誰からも好かれる魔法をかけて欲しいですか?

柳佐 凪

第一章 魔法

第1話 長くてあっという間の日々

 引きこもりなんて誰が好き好んでなると思う? でも、やってみたら、意外とパラダイスだったりするんだよ。理想郷はここにあるって思ったね。

 でもね、他の誰かが気になり始めると、なんだかそわそわしてくるんだ。比べてもしょうがないのにね……。

 とにかく、僕を部屋から出そうなんてことは、魔法でも使わない限り難しいんじゃない? つまり、無理だってことさ――



 今日も日が暮れる。明日も日が暮れる。

 部屋を出なくなってから一ヶ月が経った。いつものように、ネットで世界と繋がる。何の不自由も感じない。今、世の中はネットを中心に動いているんだ。ネットで世界中の人達は繋がって、凄いスピードで、これまで誰も見た事ない世界を作り上げて行くんだ。僕もその一員だ。僕は、昼も夜も、最も貢献している内の一人だ。

 でも、昼は良くない。現実の――リアルの世界では、夜の方が治安が悪いけど、ネットの世界では、昼の方がタチが悪い。低俗な奴らが多いんだ。ガキや、ただ、誰かに愚痴を聞いて欲しい奴らで溢れている。実に迷惑だ。この場所は、もっと高尚な、最先端の何かを作って行く場所なのに。奴らはちっともわかっちゃいない。僕らは、新しい世界を作る創造主なのだから。

 今日の話題は、新しい日本国総理大臣が選出されたと言うニュースだった。総理大臣なんて、世界中の富みの九十九パーセントを支配している奴らの操り人形に過ぎないなんて事は、十八歳の僕だって知っている、常識だ。選挙なんか建前だけだ。総理大臣が変わっても、世の中、何にもかわりゃしない。

 世界を変えるのは僕たちだ。ネットの力で変えるんだ。


 昨日も日が暮れた。今日も日が暮れる。

 あれから――どれぐらい経ったか……また総理大臣が変わった。何もかもうざい。誰が何をしようが、何の影響もない。思ったとおり、世界は何も変わっちゃいない。総理大臣が変わっても、世の中どうともならない。やっぱり、誰にもどうしようも無いんだ。どっちかと言うならば、悪くなっている。


『四年の任期満了を待たず、内閣総辞職に伴う総選挙で、歴史的な総理大臣が誕生』「あれからだいたい三年か……」


 三年の引きこもり生活は、途方もなく長い。でも、あっと言う間に感じる。過ごした日々はあっと言う間だが、失った日々は途方もなく長い、そう言う事だ。こんな事を考えるのも久しぶりだ。

 ネットの情報を、くまなく網羅するのが引きこもりの勤めだ、何かわからない使命感が罪悪感を少し和らげる。速報を頭から読んで行く、文章を読むのは早くなった気がする。


「新総裁の年齢が四十九歳……若いな。所属は――無し!? なしって事があるか? 最大派閥から総理大臣が出るんだろ? 無所属なんて……」


 僕は記事を読み進めた。久しぶりに驚きと言う感情を味わった。

 この二年の間に、だんだんと感情と言うものが目減りして行くのを感じていた。そう、感情は減って行くのだ。きっと、飯を食って体が作られるように、感情も、外から何かを入れないと生まれないのだろう。そう言う意味で、僕は久しぶりに感情と言う飯を食った。きっと、良い餌だった、だから、この事は忘れずにいたのだ。だから『あのニュースへの伏線』だったのだと、後々気が付く事ができたのだ。


杜夫もりお、いるか? ま、当然いるわな」


 友人の北司ほうし伊馬いうまが、いつものように、長くしなやかな足をドアからにゅっと忍ばせる。わざとやっているとしたら、相当腹黒い男だと思う。


「ユーマか、久しぶりだね」


 イウマと言う名前は呼びにくいので、あだ名はユーマだ。見た目がお粗末な僕にとって、ユーマのすべては輝いて見える。ドアのサンに頭をぶつけないように頭を少しかがめると、金色の髪が、シルクのカーテンの様にサラリと流れた。子供の様な無邪気な笑顔をキラリとまた光らせる。パソコン机の椅子に座っていた僕は、いつものように椅子を回転させユーマを見上げた。

