第29話 ジョーカー

「未菜、お前、浮気しているだろう」


 山崎は藪から棒に未菜に対して声を荒げた。未菜は、訳がわからないが、心当たりがなくもなかった。福田専務だ。あれから、連絡もとっていないが、どこからどう回って、山崎の耳に入ったかもわからない。

 しかし、山崎との関係が始まる時にちゃんと話したはずだ。彼氏がいるから付き合えませんと――彼氏と呼んでいいのかは別として……。

 その時の山崎は、そんな事はどうでもいいと言って、意に介さなかった。だから、福田の事も、もちろん話していない。それなのに、今更になってこんな事を言われる事に、未菜はだんだん腹がたってきた。


「浮気ってなんですか? 本部長はたしか、ご結婚されていましたよね。浮気されているのは、本部長の方かと存じますが」

「とぼけるな! 先週末、若い男と腕を組んで歩いているのを見たんだ。さっきだって新井と……」

「若い男なんて知りません。新井さんだって関係ないです」

「お前が言った事だろう? 細かい嘘をつくのが嫌いだと。なぜ、そんな嘘をつく。俺は確かに見たんだ。俺といる時には、あんなに楽しそうにしていた事はない。ラインでは父親だなんて、嘘をつきやがって。俺はその嘘が気に入らないんだ」


「嘘なんかついていません! 私は確かに父と……」

「そこまで白を切るならそれでもいい……もう、俺と『別れて』もいいんだな」


 山崎は利口な男だ。的確に相手の急所をせめて来る。未菜が喪失に対して極度の恐怖を感じている事を知っている。いつもこうやって来た。未菜に対して要求を迫るときには、別れ話をちらつかせ、全てを解決しようとする。未菜はこれまでは、いつでもジョーカーを握られたままだった。しかし、『これまでは』だと言う事に、二人ともまだ気が付いていない。


「結構です。そう仰るなら、そうされてかまいません。私は嘘など付いていませんし、私が必要ないならば、去って頂いて結構です。もともと、初めから間違いだったんです。このままじゃいけないと思っていたのは、私だけではないんじゃないですか?」


 勝手にしろ――山崎は、月並みな捨て台詞を吐いて去って行った。

 未菜は山崎の後姿を見送りながら、清々しい気分を感じていた。随分と遠ざかっていた感覚だった。始める前は大変だと思っていたが、やって見たらそうでもなかったと言う事は、良くある事だ。これも、そのひとつなのかもしれないと思い、この勢いで福田にも別れの挨拶を送った。


(気が変わりました、やっぱり、別れる事にします。ありがとうございました)


 これまでためらわれたのが嘘のように、美菜の心は晴々としていた。福田との決別が、自宅へ向かう美菜の足取りを軽くさせる日が来るとは、全く予想もしなかった。


(早く帰ろう。お父さんが待っている、私のおうちへ……)


 それから暫くの間、未菜の毎日は平穏だった。家に帰るのが楽しく思えると、仕事にも身が入る。仕事とプライベートは、やはり、バランスが大事なのだと改めて思った。


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