第34話 虚無

『ドートリッシュ卿、これは!』

 サヴァスの声が聞こえてくるが、リュカは無視した。いや、脳にまで届いていなかったと言うべきか。

 リュカはNCロッドから手を放して腹を抱えていた。その笑い声はオープン回線を通じて全機体に届いているが、混乱の中でその嘲弄に気付いた人間はいなかった。

『ど、ドートリッシュ卿、貴公はクルスタの扱いに長けているのでしょう、この状況をどうにか……!』

 近寄って来たドゥクスが恥も外聞もかなぐり捨ててリュカに頼み込む。まるで人間にそうするかのようにガランサスの肩を揺さぶられた時、リュカの哄笑はぴたりとやんだ。

 直後、カタフラクトの腹に大穴が開いた。断末魔を上げる機体を無造作に蹴り飛ばし、リュカは密集したカタフラクトを見下ろせる位置まで上昇する。

「ッハハハハハハハハハハハハ!」

 声が嗄れ、息を詰まらせながらもなおリュカは笑い続けた。ガランサスが片手を振り上げると突撃を繰り返していたエクエスたちが制止し、慇懃無礼にも捧げ銃の姿勢をとる。そのまま上昇し、ガランサスを中央に配した状態でカタフラクトを足下に見下ろす。

「なあカーリー、こういう時に笑うのはあまりに陳腐だと思っていたが……実際に敵が破滅していく瞬間を迎えると、やめられないものだな!」

 そう言って、また笑い出す。

『何を言っている、エドガー・ドートリッシュ!』

 サヴァスの問いをリュカは一蹴した。

「誰のことを言っている、サヴァス・ダウラント!」

 この返答には、さしものサヴァスも面食らった。

「貴様が言うエドガー・ドートリッシュなる人物はもとより存在しない。貴種の青年貴族、辺境からやってきた謎の大富豪……小説でもあるまいし、馬鹿々々しい!」

『では、お前は一体誰だというのだ』

「誰でもない。貴様らドゥクスが遊びで殺してきた無数の劣種の中の一人だ。七年前の狩りを思い出してみろ! 一人逃げ延びた、リュカオン576という個体のことを思い出してみろ!」

 サヴァスにとっては大槌で頭を殴られたかのような衝撃だった。無論、たかが一個体のことなど詳細には憶えていないが、たった一人逃げ延びた可能性のある者がいるということだけは知っていた。その一人にしても広大な虚空の中で生存することなど不可能だと思っていた。ましてや、ドゥクスを装って接近し、自分に復讐の刃を突き立てようとするなど、ほとんど小説的な想像の次元と言って良い。

 だが、現に一人の復讐鬼が彼を見下ろしているのだ。

 サヴァスの戦場とリュカの戦場はそれぞれ異なっている。政敵としてのエドガーには注意を払ってきたつもりだが、爆弾のような復讐者の存在など想定していなかった。それも爆竹などというレベルではない、核弾頭クラスである。これほどの資金と武力を、自分に復讐するというただ一事のためにつぎ込んでくることなど想像も出来なかった。ましてや、その動向を推測することなど、この限られた時間では不可能だ。

『向けられる敵意が政治的なものばかりだと思っていたのか? このような不条理に晒されることなどありえないと高をくくっていたのではないか? そんなわけがない、運命が俺を不条理の中で弄んだように、貴様もまた不条理に弄ばれる側の一人だ。喜べ、俺が持ってきてやったぞ!』

 彼が言い終わるか終らないかの内に、ドゥクス達の周囲を守っていた三機のカタフラクトが動いていた。同時にライフルを構えつつ、リュカの乗るガランサスに向けて突撃をかけてくる。

 リュカは、傍らに控えている四体のエクエスをあえて動かさなかった。

「まずは猟犬から血祭に上げてやる……」

 しっかりと狙いをつけて撃ち出されてくる弾丸を軽いステップで避けながら、リュカはガランサスのウェポンラックに装着していたヴァイパー・エッジを抜刀した。

 姿勢を前傾させ、ガランサスを正面に向けて突っ込ませる。三機の間に出来た空間を突っ切ってから機体をひねりつつ引き起こし、真上からビーム砲を乱射する。だが、その攻撃は無論スペルによって阻まれた。一機のカタフラクトがガランサスの攻撃を引き受け、残りの二機がそれを盾にしつつ砲撃しようとする。

