第9話 理想の人物に変身するという事

 まゆみの視線を感じながら、自動販売機が置いてある角を曲がると、そこにはユーマが壁に背中を付けて立っていた。ユーマは、自分が最も美しく見えるポーズを知っていてそうしているのだろうか。惚れ惚れする様な美しい容姿を最大限に活かして腕を組み、その長い足を交差させて壁により掛かっている。

「やあ、杜生青年」

 僕は、僕に戻った。

「で、どうなの? シャバの生活は」

「シャバって、別に投獄されていたわけじゃないよ」

「似たようなもんだろ? どうなんだ?」

「まあ……悪くは無いって言うか……でも……」

「はっきりしないなあ……本当にこれで良いのかって思っているだろ?」

 無邪気な顔をしているが、洞察力は鋭いやつだ。

「そうだね、確かに、引きこもりの生活には戻ろうにも戻れそうも無い……外の世界は、こんなにも可能性が広がっていて、何が起こるか分からないと言う魅力に取り付かれてしまったよ。それは、良い事なんだと思う、でも……僕の中には沢山の僕がいる。彼らは、彼女達のために存在していて――僕の為に存在しているのは、僕だけなんだ。言っている意味が分かるかい?」

 ユーマは、首をひねり、少し考えるそぶりを見せてから寄りかかっていた壁から背中を離し、繁華街の方に向かって歩き出した。

「杜生は、相手の理想の人物に変身するって事が、どういう事だか分かるかい?」

 そう、それを今の今まで考えていた。そして、今、ユーマに会って、ユーマが魔法を掛ける前に言っていた事を思い出した。


『ひとつだけ注釈を入れておく。間違えやすい事だけど、自分の思い通りの人間に変身出来るわけじゃない。あくまでも、出会ったその相手が求める人間に変身すると言う事なんだ』


 相手が求める人間に変身できると言う事は、良い事だと持っていた。僕は、あの時こう答えた。


『解ってるけど、何か違いがあるのかい? 相手の考えている事を読む力は無いんだから、自分の思い通りの人間に変身しても、相手の好みかどうかはわからないじゃないか。相手の好みに合わせてくれる方が都合が良いんじゃないの?』


 自分の理想通りに変身しても、相手の好みかどうかは分からない。自分の理想の男性像を、相手が受け入れてくれるかどうかは、僕には分からない……いや、その自信がなかったと言った方が正しかったのかもしれない。所詮、僕程度の人間が思い浮かぶ理想の人間像など、他の人にとっては取るに足らない存在だと思い込んでいたのかもしれない。

 でも、今は少し考えが変わってきた。タカシは果たして、周りの人間に認めてもらえるような人間だろうか。確かに、オスとしては魅力的と言わざるを得ない。まゆみが惚れ込んでしまうのも分からないではない。しかし、女性を物の様に扱う事や、秩序に従わないところは、およそ社会的とは言い難い人物だ。まゆみはタカシの事をいつも心配している……いつ犯罪に手を染めて、警察に捕まったり、裏社会の人間に手を下される事になりはしないかと、はらはらしているのだ。万人受けする人物ではない――と、言うよりも、まゆみにとっての理想の人物は、まゆみ以外の人間にとっては、理想どころか迷惑な存在でしかない。

「相手の理想の人物に変身できる事がどういう事か分かってきた……と思うよ。ある人の理想の人物になると言う事は、それ以外の人の敵にまわると言う事なんだ。もしかしたら、僕にとっても……」


 ユーマは何も答えないまま、歩き続けた。やがて、駅に近づくと、あまり行きたくない方向へ向かって歩き始めた。

「ユーマ、何処へ行くんだい? 結構歩いたけど……」

 ユーマは、それでも、黙ったまま歩き続ける――そして、やはり……。

「最近、バイトにも行っていないみたいだね」と言って、マクドナルドの店内に入って行った。嫌な勘は当たった、行きたくない場所だった。まゆみや、その他の女性達に時間を費やすうちに、だんだんと遠のいてしまい、今では、ほとんどここへは来なくなってしまった。

 しょうがなく、ユーマの後を追って窓際の席に座り、カウンターで注文しているユーマを待った。

「何を気にしているんだい? 杜夫には魔法が掛かっているんだから、誰かに嫌われる事なんか無いさ、気にしないで座っていればいい」

 そうは言われても、あまり気分の良い物ではない。よりによって、ユーマは番号札をトレーに乗せて帰ってきた――店員がこのテーブルに商品を運んでくると言う事だ。

「さっきの話だけどさ……必ずしもそうではないんじゃないかな?」

「さっきの話? ああ、一人の人間の理想像は、他の人間の敵になると言う話かい?」

「そうさ、もちろんそう言うケースもある……。例えば、首相や大統領は、全ての国民の理想像になるべきだ、でも、求める側の立場の違いで、その理想像は大きく変わる。保守派とか、改革派とか……。でも、宗教家の場合はどうだ? 沢山の信者がいて、それぞれ、悩み事は違うだろう……でも、こういう宗教だと宣伝して、それを見て、選んで入信してくる信者が求めているものは、きっと、ほとんど変わらないんだ」

「言っている事が難しくて分からないよ……。もう、ちょっと待ってくれよ。もうちょっとしたら、何か答えが出そうな気がするんだ。今、僕が出した答えは間違いだと言っているんだろ?」

