第25話 綺麗に死ぬには……

「久しぶりだね。有里香ちゃん。まさか、こんなところで会うとは思わなかった。コーヒーは飲まないんだと思っていたよ。いつもアイスティーだったからね」


 私はコーヒーを飲まない。だから、注文もしていない。死ぬ直前に、急にトイレに行きたくなっても困ると思ったのも理由のひとつだ。テーブルに乗っているのは、あの男が飲んだコーヒーカップがひとつだけ……。自称魔法使いの男がいない今は、私のカップだと思われるのも仕方が無い。だけど、代金は私が払ったのだから、所有権としては、それは間違いなく私のコーヒーだった。


「座っても良い?」


 やはり一人だと思われたらしい。さほどのためらいもなく、彼は座ってしまった。よりによってにだ。魔法使いが言っていた『ある人物』は一体いつ現れるのだろうか、それ迄にこいつをどかしてしまわなければならない。しかし、何と言えば良いだろうか、本当の事を言えば――これから死のうとしていると言えば、返って居座られてしまうだろう……かと言って、あまり突拍子もない嘘だと見破られてしまう、私は嘘が苦手なのだ。最低限の嘘でとどめよう、そうすればきっと、自然に嘘を覆い隠す事ができる――と嫌いな嘘をつく事に決めた。


「こんばんは、太一。でも、悪いけど待ち合わせなんだ。だから、あんまり時間ない」


「何時に約束しているんだい?」


「え? すぐよ、すぐ。もう、約束の時間過ぎてるのよ、ええとほら! もう、九時

過ぎてるでしょう。だから時間ないの」


「ずいぶん過ぎてるね。もう九時二〇分だよ。ゆったりな人なんだね。じゃあ、それまで暇つぶしに付き合ってあげるよ……気にしないで、僕は時間があるんだ。そういえば、見たいと言っていた映画なんだけど、さっき一人で観に行ったんだ、でも――」


(計算外だ……しかし、思い返してみれば、太一と話していて計算通りに行った試しがない。バカすぎるから、いつも、想定外の返答をしてきて、私はいつも、ペースを乱される。これから死のうとしている人間が、こんな能天気な会話をしている場合ではないのに……もし『ある人物』が現れて、座る席が空いてなければ、一体どう言う結果になるのだろうか、やはり、約束を果たした事にならず、魔法は無効になる? いや、あくまで気持ちが悪いのは、魔法云々ではなく、約束を破る事だ。どんな事があっても約束は約束、絶対に守られるべきなんだ)


「その時主人公がさ、日本を変えるために国会議員を目指す話なんだけど、もう無茶苦茶でさ! 中卒で、ずっとフリーターで、バイトも長く続かなくて……。でも、ある出来事がきっかけで、急に進む方向が変わって……あ、ごめん、この手の映画好きじゃないって言ってたっけ? ごめんね夢中になっちゃって」


 気まずい沈黙の中で、二人はお互いの目を見て互いを探り合った。私は不思議と上手く話せそうな気がしてきた。


(ドタバタコメディはあんまり好きじゃない。なんと言うか、そう、底抜けに明るい事が、何だか腹立たしい……。そんな事あるわけないじゃん、と思ってしまう、いくら誘われたって、絶対に行かないし、嫌いだってはっきり言ったのに、なんでこの話をするんだろう……もう一度はっきり言ってやろう)


「ううん、聞きたいよ、その話、急に人生変わったりしたらすごいね!」

「そ、そう? 聞きたくないと言うのかと思ったよ、良かったぁ」


(……あれ? 私は今、何と言った? こんな事、言うつもりじゃないのに……なに? この、空気読みましたみたいな返事。ついに私の頭は狂ってきたの? 口が勝手に――考えている事と違う事を言ってしまった)


「僕……何だか嬉しいな。こうやって見た映画の話とか、こんな風に喫茶店とかで話したりするのが夢だったんだ。夢って言うと大袈裟だけどね、おかしいかな、でも良かった、話せて嬉しいな」


(いやに喜んでるな……そう言えば、随分前にもこんな話をしていたかな……いや、そんな事を考えている場合じゃない、早くその席を空けなければ、もう良い加減、黙れと言おう)


「――ちょっと……声が大きんじゃない?」

(違う! ちょっとちがう、もっときつい言葉で……太一を傷つける程の言葉を使ってやりたいのに! 一体どうしてしまったの……? 私が私でなくなってしまったの? 言いたい言葉が出て来ない!)


