第4話 かわるものとかわらないもの1
夏とは言え、太陽の光は、こんなに力強かっただろうか、三年の間に気候変動が進んだに違いない。部屋着のジャージのまま、ユーマに連れ出され、駅前通りのマックへ向かう。町並みは二年前とほとんど変わらない。高校へ通っていたときの通学路と同じ、駅までの道のりだ。交差点の角に更地がある……ここは確か、定食屋があったはずだが、やはり、変わらないと言っても、歳月は確実に過ぎているのだ。
「あれ? この更地、これまで何があったっけ? 毎日の様に見ていたはずなのに、思い出せないなぁ」
ユーマには定食屋の記憶が無いらしい。逆に毎日見ていると、普通の事として処理されて、やがて記憶から除外されて行くのかもしれない。常に変わらない物は注意を払う必要が無いと、脳が判断しているのだろう。定食屋を最近まで見ていたユーマは忘れ、三年ぶりの僕は覚えている。僕は、この現象が、何かに似ていると感じたが、結局何だか分からなかった。
駅に近づくにつれ、だんだんと、人通りが多くなって来た。ユーマと一緒に歩くと、誰もが無視できずに一度は視線を投げてくる。たくさんの小石の中にあっても、大きな宝石は余計に輝いて見える。人通りの多いところであれば尚更注目を浴びる事になるが、そんなに負担では無い。注目はユーマ独りに注がれていて、僕を見る人は誰もいない。ユーマバリアの中を歩いている様なものだ。それでも、これまで外に出なかったのには、僕なりの理由がある訳で、まるっきり平気と言う訳ではない。しかし、今日だけはユーマに付き合って魔法にかかったふりをしなければならない。ユーマの操り人形になるしかない。
道の脇の自転車のカゴで昼寝をする猫がいる。ヤマネコの様な野生的な模様――確か、キジトラと言う種類の猫だ。頭を撫でると、猫はこちらを見上げて微笑んだ――ように見えた。可愛らしい顔立ちをした美猫だ。同じ種類の猫であっても、その顔立ちは一匹一匹それぞれ違う。この猫は、その中でも特別美しい顔立ちをしている。
「猫の世界でも、美しさの概念はあるのかい? モテてしょうがないんじゃない?」と語りかけると、ニャーんと返事をした。返事の意味はわからなかった。
「可愛い猫ね、よしよし」急に耳元で声がしたので、驚いて思わず猫から手を引いた。自転車の持ち主が帰ってきたのかもしれない。何か、勘違いされたらどうしようかと、僕はうろたえた。しかし、自転車かごの中の猫をみれば、自転車を盗もうとしていると誤解を受ける事もない筈だ、なんて、よく分からない事を考えながら、鼓動が速くなるのを感じた。
「ニャーん」猫がまた声を上げた。見れば、気持ち良さそうに、白くて細い手に撫でられている。猫をなでる華奢な手を、上へ辿って行くと、その根元には華奢な肩があり、浮き出た鎖骨があり、折れそうな首があり、最後に、忘れられない顔があった……。僕の心臓は急激に体中に血液を送る量を増やし、速くなった鼓動は、勢いを増し、顔が熱くなり、耳まで真っ赤なるのが自分でも分かった。
「杜生くん、猫好きなの?」とびきりの笑顔で
「猫? 好きだけど……」高校に通っていたころ、同級生に好きな女の子がいた。僕が好きになった女の子は、例外なくユーマの事が好きだった。
「久しぶりね。元気にしてた? いつもユーマ君と一緒なの? 今も二人は仲良しなのね」
「仲良しって事もないと思うけど……」ユーマがむっとした顔をして遠巻きにこちらを見ている。こう言う時、何故か男は、男友達と仲良しだなんて決して言わない。とても大切な友人でも、何故か言えない……何故だろう。
「嘘よ……とっても仲良しだったわ。だから私は……」ユーマを好きになる女の子は、必ず僕に友好的だ。将を射んとすれば、まずは馬を射よ。
「ユーマに何か用かい?」でも、それが分かっていても、恋心は止められない。
「違うの、杜生君に話しかけたのよ。杜生君、しばらく見ないうちに雰囲気変わったね。何か、こう、別人みたい――と言うより、別人だわ。杜生君だってすぐに気が付いたのが不思議だわ。それこそ、ユーマ君と一緒じゃなかったら分からなかったんじゃないかしら」
「僕に話しかけたの? 僕に何か用かい?」用があるわけが無いと分かっているのに聞いてしまった。女の子との会話がうまく行った試しはない。
「用は……特にないの。杜生君を見つけたら、話しかけたくなって……なぜかしら、迷惑だった?」
「白濱、俺にも久しぶり何だから、良い加減挨拶したらどうよ。それに、俺達忙しいんだけど」ユーマの方から白濱さんに声をかけた事があっただろうか。白濱さんに一方的に話しかけられている姿しか思い出さない。
