第18話 まだ会えない

「杜生が来るってさ」

「ここに?」

「ここに」

「今から?」

「今から」

「ちょっと待ってよ」

「俺に言うなよ」

「他の誰に言うのよ」

「本人に言いなよ、杜生に」

「そんなことしたら、会っちゃうじゃない」

「会わなきゃ言えないね、そりゃ」

「ぐぬぬぬぬ」


 どうやら、アサミは杜生に会いたくないらしい。理想の相手がこれから来てくれると言うのに、なぜ拒むのだろうか、アサミの考えている事はよく分からない。


「帰る!」

「え? 挨拶ぐらいしていけばいいじゃないか」


 立ち上がったアサミの手を思わず掴んでしまった。まさか、帰ると言い出すとは予測していなかった。なぜなら、彼女はきっと、ハンバーガー屋では杜生に話しかけるかどうか、それなりに悩んだに違いない。自分から向かって行くのと、向こうから来てくれるのでは、かなりハードルの高さが変わる、話したくなければ黙っていればいいのだし、途中で話したくなったら、それから話し掛ければよいのだ。

 しかし、アサミは帰ると言う……それほどまでにかたくなに会えない理由とは何だろうか。


「とにかく、今すぐに到着するわけではないんだから、ジョッキを空にするぐらいまでここに座っていてもいいんじゃないか?」


 アサミは少し落ち着いたようだ、まだ、半分ほど残っているビールジョッキを掴み、立ったまま肘を張って、ぐいっと一口飲んだ。何とか杜生に会わせて見たいものだ、しかし、これだけ嫌がっているのだから、あまり無理強いもできない……とにかく、もう少し聞きだす努力をして見よう。


「とにかく、座りなよ。でも、まあ、あれだね……あの、ハンバーガ屋には、良く行くのかい?」

「そうね、たまに行くわよ、でも、彼に会ったのは初めてだったわ」

「杜生は最近働き始めたばっかりなんだよ、それまでは、二、三年部屋に閉じこもりっきりでね。やっと外に出たんだ」

「それって、引きこもりってこと? 大変だったのね……どうして外に出てくることにしたのかしら」

「実は、それが魔法を掛けた理由なんだよ、あれだけイケメンに変身できたら、外に出るのも楽になると思わないかい?」

「イケメン? 彼のどこがイケメンなの? それに、魔法って何なの?」


(そうか、イケメンじゃない男が理想なんだった、それにしたって、はじめから魔法を掛けたと言っているのに、忘れてしまったのだろうか……。信じていないで、よく俺に付いてきたもんだな)


「まあ、いいさ、杜生は中学からの同級生でね、いい奴なんだけど、いい奴過ぎて、何でも自分独りで抱え込んでしまうところがあって……直接の引き金は俺にもわからないけど、突然出てこなくなった。今回は半ば無理やり連れ出したようなもんなんだ」


「そう……でも、何となく分かるわ」

「分かるかい? 君は引きこもりとは無縁の存在に見えるけど?」

「そりゃ、引きこもった事はないし、引きこもろうとも思わない、でも、何もかもリセットしてしまって、何にも考えたくなくなる時は私にだってあるわ」

「そうかい、意外だね」

 何だか急にしおらしくなってしまった……ブルドーザーの様な力強さを感じる言動からは想像もつかないが、彼女にも彼女なりの悩みや迷いがあるのだろうか。


「元気な時には笑い飛ばしてしまえるけど、そうじゃない時には、そうじゃない……誰だってそうだよ、きっと、アンタにもそんな日があるはずよ、今までなくてもこれから先は分からないわよ」

「俺にだってそんな日はあるさ、でも、君もそうだとは思わなかった、意外だよ」

「そう? 誰だって同じよ……」


 そう言うと、アサミは黙ってしまった。しばらく、何か考えるように、長いまつげを伏せてテーブルの上のピザを見つめている。何だか話し掛けられずにいると、急にこちらに視線を投げてきて少し笑うと、ぐいっと残りのビールを飲み干した。


「じゃあ、帰るわ……」

 ジョッキを置いて、天上を見上げながらそう言うと、アサミはかばんを持って立ち上がった。俺は何故だか目が離せずに、黙ったまま彼女を見上げていた。掛ける言葉が見つからなかった。


「私は……本当は出会いたくないのよ、理想の人に……でも、探し続けるの、いつかまた出会えるその時まで……」


「会えるのに会わない、探しているけれど、出会いたくない――よく分からないな」


「そうね……もう少し付け加えると、今じゃないの……今は出会ってはいけないの……まだ……まだ、出会うまでにやらなきゃいけない事が沢山ある気がするの、だから、帰る……ホントは残念でたまらないのよ、会って話したいのよ、でもね、今会ったら、全てが壊れてしまう気がするの」


 言い終わるとアサミは出口に向かって歩き出した。もう杜生に会わせる事はあきらめた。興味本位で相手の気持ちを探ろうとした事を少し後悔した。でも、俺は俺で、自分のこの魔法の能力を検証していかなくてはならない。そう何度も使える物ではないからだ、それに、せっかく杜生に掛けた魔法が、少しでも彼のためになるように……。


「ありがとう……せっかく話してくれたのに、どうも、俺には理解できないらしい」


 アサミの背中を見ていたら、自然とお礼を言いたくなった。アサミは俺の声に応えて振り返り、満面の笑みをこちらに投げかけてきた。少しびっくりした。


「いいんじゃない? 何でも全部分かってしまったら、つまらないでしょ?」


 アサミの笑顔が光り輝いているように見えた。

 全く係わり合いのない二人だったからこそ話せたのかもしれない。これまで、俺は誰かと恋愛に対しての心の機微きびなど話した事はなかった。俺も杜生と同じだ、部屋から出なくなってしまう事はなかったが、俺の心の奥底は誰にも見せないまま生きてきた、それは、心の引きこもりなんだと思う。きっと誰もが――特にとても好きになってしまった人の前では、素直になれなかったり、弱さを露呈したり、絶望したり――裸の心が浮き上がってくるからこそ、自由に動けなくなってしまうのかもしれない。


 アサミの姿は店の窓から見える雑踏の中へ消えて行った。それと丁度入れ違いに杜生が店に入ってきた。


「あれ? 誰かと一緒だったのかい?」


「ああ、友達とね……」


「友達……ユーマが自分から友達って呼ぶ人がいたとは知らなかったよ、もう帰っちゃったのかい? 会いたかったな」


「杜生の気持ちがちょっと分かった気がしたよ」


「何の話?」


「どうやら、俺も引きこもりだったみたいだって話」

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