第3話 太陽の光

 今日のネット検索には身が入らない。約束の日は明日だ。明日、ユーマがやって来る。何と答えれば良いのか、その前に、魔法は本当にあるのだろうか――ある訳がない、そう思っているのだが、ユーマのあの真剣さは本物だ。ユーマ自身が、心の底から騙されているのか……。別に、適当に答えれば良いのだ、嘘でも本当でも、そんな事、構いはしない。しかし、そんなにいい加減な気持ちで、真剣なユーマに答えて良いのか、ユーマの顔を思い出すと胸が痛む。

 ダラダラとマウスを動かしていると、急に速報板が騒ぎ出した。何か、とんでもない事が起こったらしい。取り敢えず、ユーマの件は置いておいて、引きこもりの仕事に身をいれようと、ざわつく板に入って見た。飛び込んで来たのはとんでもないニュースで、思わず大声をあげて笑ってしまった。


『佐賀県が日本から独立! 佐賀国が誕生!』


 (痛すぎるwww)と書き込んでから、過去ログをあさった。読み進む程に、液晶に映り込む僕の顔から笑顔が消えて行く。本気だ――佐賀は本気で独立している。既に主要国への話も通っているようだ。アメリカも中国も、互いに牽制しあって認める事にしたようだ。中国は今では佐賀からの輸入食料が手に入らないと困る、と言うのも、中国の裕福層は国産の食料には手を付けず、いまや世界品質の独壇場を行く佐賀品質を簡単に切る事は出来ない。アメリカは表面上中国と仲良くすると言う外交が行われているので、とりあえず同調する事にしたのだろう。

 でも、僕は、それだけではないと思う。ネットのニュースを見続けていた僕にはわかる。佐賀県が、各国に沢山の教育者を派遣している事が関係しているのではないか――その教育者達は、一体誰を教育したのか……もしかすると、各国の要人も、生徒のうちの一人なのかもしれない……もちろん、憶測の域を超えないのだけれど……。

 肝心な日本の方は佐賀の独立を認めていない。認めていないと言うより、前例がないので、どう対処して良いのか分からないのだろう。これから、佐賀を国として認めるかどうかの国民投票をする、その為の新しい法律を作る、その法律の草案作りに入ると発表しているのみで、目立ったコメントをしていない。何とも情けない事だ。

 また、スレがすごいスピードで更新し始めた。佐賀国の初代大統領が、独立宣言演説を行うらしい。動画で生放送するらしく、URLが貼られた。直ぐにリンク先へ飛ぶと、しばらくして、議会壇上が映し出された。佐賀県議会だろうか、いや、もう、佐賀国国会議事堂と呼ばれているのかもしれない。

 画面に多くのコメントが流れる中、議場に女の子が登場した。まだ、二十歳そこそこに見えるその子には、何だか見覚えがあった。


 タイミング良く画面に流れた(テラカワwww)と言うコメントを見て思い出した。これは、テラ可愛いと評判になった、テラドル――リサだ。スーツ姿は始めて見るので、一瞬分からなかったが、すらっとしたスタイル、長い髪を後ろでひとつに束ね、薄化粧だが、整った顔立ちで、目を引く雰囲気は失われていなかった。確か、彼女は佐賀出身だったはず……。そして、僕と同い年。きっと、佐賀のピーアールのために駆り出されたのだろう。彼女はマイクの前に立ち、大きく深呼吸をして、口を開いた。耳には赤いピアスが光っている。


『私は、佐賀国の初代大統領を務めます、飯盛いさがい理沙りさです。ここに、佐賀国の独立を宣言します――』


「まさか、そんな……」


 最初の一文以降の言葉は耳に入って来なかった。自分と同い年の女の子が、一国の大統領になる――信じられない。こんな事があって良いのだろうか、あるはずがない。いや、あってはならない筈だ。


 こう言う時には、誰かに賛同を求めたくなる。動画のコメントには同じ様な人間が溢れかえっていた。(信じられない、あり得ない)と言う言葉が並んでいる。僕も続いて同じ様な事を書き込もうとした。でも、とめどなく流れるコメント達を見ているうちに、急激に自分が冷めて行く――と言うより、客観的になって行くのを感じた。


『あり得ない』って決めるのは誰なんだろう。あって良い事と、あってはならない事を決めるのは、一体、誰なんだろう……そう、誰でもない。そんな事、決められる人間など存在しない。やろうと思った者が、やり遂げられるかどうかなのだ。


 頭では分かっていても、なかなか認められない。僕が、やれない人間だからだ。だから今もここにいる。誰にも会わずに、独りでパソコンの前に座っているのだ。


 この衝撃的なニュースは僕の心を無造作にかき混ぜた。自分を顧みて落ち込んだり、何とも言えない高揚感が訪れたり、高ぶる房総沖の波のように上がったり下がったりを繰り返し、やっと落ち着いてきた時、僕の中にある答えが生まれた。