「ごめんなさい。ユーマ君、相変わらず格好良いわね。おかげで杜生君にも、すぐに気が付けたわ。ねえ、ユーマ君、杜生君ってすっごく雰囲気変わらなかった? 私びっくりしちゃって……」
「そ、そんな事ないよ」何だか、今までにない展開だ。いつもは、僕に挨拶するとすぐに、ユーマの話を初めて、ユーマが傍に来た後は、僕の事を二度と見る事はなかった。いつもお決まりのパターンだった。
「杜生はそりゃ変ったさ。俺が魔法をかけたんだからね! いきなり恋に落ちたんじゃないの? お嬢さん」
「そうね、魔法にかかったのかもしれないわ。私、杜生君の事……好きみたい。変かな? こんな事言うの? ねえ、杜生君、こんな事言って、私の事嫌いになった?」
「え? そ、そりゃ大変だね……」新パターンに、全く付いていけない。白濱さんが僕を好き? ユーマの気を引こうとしているのか……そうだ、そうに違いない。
「じゃあな、白濱。俺達急ぐんだ。バイバイ」そう言うと、ユーマはまた僕の手を引いて走り出した。手を引かれるがまま、僕も走り続けた。
◇
「効果覿面だな! ちょっと、むかつくぐらい面白かったよ」マックの新メニューをほおばりながら、ユーマが笑っている。
「何が?」僕はまだ放心状態に近い。いつの間にか、手を付けないままハンバーガーが冷めてしまった。席に座ってから、ずっとコーラを飲み続けている。
「何がって、魔法に決まっているじゃないか。正直、こんなにうまくいくとは思わなかったよ。白濱の奴、杜生に瞬殺されてたな」
アハハ――と、大きな声で笑うユーマは本当に楽しそうだ。しかし、魔法だと……。まだそんな事を言っているのか、いつまで、この魔法ごっこに付き合わなければならないのだろう。今の僕は、正直それどころではない。ユーマの気を引く為だとは言っても、女の子に好きだと言われたのは生まれてこの方――初めてだ。
「白濱さん……少し大人っぽくなったよな。制服しか見た事が無かったからかな。でも、丁度、大人っぽくなる時だよな……」
「うるさいなぁ、白濱の事なんて、どうでも良いじゃんか。次を試そうぜ。あのマックの店員さんなんかどうだ? 二十七歳……いや、二十八歳かな。あの人を瞬殺出来たら、本物だと思わない? 白濱は、もともと知り合いだしな、ちょっと信ぴょう性が足りない……」
「は? 何の話をしているんだ? あの人に何をしろと言うんだ? 白濱さんは……可愛いかったぞ」
「……杜生さぁ、もしかして、まだ、魔法の事信じていないの? 杜生のお母さんと、白濱と、あと、猫だってお前の事を好きだったと思うぞ。良い加減にしろ――おっ、丁度カウンターから出てきたぞ、行ってこい!」
そう言うと、ユーマは僕を無理やり立たせて、ゴミ袋の交換に来たマックの店員の前へ押し出した。僕は、まだ、コーラのストローを加えたままだ。コーラを飲みながら立ちつくす僕の背中に、もう一度、衝撃を感じたかと思った時には、僕は、かがんだ店員さんのお尻に軽くぶつかっていた。
「す、すみません」うまく話せないのは、ストローを加えたままだからではない。これが僕のデフォルトだ。
「はい、何でしょう?」ゴミ袋を交換していた店員さんが、すっと立ち上がり、僕にまっすぐ向き直って笑顔で答えた――と、同時に僕は目をそらした。目を逸らしたが、視界の端に入ってくる店員さんの笑顔が、美人であると言う事は認識できた。だから、余計に顔を見る事が出来ない。店員さんの肩越しに、外の景色が見える。相変わらず五月の太陽が、燦々と降り注いでいる。窓ガラスが良く磨かれているのだろう、外に停められたジャガーに反射した太陽の光が、僕の目に突き刺さりそうになって、思わず首を傾けると、うまい事に窓に貼られたアルバイト募集の貼紙が遮ってくれた。
「あの……何かご用でしょうか」
「はい! アルバイト募集……」視界に入った文字がそのまま声に出た。寝不足で疲れている時によくある現象だ。ずっと寝ないでいると、いつの間にか、パソコンの文字を音読している時がある。目に入る文字を、そのまま口が再生してしまう。脳みそがうまく動いてないのだろう。そう、今の僕の脳みそも、同じ状態だ。
「アルバイトの面接をご希望ですか……。ではこちらへどうぞ」僕は言われるがまま、店の奥へと連れて行かれてしまった。
「お、おい、杜生……はあ、でも、まあ面白いからついて行こう」
振り向くと、ユーマも後を追ってくる。
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