 部屋から出ない僕を訪ねてくる人間が二人いた。今現れた、罪深いユーマと、おばあちゃんだ。祖母は、まるでのび太のおばあさんのように、僕の全てを受け入れてくれるやさしい人だ。一時期は、僕と祖母とで二人で暮らしていた事もある。小さい頃から何かあるたびに一人暮らしの祖母を訪ね、慰めてもらった。そのたびに祖母は「もう大丈夫だよ」と頭をなでてくれた。僕は祖母に甘え過ぎている事を自覚していたが、素直になれず、大好きな祖母を邪険に扱うようになってしまった。そしていつしか、訪ねてくれる祖母にも会わなくなってしまった。


「僕だって、トイレぐらい行くよ」


 ユーマの事も大好きだ。でも、おばあちゃんのように……いつか、ユーマにも会わなくなる日がくるのかもしれない。


 ユーマは僕に、いつも、取り留めもない話しをした。ハンバーガーの新メニュー、ネットの笑える書き込み、隣の家の八百屋さんの話……。どれもつまらない内容だ、でも、いつでも楽しい時間になる。これはきっと、ユーマの魅力なのだ。ユーマが話せば、どんな話も色付いて見える。

 僕はユーマに心から憧れていた。こんなにも気作な性格で、見た目は抜群、狼の群れの中の白狼のようだ。笑顔になればその辺の女の子じゃ相手にならないほどの可愛らしい表情を見せる。

 憧れているのは僕だけじゃない。高校の同じクラスの女子は皆、ユーマと話す時いつも誇らしげにしていた。それは、他のクラスの女の子達が、まるで、アイドルを眺める様に廊下から見つめるその目の前で『普通の友人』として接する事ができるからだ。女の子達は、まるで宝塚の男役のように胸を貼ってユーマと話す。ユーマと普通に話せる事は、彼女達にとっての特別だったのだ。

 それに引き換え、僕はどうだろう。比べるまでもないし、比べたくもない。しかし、否応なしに比べてしまう。ユーマの輝きがまぶしければ眩しいほど、僕の背中に落とす影の色を濃くする。そして、ユーマはそれを分かっている。分かっていながら、気が付かないふりをする。僕を普通の友人として――普通の人間として扱い、僕にも、僕が普通の人間の生活をしているのだと錯覚させてくれる。

 しかし、ユーマがこうして僕の部屋であぐらをかいて、リラックスしている姿を見ていると、時々、不思議に思う。掃き溜めに一角獣かユニコーンが舞い降りた様な違和感を感じるのだ。


「ユーマ、ずいぶん久し振りじゃないか。もうこのまま顔を見せないのかと思ったよ」冗談に聞こえるように笑顔を作って話す。実は本当にそう思っている事は、ユーマも分かっているだろうに。


「ああ、ちょっと遠出していてね。東京に行っていたんだ。どうしても会いたい人がいてさ。もちろん――男だけどね」ユーマは少し笑って見せた。誰をも魅了する、はにかんだ笑顔だ。


「ユーマが人に会いたがるなんて珍しいじゃないか。愛想は良いけど、人嫌いなんだろ?」

「さすが、杜夫。よく分かっているネェ。でも、誰も彼も嫌がっているわけではないよ。杜夫にも、いつも会いにきているじゃないか」

「それはそうだけど、やっぱり、珍しい事には変わりないよ。何かあったんじゃないか?」


「うん――」ユーマは立ち上がると、くるりと後ろを向いた。「まだ、話すつもりはなかったんだけど……聞くかい?」と、言いながら、ベッドに座ると不安そうな顔でこちらを覗き込んだ。


「そこまで言って、聞かないはずが無いだろう? 早く話しなよ」

「でもなぁ、きっと信じないよ。特に、杜夫が信じなさそうな話だし」

「信じるかどうかは、聞いて見ないとわからないだろ」

「それはそうなんだけど……この話は、信じてもらわなければ話す意味がないんだ」


 ユーマはいつもとは違う真剣な表情で僕を見つめている。こんな顔を見たのは、三年ぶりだ。僕がこの部屋を出ないと決めた、あの日に話したとき――

(杜夫がする事に反対はしないさ、でも、これだけは約束してくれ、誰に会わなくなっても、俺だけには絶対に会うと)

 十八歳のユーマは、今と同じ顔をして言った。

 僕は一瞬自分の体が震えたのを感じた。ほんの一瞬だけだ、ユーマにも気づかれていないはずだ。


「わかった、信じるよ。信じるから話してくれ」

「いや、分かっていない。本当に信じてくれないなら話さない」

「信じると言っているだろう? 僕がユーマに嘘をついた事があったかい?」

「……分かった、実は、俺も初めは、とても信じられなかったんだ――」

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