第10話 タカシの暴走

 僕は久しぶりにネットのニュースを見た。しばらく離れていた事で、世の中の事にすっかり疎くなってしまった事に危機感を覚えたからだった。それから、ユーマに言われてリサの動向をチェックするため……どうやら、皇居を訪問するために東京にいるらしい……かと言って、すぐに会える人ではないだろうが。

 リサの動向は簡単に知れてしまったので、速報板をあさってみた。しかし、僕の心に響くようなネタは見つからなかった。ニュースの内容が変わったのか、自分が変わってしまったのか。今、僕は誰だろう、僕は僕自身だろうか、それもよくわからない。でも、変わってしまったのはしょうがない、自分で選んだ選択肢だ。そう思い、パソコンをシャットダウンしようとした時、気になるニュースが目に入った。


『松戸市の高級クラブラウンジに強制捜査――従業員に覚せい剤常用の疑惑! 経営に暴力団がかかわっているとの疑い』


(これはきっと……まゆみの店だ)僕はいても立ってもいられなくなり、上着を掴んで外に走り出た。タクシーを拾って松戸へ向かう。

(行って何になるのだろうか……。それより、もう、まゆみとは関わってはいけないのではないだろうか……でも……)

 タクシーを降りると、店の前には警察車両と思われる灰色のバスが止まっていた。

(さすが、速報板の情報は早い……まだ捜査中なのか)店まで来たのは良いが、どうしようかと伺っていると、警察官らしき人に腕を掴まれてまゆみがビルから出てきた。

「まゆみ!」僕が叫ぶと、まゆみもこちらを見た。目が合った瞬間、僕は――タカシは駆けだした。まゆみを拘束している警官を殴り倒し、まゆみの腕を掴んで駆けだした。近くにあったバイクにポケットに入っていた家のカギを力ずくで押し込んでねじると、なんと、ロックが解除された。力強くキックを蹴るとエンジンがかかり、そのまま、まゆみをタンデムに乗せて逃走した。警察は突然の事にあっけにとられていた様でしばらく追いかけて来なかった。

 五キロぐらい走ったところで、バイクを川へ投げ込み、近くのラブホテルに入った。まゆみはタカシから抱きついて離れない。

「タカシ……危険な事はしないでって言ったのに……でも……嬉しかった」

 涙でぐしゃぐしゃなまゆみの笑顔を見た時、僕は言いしれない恐怖を感じた。背中に悪寒を感じ、思わず目を逸らした。目を見てはいけない。目が合った瞬間、どうやら僕は彼女の願いを聞いてしまう。目を逸らしただけで魔法が解けるわけではない。彼女の領域から抜け出るまでは、僕はタカシのままだ。

 丁度その時、携帯が鳴った。ユーマからだ、気が付いてはいなかったが、着信が何件も入っている。

「杜生! やっと出たな。杜夫のかあさんから連絡があって、杜生に連絡が付かないけど知らないかって……杜生のおばあちゃんが病院へ運ばれたらしいぞ、なんだか、あまりよくなさそうだ。おばさん……泣いてた……」

「ばあちゃんが病院へ?」

 祖母は、いつからか僕に会いに来なくなった。きっと、見放されたんだろうと思っていたが、もしかすると、体調を崩していたんだろうか……。僕はホテルの天井を見上げて、ぽっかりと口を開いたまま絶句した。

 まゆみが抱きついてきた。僕は恐ろしさを感じつつも、力強く抱き返した。まゆみの事が嫌いと言うわけではない。ただ、恐ろしい……恐ろしいのはまゆみではなく、タカシだ。タカシの暴走を止める術を僕は持っていない。

「病院……行ってきて……私、大丈夫だから……タカシが連れ出してくれて嬉しかった。でも、やっぱり、私の問題は私が解決しなくちゃね。あなたに会えなくなるのが怖い……でも、あなたを不幸にしてしまうのはもっと怖いの……だから……」

 僕はまゆみを抱きしめたまま、離せやしないと思った。僕はまゆみを見捨てられない。祖母の事はとても心配だ、今すぐ駆けつけたい、でも、どうしたらいいのかわからないが、今この場にいるまゆみを放って置く事はどうしてもできなかった。

「まゆみ……」

 僕は彼女を見つめた、すると、口から出てきた言葉は信じられないものだった。

「ここまでだな、もう会う事は無いだろう」

 まゆみ――彼女の理想の男性像は、とても僕の範疇に収まるものではないようだ。

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