 こんな事が起こるのならば、魔法だってあっても良いんじゃないだろうか……。同い年の女の子が大統領になった……僕は……僕はいつまでここで、じっとしているつもりなのだろうか。その時、僕の心を握り込んで離さなかった、力の強い真っ黒な手がすっと消えて行く様な、清々しさを感じた。



「――魔法を掛けてくれ」僕がそう言うと、ユーマは驚いて目を丸くした。


 約束の日を向かえたものの、ユーマは、まだ僕が決断出来ていないと思っていたのだろう。しかし、直ぐに右の眉だけ釣り上げて見せて、ニヤリと笑うと、静かに右手を上げ、人差し指を真上に向かって突き立てた――その指先は、ゆっくりと下ろされて、僕の顔の前で止まり、軽く額を突いた。


「はい、おしまい。もう魔法にかかったよ」

「何も変わってないじゃないか」

「そりゃそうさ。ここには僕と杜夫しかいない。魔法使いと、魔法を掛けられた人しかいないんだから」

「魔法使いには、魔法は効かないんだったな、じゃあ、確かめようがないね」何だかペテンにかかった気分だ。


「考えが閉鎖的なんだよ、いや、“考えも”閉鎖的と言うべきか……。外に出て、人に会いに行こうよ。世界中の誰もが、君の事を好きになっているはずなんだから」言うが早いか、ユーマはドアを開け、階段を下り始めた。


(お、おい……)声にならなかった。


「おばさーん、杜夫のお母さん! お腹空いたよぉ何か食べさせてぇ」


 僕はユーマを後ろから羽交い絞めにして、口を塞ぎたかった。しかし、既に彼の姿はふすまの向こうに消えてしまっている。僕はあわてて駆け出して、ユーマの後を追った。まったく、なんて事をしてくれるのだろう……母親とも、この三年はろくろく目を合わせていない。もちろん、会話という会話もない。


「大丈夫さ、お母さんから見たら、杜夫は理想の息子なんだぜ。それとも、やっぱり、俺の魔法を信じていないんだな」僕の心を見透かして、適切な答えを投げかけながら、ユーマは階段を降りて行く。


「そう言うわけじゃないけど……。いきなり、ハードルが高すぎないか?」ユーマに追いついて、その肩に手を掛けようとした時、母親とバッタリ目が合ってしまった。丁度、廊下を歩いていたらしい。階段口から呼ぶユーマの声を聞いて、母が見上げた視線の先に、僕がいた。


「う……あ……」これが精一杯の僕の声だった。


「あら、ユーマくん来ていたのね。ちゃんと二人分用意してあるわよ。どうかしたの杜夫? 早く食べちゃいなさいよ」いつもは僕をみる度に、目を涙でいっぱいにしていたのだが『どうかした』のは、そっちの方だ、こんな素っ気ない言い回しは、やはり、三年ぶりだ。

 そそくさと、忙しげに行ってしまった母の後にユーマが続く。二人の後を、恐る恐る追いかけると、ユーマが振り向いて、小声で言った。


「杜夫のお母さんにとって、理想の杜生って言うのは、普通の子って事なのかな?」ユーマは言い終えるが早いか、クスクスと笑った。


 僕はユーマの魔法を信じている――と言う事になっている手前もあって、先に歩くユーマの後をついて食卓に座る以外の選択肢を持たなかった。母親は見当たらない。洗濯物を干しているのだろう。庭の方で物音がする。


 それにしても、うちのキッチンは、こんなにも明るかっただろうか、眩しい目を擦りながら、懐かしい様な、新鮮でもある様な……。もう三年も母親の手料理を口にしていない。引きこもり始めて、絶食を決め込んでいた僕に、母親は、苦肉の策であろう、お金の入った封筒を定期的にドアの下から差し込む様になった。

 僕は夜中になると、数日分の食料をコンビニへ買いに行く。引きこもりも、食わねば始まらない。ただ、コンビニに行く時に、いつも、僕の分の食事が食卓に用意されているのを見るのは辛かった。手料理を食べようとしない僕に対する嫌がらせかとも思った。僕がコンビニに行く時には、必ず、僕の分の食事が食卓に並んでいた。きっと、毎日、僕の分の食事も用意をしているのだろう……。


 久しぶりの母親の手料理はカレーだった。

 美味しかった。

 涙が出た。

 あっと言う間に全部食べ終えた。


「もう空っぽなの? 杜夫は昔からカレーが大好きだからねぇ」何時の間にか、母がキッチンへ戻って来ていた。「いつも、あっと言う間に食べ終えちゃって、この前も……。あら、この前っていつだったかしら」

「おばさん! ごちそうさま! 美味しかったよ、また食べにくるね」ユーマはそう言うと、僕の手を引っ張って、玄関へと連れ出した。

「あら、行ってらっしゃい。男の子は、本当にじっとしていないわね」と言う声を背中に、気が付けば、僕は眩し過ぎる太陽の光の中にいた。

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