第32話 告白

 先に着艦していたカイルは格納庫内を見渡し、それからブリッジへも登ってみたが、リュカもカーリーもどこにも見当たらない。

 あいつら、とカイルは唇を噛みしめた。

「どういうつもりだ!」

 ブリッジの通信機をオンラインにして虚空へと怒鳴り声を張り上げるが、返事は無かった。

「リュカは自分の目的を達しに行ったわ」

 振り返るとマヤが立っていた。顔を伏せているため表情は分からないが、その声は暗く虚ろである。

「一人で乗りこむつもりなのか?」

「あの人は最初からそう考えていたはずよ」

 これはあの人の復讐だから、とマヤは続ける。

「復讐のお膳立てさえ整えば、俺もお前も、どうでも良いってことか」

「…………」

『どうでも良いわけがないだろう』

 唐突にホロディスプレイが浮かび上がった。実体がないにも関わらずカイルはそれに掴みかかる。無論、両手は空を切った。

「その言葉は嘘じゃないだろうな! 今、どこにいる。エレクトラですぐに追いかける!」

『駄目だ。既に警備隊が動き出している。俺を追いかけてきた所で捕捉されるのがオチだ。お前たちはスターストリームの外側に出て、ほとぼりが冷めるまで隠れていろ』

「……それっていつまでだよ」

『四日後、狩りの場で、俺はヴェローナの主だった高官を皆殺しにする。指揮系統の混乱に乗じれば、どこかのコロニーにたどり着くことも難しいことじゃないだろう。EHS全土で言えることだが、コロニーや植民惑星の管理体制はザルみたいなものだ。援助してくれる組織もいくらでもある』

「勝手なことを言うな! ならあんたはどうなるんだ! ここに帰って来れるのか!?」

『まず無理だな』

 あっけらかんとした表情でリュカは言った。そこには諦観は感じられず、器からこぼれた水が地面に落ちるのと同じように、当たり前のことを言っているだけだという一種の悟りのようなものが浮かんでいた。

『つい先ほど、スターゲートを一つ通過した。今頃は航路警備隊に封鎖されている頃だろう。そして、サヴァスが殺されるような事態になれば警備はより厳重になる。だが、スターストリームから離れて通常航行を続けていれば、そう簡単には捕捉されないはずだ』

「それを俺たちでやれってか?」

『そうだ』

 無茶を言っているつもりは無い、とリュカは言う。

『この二週間、ずっとお前を見てきた。偶然捕まえたのがカイル・ラングリッジで本当に良かったと思っている。お前にはバイタリティもメンタリティも備わっているし、直情的だが正直だ。もし別の、ろくでもない人間だったら、俺もここまで思い切ったことは出来なかっただろう。俺がいなくなったとしても、お前ならマヤを守ってくれると確信している。

俺の資産はほぼ全部その船に積んである。エレクトラごとお前たちにやろう。数世代先まで働かずにいても、まだまだお釣が来るだけの額がある』

リュカは通信を切ろうとしたが、カイルはそれを遮り叫んだ。

「違う、俺は……マヤが欲しがっているのはそんなものじゃない!」

 彼の動きが止まる。そして、その時ようやく、リュカの表情に後悔だとか自責と言った感情が浮かんだように見えた。

『マヤ』

「……はい」

『その様子だと、見つけられなかったんだな』

「はい。皆、死んでいました」

『そうか』

 カイルを飛び越えた会話を二人はしているが、カイルにはマヤが逃げずにコロニーに残った理由が分かった。彼女はクローンたちを助けに行ったのだ。何のために? 恐らくは同情心だろうが、カイルはマヤが、リュカの家族を助けにいったのだな、と思った。そうすることによって、彼を縛るものを増やして、間接的に無謀な復讐を止めようとしたのだ。その最後の試みだった。

 だがリュカの淡々とした表情を見る限り、彼女が全員を連れ出せていたとしてもリュカを止められないことは明白だった。今やリュカは、自分の兄弟のみならずマヤをも過去に置いて行こうとしている。

『俺はもう戻らない。お前は好きなところに行け』

「……はい」

『俺のことはもう忘れろ。最初から存在しなかったものと思え。そうしてお前は初めて自由になれる。それがお前にとっても幸せだろう』

 誰からの返事も待たずに、通信は一方的に切断された。残された二人は何も話そうとせず、ただ機械の駆動音だけが静かに響いている。

 カイルは苛立っていたが、マヤの手前その感情を発露させるわけにはいかなかった。彼は単にリュカの無責任さに対して怒っているだけだが、彼女はそればかりではない、様々な感情の間で揺れ動いているからだ。