 リュカは、その陣形に向かって突撃し、ヴァイパー・エッジを投擲した。弾かれ、それどころか両手から完全に武器が失われる。急加速によって慣性の制御が利かず、無様に撃ち殺されるのを待っているかに見えた。

 盾役のカタフラクトがスペルを解除し、腕部ビームマシンガンの照準をつけたまさにその瞬間、ガランサスが動いた。

 まるで前転でもするかのように機体を丸めてビームをやり過ごし、次に大きく機体を伸ばした時には、その手に一本の対殻ナイフが握られていた。逆手のままでそれをカタフラクトの首元、すなわち可動部に突き立てる。その場所は狭く狙うのは困難を極める。が、その反面首を動かさなければならない必要上、どうしても装甲厚が薄くなる。リュカはそこに付け込んだのだ。

 そして、そのポイントはカタフラクトのコクピットの真上に当たる。

 レーザーピアスを差し込まれたカタフラクトは、ほとんど何のリアクションも見せないまま、ただ操縦者の蒸発によって即座に停止した。その巨大な鉄の亡骸をリュカは蹴り飛ばし、後ろの一機に押し付け、対殻ライフル「メトゥス」でまとめて撃ち抜いた。精度と連射性に劣る反面、威力に優れるピーキーなライフルである。いかにカタフラクトの装甲と言え耐えられるものではない。

 最後の一機は僚機の撃墜に動揺しつつもライフルを撃ちかけてくるが、うろたえ弾などに当たるリュカではなかった。それどころか逆にライフルごと右手を破壊し、動きが止まったところを回収したヴァイパー・エッジで両断した。

 あっという間に三機のカタフラクトが屠られた事実にドゥクス達は戦慄する。だがリュカにとっては始まりに過ぎない。間髪を入れずにガランサスをドゥクス達の中へと突撃させ、ほとんど棒立ちのままだったカタフラクトを一機斬り捨てた。その爆発に煽られるようにしてようやく他の機体も動き始めるが、正面から打ち掛かってくる者はほとんどいなかった。

 逃げようとする機体は無慈悲にライフルで撃ち抜き、狂乱して襲い掛かってくる敵はあしらい、切り刻んだ。誰もガランサスの速度には追いつけず、視界から消えたと思った瞬間には背後に現れ、対殻刀を突き立てている。

 彼らが張るスペルは、リュカに対しては何の意味も持たなかった。捕食者に目を付けられた亀が甲羅に手足を引っ込めるように、スペルの内側に機体を隠すが、リュカはその隙間にライフルの銃口をねじ込んでコクピットごと搭乗者を吹き飛ばした。全方位にスペルを展開する機体には、両肩のビーム砲と弾丸とを驟雨のようにばら撒いて、耐え切れず解除した所をそのまま破壊する。

 撃墜した機体が手放した武器までも使いこなし、ガランサスは思うさまに破壊と恐怖をまき散らした。背景の暗闇と同化し、かつバイザーの奥の両目を紅く燦爛と輝かせながら迫ってくる様は、真夜中の密林の虎を思わせる。その作り手はコクピットの中で冷酷に機体を操りながら、だが、決して満足そうな表情をしてはいなかった。

 敵が、まるで紙を引き裂くかのように容易く墜ちていく。あまりに手応えが無く、こんな雑魚を斬るのにガランサスを持ち出していることが勿体なく思えたほどだ。

「……復讐などと言っても、こんなものか」

 また一機、敵を葬りながらリュカは呟く。その時一機のカタフラクトが対殻刀を構えて斬りかかって来た。リュカは難なくそれを受け止め、力を受け流しつつ刃を返す。だが、反撃の一刀が決まる直前でそのカタフラクトはなんとか後退して事なきを得ていた。サヴァスの乗る機体だった。

「ようやく立ち向かってくる気になったか」

 サヴァスは無言のまま再度機体を突進させる。二手、三手と斬り結ぶものの、すべてリュカの乗るガランサスには届かず、かえって自機に細かな傷が増えていく有様だった。それでもサヴァスの戦意は衰えない。

『貴様を生かしておくわけにはいかん!』

「ハッ、七年前にそうしておくべきだったな」

 カタフラクトの腕を蹴りつけて距離をとったリュカは、ビーム砲をばら撒きながらデブリの間を縫って再度強襲する。火力、防御力、そして加速力に優れたカタフラクトではあるが、唯一機動性という面ではリュカの乗るガランサスより二回りほど劣っていた。方向を変えた時にはすでに視界から消えており、衝撃とともに機体に傷が刻まれていく。

