第40話 理想の人は欠けたハートの形
――たしか、中学一年の時だったと思う。
俺は毎日のように誰かしらから告白され続けていた。
初めは嬉しかった。
認められたと思った。
俺はここにいていいんだと……。
そう思った。
ある日、俺に告白してきた女の子が、恥ずかしそうに駆けて行く背中を見ていた。その子は廊下の角をまがった所で誰かとぶつかった様だった。そして、その後、二人が話す声が聞こえた。
「はぁ、やっぱりユーマ君イケメンすぎるわ、ドキドキしすぎて告るのあきらめそうだった」
「あなたも、ユーマ君に告白したの?」
「うん! 彼氏欲しいって騒いでるこは、みんなユーマ君のこと好きじゃない?」
「そうね、間違いないね!」
「でさ、夏休みも近いし、どうせならダメもとで、全員でユーマ君に告白チャレンジしちゃえって話になっててさ、もう、ユーマ君に告白するっていうのが、今月の流行りみたいになっっちゃってるのよ」
「なにそれ……。でも、みんなで告白すれば、最悪、ユーマ君の彼女の友人ポジが取れるかもしれないってことでもあるよね? じゃあ、私もやってみようかな。ユーマ君にフラれても、それも勲章みたいなものよね!」
「そうよ、一種のステータスって感じ?」
「ユーマ君って、なんかミステリアスで、告白するだけで何か特別な気分になれるんだって? みんな、告白すること自体が楽しいというか……潤うっていうか、整うっていうか……ユーマ君にフラれたことなんて、二の次みたいに喜んでるじゃない? そう、ユーマ君がどう思ってるかなんて、意外と重要じゃないみたいな」
「そうそう、告白して断られても、なんだかんだで話のタネになるし、クラスで注目されるからね」
(なんだそれ……)
俺は愕然とした。告白って何だろう? スキって何だろう? 彼女たちにとって、俺に告白するって事に意味があるんだろうか。
そうか、きっと安心したいんだ、クラスのみんながどんどん告白していって、自分が取り残されるのが怖いんだ。
例えば、野球部のエースが女の子にモテるのは分る。エースは実力で勝ち取ったポジションを死守するために努力している。その才能に魅かれるのもわかる。アイドルはモテるのが仕事だし、そうなるように演出されているから当然だ。
しかし、彼女たちは本当に彼らを見ているのだろうか、いや、彼女たちにとって一番大切なのは、みんなにモテているという事実なんだ。皆が好きだと言う物を好きと言う事で安心している……自分が普通から外れていない事で安住の地を得るんだ……彼女たちの事が『羊の群れ』の様に見えた。自分が進む先を他人にゆだねて、どこを見ているのかもわからない歪んだ瞳のまま、あたかもひとつの大きな生物の様に固まってうごめいている。もしかすると、群れから外れていないことを、俺を使って確かめているのではないだろうか。
では、彼女たちはあの瞳で、俺に何を見ているのだろう。俺は何もしていない。努力して勝ち取ったものなど何もない。ただ、あるのはこの見てくれだけだ。どこにいるのかも、誰なのかもわからない父親の容姿を受け継いだだけの張りぼてだ。普通から、ちょっとだけはみ出していて、たまたま目立ったモテる男と言う張りぼてに群がる彼女達……俺が一体何者なのか、俺の中には何が入っているのかなど、彼女たちにとっては気にもならず、些細なものでしかない……。
それを思うと、急激に虚しさが襲ってきた。馬鹿みたいに喜んで、居場所を見つけたと思っていたけれど、足元から校舎が崩れて行くような、底知れない恐怖が襲った。
「ユーマ、大変だな、気にすんなよ」
その時に声をかけたのが杜生だった。たった、その一言が俺を奈落の底に落ちるのを妨げた。その時、俺は邪魔な前髪の隙間から杜夫の顔を覗いた。邪心の無い、屈託のない笑顔を俺に向けて、温かく、優しいまなざしが意外だった。俺に話しかけてくる人間は、いつも興味本位の薄ら笑いを浮かべていた。杜夫はそうではなかった。
「うーん、ちょっと、あの校舎裏で話そうか?」
杜生の声は、静かでありながら確かな力を持っていた。彼の言葉は俺の心にじわりと沁み入ってくる。なぜだか、そう感じられた。杜生は特別な力で、俺の不安や恐れを、優しく、少しずつだが確実に払拭してくれた。彼の存在が俺には大きすぎるほど心強かった。
その後、杜生と一緒に学校の裏庭に行き、二人でとりとめもなく、くだらない話をした。それから俺たちは、互いの存在を特別なものであることを確認しあったと思う。いつも、誰もいない校舎裏は、俺たちの隠れ家や聖地のような特別なものになった。そこでは、世間の目や期待から離れて、俺たちはただの友人でいられた。杜生は俺の話を真剣に聞いてくれる。彼の目はいつも俺を温かく見つめていて、俺の話すことに耳を傾け、時にはアドバイスをくれた。