「でも、太一、忙しいんじゃないの? ここにコーヒー飲みに来て、それからどこへ行くつもりだったの?」

(――今度は、まあ、良い感じだ、早く次の用事に行けばいい)


「うん、実は呼び出されて、ここで待ち合わせだったんだけど、やっぱり行けなくなったってメールが入ってね、コーヒー買っちゃったし、ちょと時間つぶして帰るかって思ってたら、大きなくしゃみが聞こえたってわけさ、だから気にしないで、時間はたっぷりあるから」


(参った、逆効果だ、次の手を考えなくては……そう、あんたは暇でも私は忙しいんだ)

「私は実は忙しいんだ、だから、そろそろ帰らなきゃ」

(そうそう、今度こそ良い感じだよ。ちゃんと考えた通りに話せている)


「待ち合わせはもういいのかい? そっか、じゃ、キリの良いところで帰ろうか」


(それで良い)


「じゃあさ、映画の話が終わったら帰ろう――その主人公だけどね、言ってみればダメ人間だったんだよ、それまでは。でもある時に急に人が変わって、周りの事にも目もくれず、突き進むんだけど……」


(また、ドタバタ映画の話か……でも、この話が終われば、大人しく帰るだろう。もうちょっとの辛抱だ。しかし、そんなに急に人生変わるって、あるワケない。何が起これば、そんな事になるのか、ばかばかしい……)


「でさ、ストーリーは、実は日本は悪の組織に裏で支配されているんだけど、国会議員になるために、いろいろ勉強したり、いろんな人にあったりしているうちに、それに気が付いてさ。いろいろ妨害を受けて挫折しそうになるんだけど、その度に、できないなら別の方法を考えて、見つけて、また前に進んで、それを繰り返して……僕、そう言うの好きなんだよね。前向きな人が大好きなんだ、僕のなんだ」


(後ろ向きで悪かったわね。そりゃ、私はこれから死のうとしてますよ。でもね、綺麗に死ぬ方法を探してるのよ、前向きでしょ?)


「僕さ、有里香ちゃんの事、尊敬してるんだ。有里香ちゃんはいつも前向きで、僕を引っ張って行ってくれて、僕にとってのってだと思うんだ」


(あんた、ずいぶん勘違い……笑えてくるわ、私のどこが前向きだと?)


「でさ、それで告白したんだ。恋人になって欲しいって、すごく思ったんだ。でも、ふられちゃったけどね、でも良いんだ、僕をふっても、有里香ちゃんが僕の理想だと言う事は変わらない、それで良いんだ。僕は君をずっと好きでいれば、多分それで良いんだよ」


(太一、私……死のうとしてるのよ、後ろを向いてばかりなのよ)

「太一君、どうせいつか死ぬんだから、後ろばかりを見ていられないよ」


「そうかぁ、僕も、そう思えたらなぁ。やっぱりすごいなぁ、有里香ちゃんは……僕はバカだから、かっこ良い人に憧れるんだ。バカすぎて、自分が嫌になって――」


(そうね、あんたは前向きと言うより、ただのバカよね)

「そうね、前向きになるコツは、バカになる事よね」


「ありがとう……でも、僕なんか、死んでしまえば良いと、ずっと思ってたんだよ、ずっと、ずっと……でも死ねなかった。死ぬ方法が見つからなかったんだ、バカすぎると、死ぬ事も出来ないんだ」