 マヤはコンソールの上に腰かけ、片膝を抱えたまま俯いている。

「行きたい所、あるか?」

「ううん、無い」

 そうだろうな、と思った。唐突に世界に投げ出されてもどこに行くべきかなど分かるわけがない。誰も彼もが自分のように、行きたい所に流れていくような生き方が出来るわけではないのだ。

「納得出来てないだろ」

「……当り前よ。リュカは勝手だわ」

「そうだろうな」

 カイルは苦笑する。改めて思い直してみるとつくづく自分勝手な男だと思う。だが、それは自分も同じことだろう。男はエゴイスティックな生物なのだから。

 それでも、マヤにとってリュカは大切な人間なのだ。カイルが彼女と知り合う以前から、忘れがたい記憶と断ち切れない関係性とで結ばれている。その関係性は艶やかなものではなく、もっと穏やかで何気ないものだろうから、カイルもリュカに嫉妬せずにすんでいる。

「マヤ、この前質問したことがあったよな」

「何を?」

「お前とあいつはどういう関係なんだ、って。リュカにも同じことを聞いたら、分からないって言ってたよ」

「…………」

「お前は知ってるんだろ? それを表現する言葉をさ」

 カイルはマヤの前に片膝をついて、俯いたままの彼女の顔を見上げた。大きな青い瞳は今にも泣きだしそうなほど潤んでいる。

「リュカは……」

 マヤは一旦口をつぐんだ。カイルは思う。今までにも、彼女がこうして口をつぐんでしまうことは幾度となくあったのだろう、と。そこから先の言葉を発して、もしリュカが受け入れてくれれば良い。だが、そんな感情が復讐のために役立つか、とリュカが考えてしまったら、自分の居場所はどこにも無くなってしまう。その拒絶の可能性を考えていたからこそ、マヤは何も言えないでいたのだ。

「怖がるなよ、聞いてるのは俺なんだから」

 カイルは言葉を促した。それに勇気づけられたマヤはゆっくりと、震える声で言った。

「リュカは、わたしの家族よ」

 カイルは頷いた。

「お前がそう思ってることを、あいつは知らないんだよ。だからさ、面と向かって言いに行ってやらなきゃダメなんだ。たとえ不自由なものであっても、想いは言葉にしないと伝わらない。悲しそうな顔をしてるばかりじゃ分かってくれない、鈍感な奴だっているんだ。そういう馬鹿のためにも、ちゃんとお前が思っていることを伝えてやるんだ。その手伝いはいくらでもしてやるからさ、な?」

 そう言ってカイルは微笑みかけた。マヤもつられて表情を緩めるが、すぐに「どうやって」と二の足を踏む。

「どうにかする」

「出来ないわ」

「そんなことないさ」

「無理よ……」

 カイルは立ち上がり、マヤの肩に両手を置いた。真っ直ぐ彼女の瞳を見つめたまま、今自分が抱いている想いを、あらんかぎりの真摯さと共に言葉に変える。そこには言葉に対する疑いがあって、自分の伝えたいことが完璧に伝わらないかもしれないという不安が存在している。カイルは、彼女と自分の間に一本の橋があると想像し、そこを自分の想いが伝わっていくことを願った。

「マヤ、お前だって好き勝手言って良いんだ。もっと俺に、あれこれ要求してくれて構わない。そしたら俺は、俺の意志と力が及ぶ限り、お前を助けてやれる。嘘じゃないよ、俺は嘘をつきたくない。一度お前の願いを聴いたら、それを成し遂げるまで突っ走ってやる」

 言いたいのは、大体こういう風なことだった。本当はもっと真剣で、熱く彼の中を駆け巡っている。人間にとっては言葉を使うこと自体が、意図せず嘘をつくことになってしまう。彼の約束は言葉にした時点で破綻している。だが、やはり声に出してやらなければ届かない。この想いを直接人に届ける力があれば良いのに、とカイルは思った。

 マヤは、それでもしばらく逡巡した。だが最後には俯いて蚊の鳴くような声で「お願い」と言った。それだけでカイルには十分だった。

 考えがあった。というより、彼女が少しでもその気になってくれた瞬間から、彼の頭はかつてないほどの速度で回転を始めていた。瞬間的に一つの考えを弾き出したが、なかなか悪くないアイデアだった。

