第27話 新井 真司

 新井真司は、いつも、一人で社食を取る。

 友達が少ないというわけではないが、何となく、食事は恋人や家族以外の人と食べる物ではないと思っている。それだけの理由だった。

 ただ、それとは別に、食堂にいれば、社内のいろいろな情報を得られるという副産物もあった。野心家の新井には、無駄な情報はひとつもなかった。社内で出世を考えるならば、誰が誰と繋がっているかは重要な情報だ。しかし、その日は、あまり聞きたくない情報が入ってきた。丁度、食事を終えて、立ち上がろうかという時だった。背中合わせに座っている、秘書課のお姉様のいつもの大声が耳に入った。後輩達をはべらせて、女王様気取りでつまらない話を撒き散らしている。普段なら聞き流しているところだったが、甘受できない内容だった。


「――だから、神崎未菜には気を付けなさいよ。甘く見ていると、ひどい目に遭うよ」

「木川さん、本当ですか? もともと秘書課にいて、営業三課に異動になった、あの未菜さんですよね? そんな風にはとても見えないですよ」

「そう見えないから問題なのよぉ、お淑やかで、私なんにも知りませんって顔をしときながら、裏ではクソビッチなのよ。いわゆる、隠れビッチってやつよ。裏で、ほとんどの上司と寝てるから、あの子に目を付けられたらひとたまりもないのよ、上司にあることないこと告げ口されて、それで辞めさせられた女子社員を、私、沢山知ってるんだからね」

「木川さん、あまり、根も葉もないことを食堂で大声で話すのはどうかと思いますよ」


 新井は思わず立ち上がって木川に食い付いた。周りの後輩達はしまったと言う顔をして、神妙にして様子を伺っている。


「あ、あら、新井くん、根も葉もない事かどうかは分からないわよ。少なくとも、私のところには色々な情報が入って来ているわ。新井くんこそ……神崎さんと何かあるんじゃないの? ナイト気取りで盲目になっているんじゃないかしら、じゃなかったら、懸命な営業本部のエースが秘書課を敵にまわすなんて、あんまり、賢いとは言えないわね」


 木川も、ただ秘書課にいる年数だけで後輩達をはべらせているわけではなかった。それなりの頭のきれと、話術を持ち合わせている。実力派との評価も少なくはない。

「敵にまわすなんて、そんなつもりはありませんよ。ただ……ただ、上品なイメージが定着している木川さんが、そんな事を仰るなんて、耳を疑っただけです。あらぬ誤解を受ける前に、訂正して置いた方が良いんじゃないかと思いましてね」

「……まあ、いいわ。だったら、自分で確かめて見ればいいじゃない? おたくのボスだって、例外じゃないかも知れないわよ」

「ボス? 山崎本部長の事を仰っているんですか?」

「まさかねぇ、私はそんなこと言わないわ。私だって、敵と見方は区別しているもの、本部長の足を引っ張ったところで、私に得はないでしょう? ただ、あなたの、その正義感を満足したいのなら、裏をとってからにして欲しいわって言っているだけよ」


 新井は、まさかとは思ったが、山崎が本部長になる前には、未菜が所属している三課の課長だった事に、はっと思いがよぎり、一瞬疑念となって思わず口を噤んだ。

 木川は勝ったという表明をニヤリと口元を歪めることで表して、一行を引き連れて食堂から出て行った。

 新井は自分が完全に否定できる根拠を持っていない事に改めて気がついた。今思えば、聞き流してしまえば良かった話に、わざわざ顔を突っ込んだのは、軽率だったと後悔した。その場で論破できるならば、それはそれで良かった。しかし、武器も持たずに戦いを挑んだその背景には何があったのか。決して、未菜を恋愛対象に見ているつもりはない。ただ、部署は違っても、営業部全体のケアを考えている未菜の働きぶりや、人となりは良くわかっているつもりだった。木川が言うように、ナイト気取りの正義漢と言われても仕方が無い――そう思った。


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