第35話 思い出探偵

 思い立ったが即実行、着替えを済ませると、スナップ写真を持って、直ぐにマンションを飛び出した。メイクは仕事用のままで出てきてしまった。地味めな普段着がちょっと浮いている。中学生の頃から憧れていた愛車の赤いスポーツカーの、ルームミラーに映った自分の姿を見て苦笑いを浮かべるが、まあ、許される範囲であろう。派手なスポーツカーだが、故障が少なくリーズナブルな国産車を選んでいるのが、伊都奈の性格をよく表しているといったのは、たしか、バーを経営していた男だった。伊都奈の堅実さと自己主張のバランスを良く表している、と言っていた。実は、ただ赤が好きなだけ、と言う理由で選んだのだが、それは言わないで置いた。実家まで三十分程度、それぐらいの距離をわざと選んだ。早いうちに父を亡くしたが、父親の分まで、あまりある程、自分と妹を立派に育ててくれた、母を一人残して出て行くのはやはり、気がかりだった。しかし、生活時間が全く違うので、一緒に生活するのはお互いに気を使う。それと、自立はしたいが、いざとなったらすぐに駆け込める距離でないと不安だったり……と言う理由もあったり、なかったり……。


 小学校へは歩いて来た。ずっと歩いて通った母校に車を乗り付けるのは、何だか、はばかられた。実家に車を置いて、母に、ただいま、と、行って来ます、だけを告げて出てきた。小学校の時もそうだったと思い出した。真っ赤なスポーツカーではなく、真っ赤なランドセルを置いて、ただいまと行ってきます、だけを言って遊びに出かけた。

 小学校は改築中で、当時の学び舎は解体され、基礎がむき出しの状態だ。地震対策基準を満たしていないとかで、順次改築されているのだそうだ。悲しいが、可愛い後輩たちを危険な校舎で学ばせるわけにはいかないので、しょうがない。それに、卒業以来、一度も訪れた事が無いせいもあって、あんまり覚えていない。正直なところ、解体された校舎が何階建てだったかも定かではない。


(さて、どうしたものか。こう言う時どこへ行ったら良いのか、全くわからない。当時のままなら、職員室へ真っ先に行くんだけど。当時の先生は誰か残っているのかな。いや、無理かなあ)


 取り敢えず、足は職員室へ向かう。職員室のある校舎は、まだ、当時のままだ。隣にあった中庭には、解体工事中の代わりらしい、プレハブが建ててある。


「今日は、ご父兄の方ですか?」


 急に声をかけられ、飛び上がりそうになった。すくめた肩のまま、ゆっくり振り向くと白髪交じりのロマンスグレーが笑顔で立っていた。


「驚かせたみたいですみません。最近物騒ですから、声かけ運動が盛んでしてね」

「ああ、あぁすみません。今日は、実は私、卒業生なんです。ちょっと思い出と言うか、思い出の人と言うか……探しにきたんです」


「そうですか!」ロマンスグレーは、にかっと、整った歯並びを見せた。どうやら怪しまれてはいないようだ。このまま追い出されても、文句は言えない、十分不審人物だ。


「思い出を振り返るために、母校を訪れる……良いですなぁ。私は、この学校の事務員をやってまして、長い事この学校にはお世話になっているのです。あなたの様な人がいてくれるのは、本当に嬉しいなぁ」


 気の良い感動屋のロマンスグレーは、話しながら歩き始めた。意図はわからないが、取り敢えず後を追う。ここではぐれたら、別の学校関係者に、今度こそ不審人物だと思われかねない。伊都奈が卒業した後、ここが変わった、あそこが変わったといちいち説明してくれる。当時の先生たちは一人も残っていない、事務員とは言え転属はあるが、いくつかの学校を回ったものの、この学校への勤務が一番長い、初孫がこの学校に今年入学したなどなど……。話の長い、歯並びが良い、気の良い、感動屋のロマンスグレーに、随分長い事校内散策してもらった。本当は一分でも早く、あの子の事が知りたいのに、と思っていると、思いのほか良い提案をしてくれた。


「次は図書館に行きましょうか。最近は個人情報とかいって、うるさいですが、卒業生が自分のアルバムをみるぐらいは問題ないでしょうからなぁ」


 図書館の記憶は全くない。使っていたはずなのだが、どうにもこうにも思い出せない。


(この本……。何となく覚えている。確かオーストリアの作家で……。いや、これは中学の時の図書館の記憶だ)


 やはり何も思い出せない。何とも薄情な卒業生だ。

 気が付けば、あっと言う間に卒業アルバムや、当時の文集などをいろいろ広げてくれていた。それでも、いくつかは見覚えのあるものがあった。作文は、あまり好きではなかったので、良い思い出ではないのだが、誤字が多くて母に大笑いされた、黄色い表紙の文集『ともだち』は開きたくない。『もっとお弁当食べな』と書きたかったのに、『もっとお弁当食べなべな』と書いてあった。もはや、誤字とも言えない。突拍子も無く、そんな記憶は鮮明に出てくる。皮肉なものだ。


――卒業アルバムの写真と、その名前を確認し、他の文集などにしか出てこない名前を探したが、それらしい名前は出てこない 一年生から二年生の間に転出した生徒は三人いるが、いずれも女の子だ。つまり、彼は在籍していない。在籍していないが、写真に写っている。伊都奈の心に残っている。

 

「ふむう、おかしいですな。これだけ探しても見つからないとは……。しょうがない、奥の手だ、在籍者名簿を持ってきましょう。いや、持って来るだけですよ。残念ですが、あなたには見せられない」


 どうやら、伊都奈の事が気の毒になって、気を効かせてくれているようだ。どうして見つからないのだろう。やっぱり、友達が言うように、初めから存在しないのだろうか。

 あの子が写っているスナップ写真を取り出して、語りかけてみる。しかし、あのこは、相変わらずの溢れんばかりの笑顔でこちらをみるばかりだ。

 暫らく、ぼおっと、写真を眺めた。


「あれ? その写真は当時のものですか? どうしてだろう。そこに写っているのは中園さんですよね? 中園さんとは、お知り合いですか?」

「中園さん? 中園さんって誰ですか?」


 伊都奈は、写真を握る手を持ち直し、目を大きく開いて彼に差し向けた。彼は少し驚いて戸惑っているようだ。ただでさえ、その大きな瞳だ。目を見開けば、相手がたじろぐのも、無理はない。


「この人ですよ。この男の子の後ろにいる女性です。うちの近所の中園さんですよ。保険の外交員をやってて、すごく面倒見の良い、人の良い方ですよ。お知り合いじゃないんですね? なぜこんなところに写っているんだろう」


(中園さん……。てっきり、副担任とか、よく覚えていない学校関係者だとばかり思っていた――あのこの肩に手を置いている。よくみれば、あのこととても親しそうに見える……。これだ! 探していた手がかりは、この人なんだ! )


「この方に……。会えますか?」


 伊都奈は、すぐにでも駆け出したい衝動を堪えて、声を押し殺すように尋ねた。


「多分……大丈夫だと思いますよ。私ももうすぐ上がりだから、ご案内しましょう。うちの近所なんですよ。中園さんのお宅は」


「きっと見つかる」伊都奈は願うように小さく呟いた。

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