちも下品な笑い声を漏らしている。
「動かないで。座っていて」
小さく耳打ちしてからマヤは立ち上がった。
「ごめんなさい、まさかこんなことになるなんて思わなかったから……」
心持ち胸を張りながら隊長にすり寄る。グリップを握っている手に両手を重ね、その中に丸めた百リブラ紙幣を三枚押し込んだ。
「これで、見なかったことにしてくださる?」
「……良いだろう、さっさと行け」
数秒間マヤの手をもみしだいてから、隊長は号令をかけて死体処理の仕事に戻った。
「行きましょう」
「…………」
突き刺さる好奇や軽蔑の、財布があった指輪があったという声が、カイルをみじめな気持ちにさせる。だが何より堪えたのは、マヤにあんな行動をとらせてしまったことに対する自責の念だった。
「……ごめん」
「頬はノーカウントよ」
「でも!」
「あなたの怒りは間違っていない。でも、無鉄砲なことばかりしていると、すぐに死んでしまうわ」
言葉も無かった。
「行きましょう」
もう一度マヤが言った。今度は「ああ」と返事をして歩き出した。
(格好悪ィ……)
衝動的に飛び出して、窮地に立たされて、あろうことか女の子が身体を張ってまで機転を利かせてくれたのだ。その間自分が何をしていたかというと、ただただ青臭い怒りに囚われていただけだった。
マヤは、こういう時に声を荒げるような少女ではなかった。それにカイルの怒りについても共感を抱いてくれていることが分かる。そのことが、逆にカイルには堪えるのだった。
階段を登る間も、気まずい沈黙は続いた。登り切って第二階層の外延部にたどり着くと、人々が平和な日常を享受している光景に出くわす。ここからほんの百メートルほど離れたところで十人もの人が死んだというのに、だ。
第二階層に住んでいる人々の大半はドミナであるが、中にはセルヴィも幾分か混じっている。目の前を通り過ぎていく人々の中にもいることだろう。にもかかわらず、誰も何の反応も見せようとしない。それはあまりに薄情じゃないか、とカイルは思った。
さっきの兵士たちにしてもそうだ。おそらく全員がセルヴィだろう。いくら体制側に立っているとはいえ、兵卒の安月給では到底やっていけないから、折を見つけては略奪めいたことを繰り返すのだ。どうせ牧場主に飼われているのなら、羊であるより犬でいたい、そうすれば脂身や骨付き肉ぐらいは机の上から降ってくる……そういう心理があるのだろう。恐らく、他の部署にもそのような考え方をする者が大勢務めているに違いない。
一方、あの侵入者達のように危険を冒してまで街を出ようとする人々もいる。地上の住処を失った彼らが行ける場所は、宇宙しかない。もちろん、ドミナとしては地上における労働力を確保したいので、最下層からの離脱を容易に許さないのだ。
この都市は窮屈だ。カイルは喉元のボタンを外した。
「釈然としない顔ね」
先に登り終えていたマヤが振り返る。
「そりゃ……そうだろ。この街はおかしいよ。貴種が造った街の中で劣種同士で傷つけあって、他の奴も見ないふりをしている」
「この街だけじゃない、どこでだって、こんな風になっているわ。それがEHSという国、わたしたちの生きる世界なのよ」
「……なあ、マヤ」
「なに?」
「どうして皆で生きていけないのかな。いや、別に皆でなくたって良い、自分にとって大切なものだけを守っていれば良いのに、どうしてこう人を傷つけるんだろうな」
俯きながら喋るカイルは、マヤに向いてと言うより自問しているかのようだった。だが、その言葉はマヤの琴線に触れた。
「きっと、自分にとって一番大事なものが何か知らないからよ。だから手に入るものは全て手に入れて、少しでも心の穴を埋めようとしているんじゃないかしら」
「大事なもの……お前にはそれがあるのか?」
「あるわ」
カイルの質問に対して、マヤは澱みなく答えて見せた。カイルとしてはそれが何か聞き出してみたかったが、かすかに微笑を浮かべたマヤの顔には、頑として漏らすまいという決意が同時に現れている。だから、少しだけ肩をすくめてそれ以上は追求しなかった。
今日一日で、知らなかったことをずいぶんたくさん知ったと思う。リュカが話していたこと、マヤが語ったこと、この街の窮屈さと不愉快さ。
マヤが振り返り、「早くいきましょう」と呼びかける。カイルは彼女の顔を見ながら、その裏にあるものを知ってみたいと思った。何が好きなのか、何が嫌いなのか。どこに行きたいのか、どこに居たいのか。その感情は興味の範疇をすでに超えていた。そのことに、カイルは気付いていた。
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