 カイルは通信回線を開いて海賊達に呼びかける。すぐに返事が返って来た。最初にカイルに話しかけてきたあの海賊だった。

『もうそろそろ逃げようと思ってたんだが、何か用か?』

「分捕り品の中に船はあるか? クルスタを二、三機は格納できるくらいの……」

『あるっちゃあるが、そいつは協定違反だぜ。最初、お前らは分捕り品に興味が無いって言ったよな? こちとら、居ないと思っていたカタフラクトに襲われて四機もエクエスを墜とされているんだ。そんな上等な船を一隻渡すなんて』

「もちろんただとは言わない。金は払うよ、言い値でな」

 へえ、と通信機の向こうから思慮するような声が聞こえてくる。海賊は五億リブラと言ったがカイルは迷わず承諾した。相場よりもはるかに高い値段だが、リュカの置き土産はその程度で消え去ったりはしない。

『確かにこれなら儲けになるな。エクエス四機を大破させるだけの価値はあったってことか……エリン・エッジに礼を言っておいてくれ!』

「ああ、そのつもりだよ」

『こんな美味い話を提供してくれるなら、いつだって参加するぜ』

「エクエス四機の損失でも、良い結果だって言い切れるんだな」

『そりゃあそうさ。何せ、そちらの他にさるドゥクスからも報酬を貰っているからな』

「……何だって?」

『おいおい、エリン・エッジから聞いてなかったのか? あいつが南部宇宙のドゥクスどもに、狩りの参加者名簿をリークしたんだよ』

「名簿? 何のために」

『簡単さ。南部やら東部やら北部やら、あちこちの領域で狩りの市場は拡大している。これまではサヴァス・ダウラントの開催する狩りが一番設備も準備も整っていたから独占状態にあったが、俺たちが大暴れしたおかげで、奴さんしばらく狩りの商売は出来なくなるぜ。それで飢餓感に煽られた連中を、俺たちの雇い主どもが吸収するって寸法よ』

「……あいつ、全部分かったうえでやったのか」

 海賊達を直接動かせないなら、その背後にいる存在に働きかければ良い。だが、彼がサヴァスを討てば、彼のような存在を産み出したこの狩りというシステムは一層白熱化する可能性もあるのだ。確かにしばらくはドゥクス達も警戒するかもしれないが、ほとぼりが冷めればこれまで以上に大規模な狩りが行われることになるだろう。その激しい市場競争の中で、ドミナたちがクローンという資本をどのように使用し消費するかは想像に難くない。

「リュカ、あんたが暴れたって、世界は何も変わらないんだぞ……」

 そんなことは言うまでも無く分かっていただろうが、カイルは呟かずにはいられなかった。

 やがて、コロニーの方から一隻の船がエレクトラに接近してきた。



 微睡みの中を漂っていたエルピスはサヴァスの張りつめた声によって自然と覚醒させられた。彼女の視界は常に闇によって包まれているが、サヴァスに抱かれた後に眠ったのだから、当然今は夜ということになる。彼は無節操に女を抱く男ではない。彼を総督の座に就かしめているのは、案外こうした律義さに因るところもあるのかもしれない、と思った。

 エルピスの意識は自然と会話の内容へと向けられる。音の発せられる位置から察するに、壁際に寄って立っているのかもしれない。

「……全体殺処分……いや、適切な判断だ。抵抗に巻き込まれて…………人材さえ残っていれば、事業自体の建て直しは……ああ、すぐにでも引き上げるように」

 リング・コムによる通話を終えたサヴァスはベッドに腰掛け、大きく溜息をつく。シーツの擦れる音に振り向くと、寝台の上に上半身を起き上がらせたエルピスが胸元を隠したところだった。

「すまない、起こしてしまったようだね」

「いえ……どうかなさいましたか?」

「ああ」

 サヴァスは重々しい口調で彼の牧場が海賊達に荒らされたことを告げた。被害は甚大であり、特に人材の喪失が著しい。あそこで務めていた職員はほとんどがルジェ階級やベラートル階級のドミナであり、獲物役の育成ノウハウを蓄えた人材でもあった。そんな彼らは、混乱に乗じて逃げようとしたクローンたちと戦闘状態になり、全滅しなかった代わりに獲物役を皆殺しにしてしまったのだ。