「大丈夫だよ、ユーマ。みんなにとって、君はユニコーンみたいなもんさ。向けられているのはただの憧れでしかないんだし、それだって、ユーマが気にするようなものじゃない。だって、君は自由だ。きっと、何にだって、誰にだってなれる、そんな魔法がかかっているんだよ――気にすんな」
その言葉を聞いて、俺は本当の意味で息をすることができた気がした。杜夫に本当に魔法をかけてもらったような気がしたんだ。杜生といる時間は、いつも時間が止まるようで、俺は自分が生きている実感を強く感じることができた。杜夫といれば、俺は本当に何物にでもなれると信じることができた。この場所、この時間が、俺の中で最も安全で、平和な瞬間だった。
俺は杜生を好きになった。男とか女とか関係なかった。
――気にすんな、まさに、その一言が俺にとってただ一つ重要なことだった。俺を俺のままでいていいと許してくれた。この世に生きていても良いと言われたんだ。安堵なのか、温かい感情が、お腹の辺りから段々と上に上がってきて、胸を通りすぎ顔や耳を赤く染めるのがわかった。そして、目頭が熱くなった……。
「あれ? 俺……ないてる?」
「イウマ……泣けばいいじゃない、今まで随分溜めて来たんでしょ? 晒してしまうのよ、そしたら、楽になる……聞いてもらえばいいのよ」
「アサミ……」
いつの間にか中学一年の俺から戻ってきていた。晒してしまえばいい――本当にいいのだろうか……俺のありったけの我儘を一番大切な人に投げつけてしまっていいのだろうか……言えるはずがない、杜生を失う事なんて出来ない。
杜生は、言ってみれば俺の理想の人なんだと思う。俺に居場所をくれた人……生きる場所をくれた人だ。失う事は死に近い意味を持つ。
「杜生……俺……おれさ……」
「ユーマ……なんだい?」
杜生は静かに俺を見ている。きっと、心はきまっているのだろう。ならば、言うしかない。もう、杜生は分っている……。
「杜生……俺……お前の事好きだったみたいだ」
「うん……」
「だから、どうして欲しいってわけじゃない、何かが欲しいわけじゃない、いや……ホントは欲しくてたまらないのかもしれない……でも、一番イヤなのは失う事だ……杜生、お願いだからいなくならないで……」
「うん……もちろんさ……ユーマの気持ちには全部は応えられないと思うけど、ユーマは僕にとって大切な――大切な人だよ。ユーマこそいなくならないでくれよ」
「杜生君、あのさ、杜生君が思う、理想の人ってどんな人なの?」
しばらくアサミは、俺が話すのを黙って聞いていた。その目は涙で潤んでいる。この強い女は、何を思いながら俺の話を聞いていたんだろう……とんでもないやつだと思っていたが、まさか、こんな事態に引き込まれるなんて……やはりとんでもないやつだ。
「アサミさん、僕はね、理想の人ってどこにもいないと思うよ。自分の心の中にいる理想の人は、自分の中の欠けたハートの形をしているんだと思うんだ。みんな、完全なハート形を持っていなくって、どこか欠けていて、でも、欠けているのが嫌でたまらなくて、そこから、いろんなものが抜け落ちちゃって……一生懸命パズルのピースを色んな所から探し出してきて、当てはめては間違えて、次のピースを探してどうにかハートに開いた穴を塞ごうとしてる……心に開いた穴の形が理想の人なんだと思う。でもね、やっぱり、外から持ってこようと思ってもダメなんだ。きっと、自分で、自分の中で埋めなきゃ……手伝ってもらうのはいいと思うよ、でも、埋めるのは自分なんだよ、理想を人に求めちゃダメで、例え埋まらなくても、どうにかこうにか不格好なハートのままでも、いつか埋めてやるって思いながら頑張っていくしかないんじゃないかなって……」
「なるほどね、欠けたハートか……私もそうかもしれない。いい事聞いたわ。ありがと」
アサミは、杜夫にお礼を言い終えると、俺を見て優しく微笑んだ。こんな顔を見せる事もあるんだと、ちょっとおかしかった。
二人の会話を聞いているだけで――二人に手伝ってもらって、俺はハートの穴を随分小さくできた気がする。
二人に手伝ってもらって、俺はちょっと変わった。
もちろん、不完全この上ないけれど、だんだんと埋めて行けるんじゃないかなって、そう思えた。
おしまい
誰からも好かれる魔法をかけて欲しいですか? 柳佐 凪 @YanagisaNagi
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