(……私と同じ)


「でね、さっきの映画の続きなんだけど、国会議員になるために、せっかく集まってくれた支援者の人たちが、悪の組織の陰謀で、全員が主人公を嫌いになってしまうんだ、家族や恋人も――もちろん、誤解なんだけどね、集めた資金も持ち逃げされて、逆に大きな借金を背負って、絶望して自殺しようと街を彷徨うんだ。そしたら、その時に、横断歩道でトラックに跳ねられそうになったおじいさんを、咄嗟に助けてね、助けられたおじいさんが『ああ、良かった、あなたを巻き込まないで、ワシの願いは、人様に迷惑かけずに畳の上で死ぬ事じゃ』って言ってね、それを聞いて自分もそうしようと決めるんだ」


――私の思考は一旦停止した。どうにか太一を追い返してしまおうと、嫌いな嘘で塗り固めていたのに、うまくいかず、なぜだか、自分の思いも寄らない言葉ばかりが口から出てしまう――或いはそれこそが、望んだ嘘なのだとも気がつかず、いつしか太一の話に聞き入ってしまった。太一と一緒に考えてしまった。


「何か、考えちゃったんだ……かっこよくなりたいなぁってね、思ったんだ……。僕もなれるかな、有里香ちゃんみたいに」


(なれないよ。なってどうする)

「私にはなれないよ。太一は太一なんだから」


「そうか、そうだね。僕さ、ずっと考えてたんだ。どうしても有里香ちゃんの事が大好きで、有里香ちゃんはどうして僕の事好きにならないんだろうって、でね、気が付いたんだ、有里香ちゃんが僕の事を好きにならないのは、有里香ちゃんのせいじゃなく、僕のせいなんだって。僕が変わらなきゃダメなんだって。それに、有里香ちゃんが好きそうな男を目指すんじゃなくて、僕は僕なりにとっても良い男になって、有里香ちゃんをびっくりさせる様な、有里香ちゃんが想像もできない様な良い男にならなきゃいけないって。そしたら、有里香ちゃんもがんばって、負けるものかって張り合って、追い付いて、追い越して、二人ともがんばって、二人ともそれぞれ、一人ずつ自分で、かっこよくて幸せになってって、それをずっと続けていれば、きっと二人とも、それぞれ幸せになるんだ。そして、幸せな二人が付き合ったら、絶対に幸せになれるよね」


(――それぞれ幸せな二人が付き合って始めて、二人とも幸せになれる……)


「今度、宝石店の販売員の面接を受けるんだ。きれいなものが大好きだから、綺麗な宝石に囲まれて仕事出来たらと思うとワクワクするんだ。ねぇ、もし、採用されたら、付き合ってくれないかな。もしダメでも、もっと頑張って、仕事ができる男になったら、また、告白する……ずっとする。そしたら、いつか――付き合ってくれませんか?」


(カッコ良くなれればね……)

「カッコ良くなってね……」


「ありがとう、有里香ちゃんは僕の理想の人だよ。僕のってなんだ……ただ……」


「ただ……なあに?」


「ちょっとだけ、『話し方』に気を付けるだけでいいと思うんだよね……」



――コーヒーショップの外から、二人の様子を伺う男達がいた。有里香と太一は、傍目から見ると、初々しい仲良しの恋人同士にしか見えない。そして、同じように街に行き交う人々にも、それぞれ、彼らが主人公であるいろいろな物語が秘められている。


「ユキヒコ君、大丈夫かい?」

「うるさいなぁ、もう、杜夫に戻ってるだろ? まあ、何とか大丈夫だけどね……」

「だから、気を付けろって言っただろ?」

「うん……今度は大丈夫だと思ったんだよ……」

「なあ……杜夫、綺麗に死ぬ方法ってどうすれば良いと思う?」

「二回も引きこもりを経験したら、さすがに分かったよ。綺麗に死ぬには、真っ当に生きることだ」

「だよな?」

「だよ」





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