 狩りは三日後。今から代わりを見つけることは出来ない。中止するしかないと思ったが、そうなると彼の顧客が別のところに流れて行ってしまう可能性がある。ましてや、今回出した損害は一年や二年で取り戻せるものではない。愚図愚図しているうちに業界内での競争力を失ってしまうことは目に見えていた。

 無論、この程度の損害で即破滅に直結するわけではないが、来年の選挙が不利になるのは間違いない。エドガー・ドートリッシュとの接近を図っている現在、彼の膨大な資産を味方につけるかわりに、旧来のヴェローナの上流層とは確実に距離が開きつつある。長期的に見ればエドガーを味方につけた判断は正解だろうが、すぐ目前まで迫っている選挙を制するには使えない要素であった。次の総督選挙だけはサヴァス本人の力で勝利せねばならず、そのためにも狩りによる顧客の確保は必要不可欠だったのだ。

 もし来年総督に再任出来なかったらどうなるだろうか。この三年間で積み上げてきた政策は全て元通りとなり、彼自身の発言権も格段に弱くなってしまうだろう。老人たちを政界から追い出すことなど夢のまた夢だ。

「政治家としての私を保つことは、もう出来そうにないな……」

 政治家という肩書きを持ち続けることは難しくないだろうが、サヴァスはバッチを与えられるだけで満足するような男ではなかった。議会が理想の無い政治家であふれるくらいなら、いっそ無政府状態になってしまえば良いとさえ思う。それはこれまでの自身の生き方を否定する考え方であったが、だからこそ今のヴェローナの政治空間に対して強い危機感を抱いているのである。

「そんなことはありませんわ」

 エルピスが彼の背中に身を寄せた。押し付けられた豊かな胸から伝わる弾力によって性愛が掻き立てられ、同時に彼女の紡ぐ穏やかで肯定的な言葉が精神的な飢えや焦りを癒してくれた。これまで幾度となく感じてきた心の動きであった。

「エドガー様にご相談されてはいかがですか?」

「彼に? しかし、それで何か活路が開けるかね」

「具体的な方法を申し上げることは出来ません。ただ何となく、そう思うのです」

「確かに彼なら驚くべき解決策を提示してくれるかもしれんな」

 そうは言ったものの、ほとんど冗談交じりの返答だった。それ以上に、エドガーに対する疑義さえ存在している。彼が自分の船と共にヴェローナを離れることはあらかじめ手紙によって知らされていた。船の補修や武装の調整をするためにスターゲートを隔てた別の星系に移動するとあり、データ上ではエレクトラは惑星ティルスのドッグに停泊していることになっている。が、あまりに何もかもが唐突で、いきなり現れた彼を疑わないわけにはいかないのであった。

 そうなるとエドガーの行動理由が問題になってくるが、サヴァスにはそれがどうしても考え付かなかった。自分が西部宇宙で最高の権力者であるという認識は決して自惚れなどではない。そんな自分の後ろ盾を得ておきながら、彼自身がそれを破壊するのでは辻褄が合わないし、元々自分を出し抜くつもりだとしてもタイミングが早すぎる。

 誰かの差し金である可能性も考えたが、あれほどの資金力を持ったドゥクスなどそうはいない。主だったドゥクス達とは社交界の表裏で鎬を削っており、そこで使われる資金に加え、エドガーという刺客を仕立て上げるだけの余裕は誰にも無いだろう。

 その他にも色々と妄想めいた疑義は浮かんだのだが、どれも今一つ合理的な考えとはならなかった。彼の政治家らしい合理的な思考が、最終的に「それで何の得があるのか」という疑問に行き着いてしまうのである。それを満足させられる答えをサヴァスは導き出せなかった。

「確かに……現状で、このことを話せるのは彼だけということになるな」

「もしかすると、解決策を考えていただけるかもしれませんわ」

「はは、それだと助かるがね」

 サヴァスは笑ったが、エルピスは微笑を浮かべたまま、だが真面目な声音で言った。

「閣下の運命はまだ途切れておりませんわ」

「……そう信じたいものだね。いや、お前の言ったことだ。信じることにしよう」

 そう言って再びサヴァスは立ち上がった。エルピスに口づけし、子供を寝かせるように彼女の身体を横にさせて布団をかぶせてやった。

 再び窓際に立って話し始めるサヴァス。その背中を、光を宿さない琥珀色の瞳が見つめていた。

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