「……ひとつの答えだと思うよ……でも……」

 大統領や首相か……。そう言えば、独立した佐賀国はその後どうなっているんだろう。最近はネットもテレビもほとんど見ていない。

「佐賀国の大統領は、佐賀県民――いや、佐賀国民の理想像になっていると思うかい?」

「……杜生」ユーマは僕の目をじっと見つめている……。話を逸らしたと思われただろうか。

「知らないのかい? 佐賀国の新憲法は理想的だと褒め称えられているよ……そして、京都が佐賀国に組み込まれたじゃないか」

「京都が? どういう事だい?」

「本当に知らないんだな……。天皇が佐賀国を日本国の正統政府だと――日本政府の首相を指名から外して、佐賀国大統領を、天皇が正式に日本国大統領に指名したんだよ」

「分からないよ、どういう事?」

「詳しい事は俺にも分からないけれど、リサの父親って、日本の総理大臣だろ? 飯盛いさがい総理が何がしか噛んでいるんじゃないかって噂だよ……もう総理じゃないのかな? どうなんだろう?」

「え? 意味が分からない……リサの父親って――無所属で総理大臣になった、あの……」引きこもっていた時にネットで見たあのニュースだ。

「だから、俺も、そんなに詳しいわけじゃないよ。とにかく、天皇が佐賀を認めたので、京都は天皇を佐賀に渡すまいと、佐賀国編入を申し出たんだ。東京にないがしろにされていた立場を回復したいんだろ? そして、今生こんじょう天皇は来月にも京都御所に入る事になるそうだ」

「ってことはつまり……?」

「この千葉県は、日本じゃなくなったんだよ。まだ、日本政府は東京にあるから、日本は日本なんだけど、非公認日本国の千葉県になったんだ」

 全く意味が分からない。ネットの情報をあさる事が無くなった弊害が、こんな所に出てしまったのか……。ちょっと前まで、こんな話を説明するのは、ユーマではなく僕の役割だった。

 僕は世界中のありとあらゆる事に精通していて――いや、メッキが剥がれただけ……なのかもしれない。インターネットにつながる事で、僕は知識人になったつもりでいた――沢山の意見を取り入れて、自分の正しい意見を発信していたと思っていたが、そうではなく、人の意見を自分の意見だと思い込み、自分が賢者になったとでも思っていたのではないだろうか……。

 その証拠に、しばらく情報を仕入れないだけで、話の内容が全く理解できない……。例え、人の意見ばかりを収集していたとしても、自分の頭で考えると言う事をしていれば、この話を理解する事が――予測する事ぐらいは出来るはずだ。でも、それが出来ない。僕は愕然として、体中の力が抜けた……この三年、僕は何をしていたのだろう……。

「俺が思うに、リサと飯盛総理は、表向きは独立派と旧日本派で対立していると言われているけど、本当は裏でつながっているんじゃないかな? 飯盛総理は、もともと憲法改正派だったはずだよ。だとしたら、それは既に成功した事になる。佐賀国の憲法は、今の日本にとって理想の憲法だって言われている……そして、佐賀国政府が日本の正統政府になった。京都が佐賀国に編入し、もし、それに続いて各県が名乗りを上げたら……佐賀国の憲法が全国の憲法になる――理想の憲法にね、これって、どう思う?」

「わからないって言っているじゃないか! 難しい話をするなよ」

 ユーマは黙ってしまった。僕がユーマに怒る事なんてめったにない、と言うよりも、ユーマは僕を怒らせるような事はほとんどしないからだ。ちょっと前までは、この手の話は大好物だった。だからユーマも僕に話したに違いない。でも、今では……。

「――とにかくだ、俺が言いたいのは政治云々の話ではなくって……リサの理想の相手って、どんな人間だと思う?」

「ずいぶん話が飛んだな」

「飛ばしたんだよ、杜夫が怒るから……だからさ、二十歳そこそこで、一国の大統領になった女の子がいてさ……対立していると言われている日本の総理大臣と、実は裏でつながっていて……なんて、わくわくしないか? そんな女の子が理想とする男性像って、まったく検討が付かないよな……で、だよ」

「で……何だよ」僕は、嫌な予感がした。というよりも、もう、あらかた見当はついていた。

「リサに杜生が会えば、一発でわかるじゃんか、おもしろくない?」

「バ……バカな事を……」

 視線を感じて、途中で声を抑えた。

「あら、杜生君、思ったより元気そうで安心したわ……病気の具合はどうなの?」

 特性ハンバーガーを持って、二十六歳バツイチ女性店員が現れた……彼女の中では、僕が病気の為に休んでいる事になっているようだ。そうでなければ、理想のまじめな同僚と言うポジションから外れてしまうからだろう。

「いや……大丈夫ですよ……ゴホッゴホッ」と言っていると咳が出始めた……別にわざとらしく演技しているわけではない……本当に苦しくなったのだ――これはもしかすると……。

「やっぱり帰ろう、杜生、体に障るよ……。店員さんありがとうございます。また来ますね」とユーマは言うと、僕の手を引いて店の外へ出た。どうやら、僕の家へ向かっているらしい。

「ごめん、杜生、これは予測していなかった……あのままでは、魔法の効力でお前は病気にされてしまう。魔法の力は絶対だ――こういう事なんだ、相手の理想の人物になる事は負の部分も多くはらんでいる……。特に、恋愛をする時は気を付けるんだ。手当たり次第に声を掛けていると、とんでもないしっぺ返しを食うぞ」

 僕の脳裏に淋しげに笑うまゆみの顔が思い浮かんだ。

「なあ、本当にリサに会いに行ってみないか? これまで数人と恋愛をしただろうけど、ひとつもうまく行ってない。なにか、変えてみようよ……なあ、杜生……」

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