第2話 魔法の効力と法則


 三年の月日は、代わり映えのない一日の積み重ねだった。僕はヒキコモリのまま、何も変わらず、ユーマは大学生になった。僕の中で、変わって行く事と言えば、僕の心が、だんだんと小さくなって行くと言う事だけだ。ひとりでに小さくなるのではなく、自分以外の、ものすごく力の強い人から、ギュウギュウと心が潰されて行く様な、そんな感覚だった。いつでも胸が苦しくて、心が晴れる事はない。ユーマといる時でさえそうだ。僕の表側はユーマに笑顔を見せているが、裏側には、例の力の強い人がいて、僕の心を、真っ黒な手で握り込んで離さない。


 ユーマの話は、とても信じられる内容ではなかった。でも、約束した以上、信じたふりをして聞いた。突拍子もない話だが、それが本当であれば良いと、バカな希望を持ってしまったりもした。その瞬間だけ、握られた心が開放される様な感覚を覚えた。


「解ったよ、ユーマ。つまり、君は魔法使いなんだね、そして、僕に魔法をかける事ができるわけだ」

「何度も言っただろ、そうとしか言っていないぞ。ほら、童貞のまま三十歳になると魔法が使えるようになるって聞いた事あるだろ? アレって全員じゃないけど、ほんとに魔法使いになったやつがいるんだよ。実は結構な人数なんだけど――心がきれいで、三十歳で童貞で、掃除好きな男には、神様が現れて、魔法を授けてくれるらしい」

「掃除好きって何か関係が有るの? 胡散臭いなぁ」

「うるさいな、知らないよ、聞いたままを言っているだけなんだから――とにかく、その中で特殊な魔法を持った人がいたんだ。人を魔法使いにできると言う魔法を持った人がね。その人が、僕が東京で会って来た人なんだ。ともかく、僕はその人に出会った。そして選択するように言われた」


「それが、『誰にでも好かれる魔法をかけられる側を選ぶか、誰にでも好かれる魔法をかける側の魔法使いになるか』だね」


「そうさ、それから、魔法の効力と法則についての話を聞いたんだけど――覚えていないだろうから、紙に書くよ。スケッチブックを出しな」引き出しからスケッチブックを取り出すと、ひったくる様にユーマが奪い取った。


 昔は絵を書くのが好きだった。スケッチと言うより、頭に思い浮かんだ風景や人物、動物たちを書いた。昔の自分を思い出すのが嫌で、手を付けなくなってしまった。ユーマに絵を見られるのは嫌だったが、過去の自分と向き合いたくないと思っている事を悟られるのは、もっと嫌だった。ユーマは、昔の僕が書いた絵を気にも留めずに古びたスケッチブックをパラパラとめくり、白いぺージに辿り着いた。


一.魔法をかけられたものは、出会った相手の理想の人に変身する。


二.出会った相手の理想の人物像を超えた時に魔法は全て解ける。二度と魔法にかかる事はない。


三.魔法使いになった者には魔法は効かない。


以上


「ちゃんと覚えていたさ。『一』は、出会った人全員に好かれますって事だよね?」

「そのとおり。魔法使いを除くけどね」

「魔法使いには魔法は効かないからか……。『二』は……相手の理想を超えるって――無理じゃね?」

「難しいだろうね……」

「一生魔法がかかったマンマでも、ぜんぜん平気、と、言うか、誰だって、一生みんなから好かれ続けたいと思うだろ?」

 ユーマは答えなかった。それは、そうじゃない人もいるだろうから、絶対ではないだろうけど、大体の人は、みんなから好かれたいと思っているに違いない。

「最後だけど、『三』を選ぶ人っているの? 何のメリットもないんじゃない?」

「少ないけど、メリットがないわけじゃない。魔法使いになれば、魔法にかからなくなる。例えば、杜夫が魔法をかけられたとしても、魔法使いである俺から見れば、杜夫は元の杜夫のままなんだ。どんな魔法使いにも、僕をだまくらかす事はできなくなるのさ。それに、魔法使いになっても、魔法を使わなければただの人……。今までと何も変わらない。デメリットはないんだ。まあ、一番の理由は杜夫も知ってのとおり、俺は元からモテモテなのさ。魔法なんかなくってもね」


 僕は腕を組んで少し考えた。魔法を使わなければただの人なんだから、デメリットはないって言うけれど、わざわざ、この千葉から東京まで出掛けていくこと自体がデメリットに感じる……あんなに人が大勢いるところに……。


「うーん……。釈然としないけど、ユーマは魔法使いになる事を選択した。だから、僕に魔法をかける事ができると言うわけだな」


「その通り」と、言うとユーマは胸を張った。子供っぽい仕草も何だか様になる。女の子なら、可愛いともてはやすのだろう。

 確かに、ユーマは自他共に認めるモテ男だ。でも、やっぱり、釈然としない……相手が男と言うのは、ひょっとしたら嘘かもしれない……本当はものすごい美人なんじゃなかろうか……。


「ひとつだけ注釈を入れておく。間違えやすい事だけど、自分の思い通りの人間に変身出来るわけじゃない。あくまでも、出会ったその相手が求める人間に変身すると言う事なんだ」

「解ってるけど、何か違いがあるのかい? 相手の考えている事を読む力は無いんだから、自分の思い通りの人間に変身しても、相手の好みかどうかはわからないじゃないか。相手の好みに合わせてくれる方が都合が良いんじゃないの?」

「……で、どうする。君は魔法を掛けられる側、魔法をかける側、どちらを選ぶ?」

「どちらも選ばないって言うのもありなのかい?」


 ちょっとからかって見せたつもりだったが、ユーマは特段に顔を曇らせた。しまったと思った。

「やっぱり信じてないんだな。さっきまで、一生魔法にかかっていたい、誰だってみんなに好かれたいと言っていたじゃないか。俺は杜夫を信じて話したのに、杜夫は俺を信じていない。もうこの話はやめよう……言ったろ? 信じてくれなければ、意味のない話なんだ。今後、俺はこの話を絶対にしない。杜夫は聞いた話は忘れてくれ。もっとも、俺を頭がおかしい奴だと言いふらしたいならそれでも良い」


 まさか、こんな反応が返ってくるとは思わなかった。ユーマは――本気なのだ。


「信じているよ、信じているさ」


 まるで、自分に言い聞かせている様だ。信じなきゃ、僕にとっての唯一の光を失うぞと、ユーマの手を握りながら必死に伝えた。


「でも、いきなり魔法使いになるか、魔法を掛けられるかと言う話になったら、誰だって悩むだろ。そうさ、こんなに決意に時間がかかるぐらい、僕は重要な事だと思っているんだ、ユーマを信じているからこそだよ。だから、少し時間をくれないか」


 失いかけた光が、また輝きを取り戻した。とっさに出た言葉にしては上出来だ。ユーマは、それもそうか、と、あっさり納得して、こう言って部屋を出て行った。


「三日後にまた来る。その時までに決めて置いてくれ」


 











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