 サヴァスは、翼下パイロンに取り付けられていたミサイルを全て発射した。デブリごとガランサスを吹き飛ばそうとしたが、無論そう上手くいくものではない。が、その一瞬だけ確かにリュカは動きを止めていた。

『亡霊めッ!』

 対殻刀を構えたカタフラクトが推力を全開にして突っ込んでくる。

 刺し違えてでも、とサヴァスは思っていた。最早保身がどうのと言っていられるような状況ではない。この男を生かしておけば、いずれEHSという国家全体に大きな災厄が降り注ぐことになる。為政者の一人として命に代えてでも討ち取らなければならない、と。

「馬鹿が」

 だが、リュカが放った言葉はあくまで冷酷であった。

 ガランサスは軽くステップを踏んだ。その後ろから、オーバーヒートを起こしたエクエスが突っ込んできている。

 カタフラクトは止まれなかった。対殻刀の先端がエクエスの肩口に食い込んだ時には、すでに機体は光球へと変じてカタフラクトを飲み込んでいる。呆気ない、とリュカは思った。

『まだだ!』

 スペルを展開したカタフラクトが光の中から飛び出してくる。右腕は対殻刀ごと失われ、爆発に巻き込まれた両足も膝から下が無くなっているが、左腕に持たせたライフルと銃剣だけは無事だった。四肢のほとんどを失ったことで結果的に軽量化されたカタフラクトは、その推力に物を言わせて一直線にガランサスへと突き進む。

 だが、その切っ先がガランサスのコクピットを貫くことは無かった。

 神速と表現出来るほどの速さでガランサスが動き、いずれかの機体から回収していたスタン・ロッドがサヴァスのカタフラクトを打ち据えた。

 高圧電流によって瞬時に血液を沸騰させられたサヴァスは、声を上げることも無く意識を失った。元より、リュカには殺すつもりが無かった。この程度の苦痛で、自分たちの味わった痛みが贖われるわけがないのだ。

 気が付くとガランサス以外のクルスタは全て機能を停止していた。異常を感知して引き返してきた機体も含めて、計十五機が大破し虚空を漂っている。

「あと四機……いや、三機か」

 レーダーが捉えていた反応が、また一つ消失した。エクエスもほとんど残っていない。

(どうしたの? せっかくサヴァス・ダウラントを生け捕りにしたのに、ずいぶん浮かない顔をしているね)

「手応えが無さすぎるから、呆れているだけだ」

 ガランサスの爪先で黒焦げになったカタフラクトを軽く蹴った。だが、質量差のためにガランサスの方がゆっくりと後退していく。

 残骸だらけの宙域に一人、リュカは両手の指を組み、目を閉じた。また一機、カタフラクトとエクエスの反応が消える。

 攻撃を始めてから十分も経っていなかった。その間に彼が直接撃破したクルスタの数は九機であり、その全てが最新鋭機のカタフラクトであることを加味すれば驚異的な戦果と言える。が、そんなことはリュカにとってはどうでも良かった。復讐を果たした今、クルスタを動かす技術などこれ以上必要とはならないからだ。

 だが、それならこの胸の閉塞感は何なのだろう、とリュカは自問する。彼の心は一向に晴れなかった。復讐が終わり、目的を喪失したのち虚無感に囚われることまで想像はしていたが、いざ実感する段階になるとあまりに何もなくて苦しいほどだった。

「あの時とまるで同じだな」

 宇宙を漂っていた時とほとんど変わるところが無い。いや、復讐心や憎悪が消えてしまった分、虚無感においては今のほうが優っているか。

 一方、傍目に見ていたカーリーも、リュカと同じく足場を失ったような気分になっていた。リュカが感情を爆発させたかと言えば、ほとんどそうではなく、理性的に敵をあしらってしまった。彼女が見たいのは、彼の冷徹な戦闘技術などではないのだ。

(退屈、だね)

「全くだ……とりあえず、こいつをモアブの大気圏にでも放り込んでみるか」

 そうすれば少しは気が晴れるかもしれない。そう思ってカタフラクトに手を掛けようとした時、コクピットにアラートが鳴り響いた。

 即座に飛びのき火線から逃れる。反応のあった方向にライフルを向けると、大砲を構えた一機のカタフラクトが、リュカのガランサスを見下ろしていた。

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